2017年12月12日 (火)

◆車両メーカーM社の試験センター◆MIHARA-Liner

 某所にある重工メーカーM社は、完成車両の試運転や各種試験を行うための試験線を擁しています。全長3.2kmのこの試験線は海とグリーンベルトに囲まれており、外部から容易に近づくことができませんが、近隣の山に少し上ると、俯瞰することができます。車両の試運転や試験の実施は平日が中心になると思われ、また毎日とも限らないため、わざわざ遠方から撮影のために訪問しても空振りするリスクがあり、気が進みませんでした。しかしとある土曜日に某団体の見学会が計画されていることを知り、それならば見学者を乗せて100%走るだろうということで、某展望台を訪ねることにしました。

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その日は朝から快晴でした。これが瀬戸内海の埋め立て地に増設されたM社のW工場です。ちょうど東側半分を見ています。工場内には、ここで製造された路面電車や新交通システム用車両の試運転を実施するための試験線あります。試験線には、鉄軌道の鉄輪試験線、高速新交通システム(高速AGT)試験線、センターガイドAGT試験線、磁気浮上試験線の4種類があります。敷地の外周に沿って設けられた小判型のエンドレス軌道が、鉄輪試験線です。

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鉄輪試験線には、試験車両牽引用兼車載コンポーネント試験用、見学者乗車用として、MIHARA-Linerという2両編成の電車が用意されています。MIHARA-Linerは2015年に兵庫県の能勢電鉄から譲り受けた1500系電車(1504形+1554形)で、元阪急電鉄2100系です。1504形はGENKI君1号、1554形はGENKI君2号と命名されています。由来は「元気」に走り回るのゲンキ以外に、原器(メートル原器やキログラム原器のゲンキ)と、あともう一つありましたが忘れました(苦笑) この日は、鉄道総研が保有する元JRサハ204-105を連結して走行していました。よく見ると、鉄輪試験線は3線軌条になっており、MIHARA-Linerは軌間1,435mmの標準軌の線路上を走行していますが、被牽引車のサハ204は1,067mmの線路上を走行しています。この場合、連結器の中心位置が合いませんが、撮影した写真をズームすると、GENKI君2号の連結器を改造して中心位置をずらしてあることがわかりました。興味深いです。

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鉄輪試験線の全長は3.2km(うち直線部1,050m)、最少曲線半径は120m、最大勾配は50‰です。レールは本線部分が欧州規格のEN54E1、分岐線部分(本線及び分引込線)がJIS50Nです。また3線軌条の3本のレールとは別に、PC枕木上にレール緊締具を設けてあり、レールを敷設すれば軌間1,000mmにも対応可能になっています(さすがにインドのブロードゲージは無理でしょうけど)。また架線電圧は直流1,500V/750V/600Vの3電源に対応済みですが、架線柱の碍子は高圧にも対応しているので、受電設備さえ持ち込めば交流2.5kVでの試験も可能なようです。保安装置は無く、試験線利用者が必要に応じて持ち込み設置するようです。

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こちらは磁気浮上試験線(HSST)です。3両編成が留置されていましたが、動く様子はありませんでした。

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こちらはオフレールの新交通システム用車両。出荷前でしょうか。写真をズームすると「Macao」とペイントされていたので、マカオ向けと思われます。

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こちらが本線から分岐する引き込み線部分。この急曲線は路面電車の試験用でしょうね。

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実際に引込線の先には広島電鉄向けと思われる車両が留置されていました。敷地の真ん中に、ポツンと路面電車が置かれていますね。

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まずは広電から。車体は綺麗ですがパンタグラフが付いていないように見えます。まだ試験の最中でしょうか。

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線路から外れて置かれていたのは、元広島電鉄の555号でした。パンタグラフを上げた状態で保管していますが、何かの試験に使用した後、そのまま用途不要となったのでしょうか。

