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2011年8月23日 (火)

【くろがね線を読み解く】第93回■M製鉄所への転属車D610

D610_w_ladlecar
■N社M製鉄所で溶鋼鍋を輸送する日車60t機   2011年夏

 N社のM製鉄所では、1967年に導入した50t機D501~502を皮切りに、60t機D601(1970年)、D602~603(1973年)、D604~606(1974年)、D607~608(1977年)に至るまで、一貫して日本車輌製造製の産業用機関車を使用している。これらは、日車で大量に量産された規格型とは異なる形態を持つ車両で、車端部にフード型の簡易運転台を設けた、セミセンターキャブの1エンジン機である。

D609以降は製造実績が詳らかではないが、2011年夏に確認したところ、D610なる車両が使用されていた。

D610_keishiki
■日車60t機D610        2011年夏

D610は、M製鉄所で従来より使用されているD601~608とは明らかに形態の異なる車両である。ボンネット側面の点検蓋の枚数、エアフィルターの形状や大きさ、ラジエーターの形状、キャブの形状などから、この車両はY製鉄所向けに量産された60t機 60DD-3形ないし60DD-4形の可能性が高い。

※この機関車の正体については、こちらの記事を参照。

レイルマガジン1988年6月号に、当製鉄所の機関車の記事が掲載されているが、当時60t機として在籍していたのはD601~608のみである。D610は、D601~608と同じ60t機のため、わざわざモデルチェンジする必要もなく、構内鉄道に同じ軌間(1,067mm)を採用するY製鉄所からの転属車と考えるのが自然である。

リンク先の60DD形と比較すると、ボンネット端部の簡易運転台の形状が異なるほか、キャブの窓が埋め込まれているのが分かる。高炉や転炉付近を出入りする製鉄所の機関車はこういった改造がよく行われている。

D610_w_ladlecar2

被牽引車は、2+2+2+2-2+2+2+2軸複式ボギー台車を備えた巨大な貨車で、溶鋼鍋を2台積んでいる。第一印象では、高炉から転炉に向けて溶銑を輸送している貨車なのかと思ったが、日車の車輌史によると、M製鉄所は溶銑輸送にトピードカーを使用しており鍋車は使用していないため、鍋で輸送しているのは溶鋼ということになる。スラグ輸送用の鍋は、もう少し茶碗のように平たくて蓋が無く、鉱滓畑でスラグをぶちまけるために貨車側に傾動機構を備えていることが多い。しかしこの貨車に積まれている鍋は、どんぐりのように縦長で蓋付きであり、天井クレーンで持ち上げないと取り出せない構造であるため、溶鋼鍋と考えられる。列車の脇を通過する自動車と比較すると、その大きさがよく分かる。

D610_w_ky20b
■D610(奥)と貨車工場のスイッチャー(手前) 2011年夏

最後に、以前弊ブログで紹介した貨車工場のスイッチャー(手前の水色)とD610のツーショットをご紹介する。両者が同じ角度で見られることは極めて稀である。

一番左の煙突は製鉄所のものだが、その右奥に見える高い2基の塔は、セメントメーカーN社の工場のプレヒーター(予熱機)。セメント工場では、製鉄所で発生するスラグを原料として受け入れており、周囲に製鉄所と深い関わりのある工場が立地している様子がよく分かる構図である。

※なお、混合設備(普通セメントに高炉スラグを混ぜて高炉セメントを生産するための設備)はセメント工場側にあるのが常だが、上のセメント工場の場合、混合設備は煙突の場所ではなくM製鉄所の構内にある。

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コメント

社長様
久々の製鉄所の機関車ですね。
この北の製鉄所も、先に新車が入りましたね。
弊方の模型も、上周りがほぼ完成致しました。
製鉄所の機関車や、貨車は実に模型心をくすぐります(笑)

投稿: クモハ32000 | 2011年8月24日 (水) 23:11

クモハ32000さま
コメントありがとうございます
仰るように久々かもれません。なにしろ製鉄所の車両は、くろがね線と関係のあるもの以外は基本的に載せないスタンスですので。

※大変申し訳ございませんが、地域名を伏せさせていただきました。

ブログ拝見しております。
緻密過ぎて恐ろしいです…。

ブログは携帯でチェックしていることが多いのですが、クモハ32000さんのブログもショートカットを携帯のお気に入りに登録させていただきました。これで定期的に見られるようになります。