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少し場所を変えると、西側半分も見えました。2017年現在、鉄道総研のサハ204は「脱線しにくい台車」の研究・開発に使用されているようです。これは、2000年3月8日に営団地下鉄日比谷線中目黒駅付近で発生した、乗り上がり脱線事故を、今後防止するための取り組みです。

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鉄輪試験線の途中には3か所ほど簡易的なホームのようなものが設けらた場所があります。昼休みなのか、MIHARA-Linerは試験走行を一時中断しました。しばらくすると中から関係者がぞろぞろと出てきました。面白いのは、MIHARA-Linerは通常の運転台からのドア操作により自動ドアを開閉しますが、阪急とJRではドアの制御方式が異なるので、サハ204はドアコック操作でドアの開閉をしていました。

滞在1時間ほどで興味深いものが見られ満足です。帰り際に気付きましたが、このW工場は社有地内に船積可能な岸壁を持っているので、船から陸揚げした車両を工場内に搬入する際に公道の通行許可を取らずに済むのもメリットなのかなと思いました。また違う車両が試運転を行う際は、ぜひ再訪してみたい場所であります。

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2017年12月10日 (日)

★岡山臨港鉄道保存車★102

 先日三原に行った帰りしな、岡山で途中下車し、岡山臨港鉄道の保存車を見に行ってきました。岡山駅から岡電バスに約40分乗車し、築港元町下車徒歩1分で辿りつけます。元気な人は岡山駅からレンタサイクルでも行けるかもしれませんが(笑)

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 岡山臨港鉄道は、戦前に軍需物資輸送専用鉄道として計画され、早期開業の要請から手続きがより容易な専用側線として着工されましたが、第二次世界大戦の影響で頓挫。戦後になり、沿線に工場のあった汽車会社専用側線として竣工しました。ただし汽車会社の資金だけでは工事は完成せず、沿線に駐留していたGHQ指示の下、国鉄岡山工事部が残りの建設を行ったようです。象徴的なのは開業一番列車で、汽車会社向けの貨物列車ではなくGHQ進駐軍の列車でした。1950年には汽車会社の工場閉鎖により専用側線は列車の運行が無くなり、同年岡山臨港鉄道が設立され地方鉄道として第二の人生を歩むことになります。

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保存車は岡山臨港鉄道102号で、1952年に汽車会社で製作された2軸のディーゼル機関車です。運輸省への車輌設計認可の申請が1953年3月28日、認可が同年8月15日となっているため、法規上の鉄道車両としては1953年製ということになっています。実際には車両として認可される前から無車籍のまま専用側線でスイッチャーとして使用開始していたと思われますが。本機で採用された、DMH17型エンジンとTC-2型トルクコンバーターの組み合わせは、のちに各社から相次いで登場する産業用DL標準の構成を先取りするものです。

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1エンド側から。高いボンネットは、国鉄DD11形ディーゼル機関車にも通じるデザインですね。

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ナンバープレートと製造銘板。銘板には汽車会社、昭和27年製造、製造番號22とあります。

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2エンド側から。

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2軸の動輪はアウトサイドフレームのロッド駆動で、2エンド側のキャブ下にジャック軸があり、ジャック軸の回転をロッドで2つの動輪に伝達する方式です。

 なお一部にはこのディーゼル機関車を「機械式」と称しているサイトがありますが、これは誤りで、れっきとした液体式ディーゼル機関車です。低速・中速の切り替えは自動でしたが、高速への切り替えは手動ですので、この手動切替スイッチを見て機械式と混同しているのではないかと思われます。現物の観察も大切ですが、本を読むのも忘れずに。

  • 【参考】寺田裕一「岡山臨港鉄道(RM LIBRARY197)」、2016年1月1日、株式会社ネコバブリッシング。

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2017年12月 8日 (金)

【くろがね線を読み解く】第260回 ■2015年、2016年夏の運用

 鉄鋼メーカーNS社専用鉄道くろがね線は、工場設備停電時や高炉改修に伴う半製品の輸送休止期間を除き、原則として24時間365日運行されている。

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2015年8月8日のくろがね線。この日は低頻度運転であったが、八幡第二操車場を発車したE8501牽引の列車は12:00にJR枝光駅付近を通過して戸畑へ。定番の正午前後の八幡→戸畑行の昼便は健在であった。

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こちらは2016年8月24日のくろがね線。この日は中頻度運転で、E8502牽引の八幡→戸畑行の昼便は中原小学校交差点付近を12:58に通過。

専用線マニアには釈迦に説法と思われるが、くろがね線に固定された運行ダイヤは存在しない。時刻は不定だが、運行されやすい時間帯はある程度絞り込むことができる。ただし、繰り返しになるが固定されたダイヤはない。このため、撮影するなら1時間半程度待つことは最初から織り込み済みで臨むべきであろう。以前述べた運行時間帯はあくまでも目安であることを、くどいようだが強調しておきたい。

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2017年12月 5日 (火)

■東福山の入換機■HD300-24

 JR貨物の入換専用ハイブリッド機関車HD300形が、各地の大規模貨物駅で入換に使用されているディーゼル機関車DE10形・DE11形を次々にリプレイスしています。本日12月5日にも、機関車の製造元・東芝のある北府中から西岡山に向けて、HD300ー26が甲種輸送されました。今回は、2016年12月から東福山で活躍を開始したHD300-24をとりあげます。

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 東福山には2017年に入るまで常駐する入換用機関車がありませんでした。ではどうやって非電化荷役線の貨車の入換を行っていたのかというと、早朝に西岡山を出る東福山行の2753列車(75km/h列車)を岡山機関区のDE10が牽引し、本線走行してきたDE10がそのまま東福山に居座って入換を行う運用でした。DE10の夜間滞泊は無しで、西岡山への復路は定期貨物列車66列車の次位無動力で当日中に回送されていました(2015年春の改正以降は単1970レで自力回送)。しかし2016年12月にHD300-24が常駐するようになり、2017年春のダイヤ改正で、西岡山-東福山間で見られたDE10牽引の本線走行貨物列車は姿を消しました。

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朝の9時前に到着する67列車は、入換を撮るには好都合です。牽引してきたELの反対側にHD300が連結され、編成を2本に分けて引上げ、それぞれ荷役線へ押し込みます。1回目は上写真の線路(貨11)に、

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2回目は上写真の線路(貨2)へ押し込むのが通常の手順です。貨2は障害物が全くなく順光になるので、編成写真・形式写真いずれも好条件で撮ることができます。

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■東福山で入換中のHD300-24   2017年6月

貨物列車好きにはDE10を好む方が多いのですが(私も好きですが)、HD300の産業用機関車然とした雰囲気もまた魅力があります。もっともその部分が好みの分かれるところではあるのですが。

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導入当初は空転が多く扱いづらいとの声も聞こえましたが、これは空転検知の仕組みに問題があったためです。JR貨物が鉄道総研と共同でHD300の走行データをモニタリングして研究した結果、空転開始時と空転終了時では、加速度の⊿(デルタ=変化率)の絶対値に差があることが分かってきました。空転開始時は⊿が大きく、空転終了時は⊿が小さいため、各々の状況に応じて空転の判定条件となる⊿の上限値を変えることで、正確な空転検知ができるようになりました。要するに、制御装置は電車と同じように制御用プログラムの改良により性能を改善できる余地があるわけですね。これが液体式ディーゼル機関車と大きく異なる点です。制御用プログラム改良の結果、現在では、空転に関する問題はほとんど解消しているとのことです。

 東芝がドイツ鉄道の貨物子会社(DB Cargo)と提携してHD300形ベースのハイブリッド機関車を導入する動きがあるとの報道もありましたので、今後このタイプが海外で活躍する日も来るかもしれませんね。

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2017年12月 4日 (月)

■情報収集■鉄道技術展2017

 2017年11月29日(木)~12月1日(金)までの三日間、第5回鉄道技術展が幕張メッセにて開催されました。車輌メーカーのみならず、部品メーカーや商社など鉄道関連企業各社が参加し、情報交換や交流の場としておおいに活用されていました。

Mtij2017

この鉄道技術展、私の所属する鉄道クラブの仲間が8年前に訪問していて興味はあったのですが、平日開催なのでなかなか行くことができませんでした。今年は夏頃からこの日をターゲットに有給休暇を取り参加できました。事前登録すれば参加費も無料になりますしね。会場の幕張メッセへ行くのは、高校生の頃に部活の千葉県大会で行って以来なので、建物が見えるまでは少し緊張しました(笑) なお参加企業に気になる会社が数社、名を連ねており、最初からコミュニケーションを取るのが目的だったので、もちろんスーツ・ネクタイ着用です(笑)

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エントランスから会場を俯瞰。ここからエスカレーターを降りると、会場に入る手前に撮影禁止の立て看板がありましたので、残念ながら写真はありません。

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ですが、一部の会社については、いただいた資料に掲載された情報をブログで宣伝してもOKとの許諾が取れましたので、いくつかの記事に反映しました。新情報もありますので、興味のある方はご覧ください。

開催は二年に一度、次回は2019年の予定です。その頃には、今回初めて本格的に紹介された各社の鉄道無人運転技術も、もう少し進歩しているのでしょうか。

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2017年11月29日 (水)

【くろがね線を読み解く】第259回 ■小倉地区D306の系譜

 3年半前の記事で紹介した、Y製鐵所小倉地区のディーゼル機関車D306。岸壁の一番手前の線路に入線すると、およそ300mまで近づくが、たいていは資材などが置いてあってまともな形式写真を撮れないことが多い。しかし今年は偶然にも車両1両分の空間がぽっかり空いており、綺麗に撮ることができた。

D306

D306は1975年10月に日立製作所で製作された2軸ボギーの産業用ディーゼル機関車である。同じく住友金属小倉向けに納入されたD307、D308は、同じ製作指示番号20618に基づいて製作された同一ロットの姉妹機である。エンジンはキャブ前後のボンネット内に1基ずつ搭載されているが、液体変速機も各エンジン毎に1基ずつあり、国鉄DD11形ディーゼル機関車と同じ構成である。ただしエンジンの製造元は、国鉄・私鉄の機関車にありがちな振興造機や新潟鉄工所ではなく、米国カミンズ社製である。以下に諸元を記す。

  • 記号番号 : D306
  • 自   重 : 35t
  • エンジン  : NH-220BI(212ps/2100rpm) ×2基
  • 液体変速機: 新潟コンバーター DB100 ×2基
  • 製造年月 : 1975年10月
  • 製造者  : 日立製作所
  • 製造番号 : 2061801

 カミンズ社製エンジンを搭載した日立製のディーゼル機関車は1950年代の早い時期からほぼ毎年登場していたものの、そのほとんどは輸出用車両であった。日本国内向け機関車でカミンズ社製エンジンを搭載したのは、1972年に製作された25t機(日本通運、浪速通運、日立製作所日立工場向け各1両、製造番号はそれぞれ13206、13209、13210)と、35t機(宇部運送向け、製造番号13242)が最初で、いずれもD306と同じNH-220BIを搭載している(35t機は2基搭載)。翌1973年には同エンジン搭載の25t機(日通向け2両、製造番号13211、13273)が製作されているが、このうち後者はコスモ石油四日市製油所専用側線入換用のNo.8である。翌1974年には実績が無く、1975年になってから、25t機1両(日通四日市営業所向け、製造番号2061201)と、本記事で紹介した住友金属小倉向けD306~D308(製造番号2061801~2061803)が続く。日通四日市の製番2061201は、コスモ石油四日市製油所専用側線入換用のNo,9で、一時期紀州製紙専用側線(紀勢本線鵜殿駅連絡)の入換に使用されていたので、専用線マニアにもお馴染みであろう。

 悲運なのは、カミンズ社製エンジンNH-220BIが日立の国内向け機関車へ採用され始めた翌年の1973年に第一次オイルショックが発生したことである。以降国内経済・産業規模の縮小が急速に進んだ結果、産業用ディーゼル機関車の製造数は急激に落ち込んでしまった。また同時に、産業用機関車の売り込み先が専用線から製鉄所にシフトし、大型機の受注が増えることになった。このため、DMH17系エンジンの代わりとなる小型機向けエンジンとして期待されたNH-220BIは、1976年以降ほとんど採用されることはなくなっている。

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2017年11月27日 (月)

★某所のスイッチャー★112

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 とある鉄道駅からバスに乗ることおよそ15分、そこには黄色っぽい2軸のL型機関車がいました。車体が汚れていることから察するに、メンテナンスなどのために運ばれてきた様子。見たところボンネット、キャブ、足回りについては、昭和50年代に入ってから日車で製作された自重15tの2軸機関車に類似した意匠ながら、車体幅がやや狭いようです。

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そのうち姿が見えなくなりましたが、その後元気に活躍しているようで、なによりです。比較すると、足回りについては、側面に巻き込み防止柵が、妻面端梁下には排障器が取り付けられています。ボンネットに目をやると中央上部から煙突が突き出しています。キャブは屋根上に旋回灯が増設されたほか、乗降扉下部にあった注意喚起のゼブラ模様がなくなり、レモンイエロー一色になりました。

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2017年11月26日 (日)

◆養老鉄道◆元近鉄ラビットカー2017年全検後

 2017年11月25日土曜日、西濃鉄道の石灰石列車の牽引にディーゼル機関車DD402が使用されているとの情報が入りました。これまでDE10 501とDD403は何度も撮っていますが、DD402はまだだったので、土曜に帰宅する予定を一日延ばし日曜日に美濃赤坂を訪れることにしました。しかし26日日曜日に列車は運行されたものの、使用されていたのは残念ながらDD403の方でした。情報をいただけたのは大変有難かったのですが、こればかりは運ですね。残念。

仕方がないので、朝の1便だけ撮って撤収し、近くを走る養老鉄道へと向かいました。こちらの鉄道では、近鉄南大阪線用初の高性能車(除く特急形)6800系をルーツとする、600系606編成が、秋の全般検査を終えて出場し、活躍しています。

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2017年秋の全般検査で、集電装置が菱形ボックスパンタからΣパンタへ交換されたようです。しかしカラーリングはラビットカーを維持してくれました。ラビットカーと言っても、近鉄養老線(現 養老鉄道)向けに改造された際に主電動機を低出力のものに交換しており、走りはあまり高性能車らしくはありませんが(苦笑)

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この日曜日は、正午過ぎに西大垣の車庫から大垣まで回送されてきて、午後は大垣-揖斐間の単純往復運用に就きました。この区間は営業キロが短いので、短時間で何度も撮影できるのは魅力です。桑名方面へ行ってしまうと戻ってくるまで待つ時間が長く、効率が悪いので。西濃鉄道は残念でしたが、こちらは運が良かったです。

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2017年11月22日 (水)

★某所のスイッチャー★DD10

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 北の大地へ半製品をお届け。真冬の海風が身に沁みます。

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こちらは製品を発送する途上でしょうか。最初の写真の半製品が鍛造されるとこれになるのかな? 機関車は某所の60トンB-Bスイッチャー。キャブ側面にナンバープレートがあり、記号番号はDD10です。この機関車は製造元のホームページにも紹介されていますね。

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構内には縦横無尽に線路が張り巡らされていますので、よく向きが変わります。

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反対側はこのような形態。スイッチャーには珍しく、比較的左右対称に近いですね。

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2017年11月18日 (土)

1986年末の国鉄鹿児島運転所

 小学生時代の1986年末から翌年始にかけて帰省した際の写真から。この時は墓参りの帰路で、いつも素通りしている鹿児島運転所の写真を撮りたいとお願いして、なんとか同行する祖父母の許可が下りた日です。祖父母はどちらも現役時代は教職に就いていましたが、古い人なので鉄道趣味は道楽という考えが根強く、また文系人間でしたので、鉄道を技術的な視点で見れば勉強になる点もあるという考えはまるでありませんでした(苦笑) この時も、鉄道に理解を示したわけではなく、お墓の掃除をしっかりやったのでそのご褒美として立ち寄りが許された次第です。

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■鹿児島運転所に留置中の車両群。    1986年12月30日

国鉄末期の多客期には、関西から鹿児島へ多くの臨時列車が運転されており、日中の鹿児島運転所には鹿児島ではあまり見慣れない車両がよく並んでいて楽しかったものです。

この日は、写真中央に見える通りサロンカーなにわの編成が留置されていました。なにわ編成は、夜行急行「サロンカー屋久島」として、新大阪-西鹿児島(現 鹿児島中央)間でよく運転されていました。その右手にいるディーゼル機関車は、DD16形57号機です。DD16形は当時21、54~65号機の計13両(休車を含む)が鹿児島機関区に配置されており、鹿児島機関区はDD16形の一機関区配置両数としては日本最多を誇っていました。この時はもう南九州の非電化路線の貨物輸送は全廃されていましたので、このように運転所内の入換やマヤ検測がDD16形の主な任務でした。

サロンカーなにわ編成の左には、波動用の14系座席車が見えます。当時鹿児島運転所に14系座席車の配置は無かったので、これも関西から来た西鹿児島行の臨時夜行列車に充当されたものと思われます。その左には24系25形客車(寝台特急はやぶさか寝台特急なはの基本編成)がおり、更に左には20系客車が見えます。20系はテールマークの絵柄から、新大阪-西鹿児島間で運転されていた臨時寝台特急明星と判断できますね。

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鹿児島運転所の南側にある留置線は、西側を公道が並走するので、車両を側面からじっくり眺められる良い場所でした(2016年現在はJR九州の社用駐車場と化しています)。上はキハ52 49で、主に肥薩線(日豊本線直通運用含む)で使用されていたと記憶しております。国鉄末期の指宿枕崎線はキハ58系かキハ40系がほとんどで、キハ52は見たことがありませんので。

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こちらはキハ52 49の右手に留置されていたキハ28 3015、らくだ号です。国鉄の気動車ジョイフルトレイン第1号は鹿児島運転所の初代らくだ号(キハ58 140、190/キハ28 2420、2436)で、水色のストライプが入りパノラミックウィンドウとスカートを装備したこれは2代目です。なぜ「らくだ」なのかというと、当時国鉄のトクトクきっぷのイメージキャラクターが「らくだ」だったためです。なお初代と2代目は、一時期共存・共用されていましたので、初代が2代目で置き換えられたわけではなく、増備車です。初代のうち2両は、国鉄時代のうちにお座敷車両「ゆ~とぴあ」に改造されて消滅しました。

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これは年明けに再訪し、唯一、職員の方にお願いして敷地内から撮らせてもらった写真です。左は門司港-西鹿児島間を鹿児島本線経由で運転していた急行かいもんのオハネフ25、右は新大阪-西鹿児島間で運転していた臨時寝台特急明星のナハネフ22です。かいもんは、オハネフ25+オハネ25と12系客車を混結した編成で、日豊本線経由で同区間を連絡していた急行日南とともに興味深い編成でした。24系客車の電源は、24系の電源車(カニ24やカヤ24など)から供給されるのが普通ですが、スハフ12で発電したサービス電源(三相交流440V)を24系客車に供給する一風変わった電源方式に衝撃を覚えたものです。私が客車の車両の仕組みに興味を持つきっかけになった列車ですね。いっぽうの明星は、最後尾が切妻型のナハネフ23になることがままあり、ナハネフ22の絵入り明星テールマークは貴重であったと記憶しています。この当時20系客車は、既に定期の寝台特急からは撤退していましたが、臨時ならばまだまだ現役でした。でもあっという間に無くなってしまいましたね。

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