投稿: 社長 | 2011年8月25日 (木) 22:49

社長さま

実は、亡き父は日本鋼管(現JFE西日本製鉄所)の技術者でした。
幼少の頃は、職場に連れていって貰い、構内の標準軌機を面前で見た記憶もあります。
その影響があるのでしょうね。
当時は5高炉全てに火が入り、青いDD400もまだ新しく、セキ6000を牽いて岡山の井倉からの石灰石列車を東福山から牽くときもありました。
以前、社長様が高炉を俯瞰撮影されていた丘の裏に実家があります。
これもご縁ですね(笑)

投稿: クモハ32000 | 2011年8月25日 (木) 22:59

クモハ32000さま
コメントありがとうございます!
そうだったのですね。あの山の近くがご実家とは
福山は、溶銑輸送に混銑車ではなく鍋車を使用していますね。鍋車の場合は、製鋼工場内で一旦取鍋に移して溶銑予備処理をやることが多いと記憶しておりますが、福山では台車に乗せたまま鍋に蓋をして溶銑予備処理をするなど、技術的にも色々面白い試みをしていますね。

DD40形は今年も一度見る機会があったのですが、402はボロボロで部品取りの様相を呈していました。401と403は現役でした。
ピクトリアル「製鉄所の鉄道」で福山の機関車に言及していた石本さんに聞いたところ、「今となっては3両も要らないんだよね」とも。石灰石輸送に従事していた華やかりし頃をご覧になられて羨ましいですsmile

投稿: 社長 | 2011年8月26日 (金) 11:48

社長 さま
実家には以前福山製鉄所20周年誌や日本鋼管80年誌等全て有ったのですが、興味の無い母に破棄さてしまい、早い時期に私が保存すれば良かったと後悔しています。結構写真も多く、今の知識で読めば、結構参考になったはずなんです(泣)
話は戻って、そのDD40も作りたい機関車で、セキ6000を10輌牽かせてみたいです。井倉/足立→岡操→東福山の石灰石列車は昭和53〜54位まで有ったようですが、実物誌にも出てきませんね。
当時はDD40のデッキに「ブレーキ扱いの徹底」「連結状態は良いか」等と、安全確認項目の看板が載せてあり、野暮ったいなと思っていました。また、高校の先輩の父上が「福山臨海鉄道」の社長で、たまたま父の旧上司でもありました。
このDD40は、世界の鉄道'70に諸元が出ているので(セキ6000を牽く写真も出てますね)、それを参考に、新潟の基本スペックを割り当てて、図面を引こうと思います。独特の半キャブ風の片寄ったキャブが特徴ですものね。

投稿: クモハ32000 | 2011年8月26日 (金) 20:46

クモハ32000さん

DD40の形式図については、福山の特集が掲載されている鉄道ピクトリアル2007年12月号に掲載されています。標準軌の40t機、55t機、東芝製DELの形式図も載っています。

ご存知でしたらご容赦ください。

投稿: 社長 | 2011年8月27日 (土) 09:23

社長さま
有り難うございます。
確かに載っていたかも(笑)書斎で探します!
東芝のDELの見慣れない姿の刺激が強く、忘れてました。
東芝のDELの外側ディスクブレーキも、模型にしたら楽しそうです(*^^*)

投稿: クモハ32000 | 2011年8月27日 (土) 12:26

社長様、はじめまして。欧州方面好きの若輩者です。
以前、某所でここの溶鋼鍋台車(まさにこれ)の写真を見て、その傍若無人な車幅に驚いたものです。
それにしても…こんな「お姿」だったのですね。鍋の回転軸を横に向けるなんて大胆ですね。Google Earhtに写っているのはこの編成でしょうか。
それと、窓の無い「彼」ですが九州で活躍する同系と思しき様子が某誌に載っておりました。

投稿: いたるばす | 2011年8月31日 (水) 01:08

いたるばすさん
はじめまして。コメントありがとうございます
たしかに仰るように、通常溶鋼鍋台車に乗っている鍋の回転軸はレール方向ですね。Google地図(Earthではないですが)を見ました。まさに鍋を載せてない同型機が写っていますね。

本文記事には書いていませんが、私はこの記事で紹介した貨車はトピードカーからの改造車ではないかと踏んでいます(台車のみ流用)。簡易運転台の丸みを帯びた屋根や、2+2+2+2軸複式ボギー台車の形状が、日車がこの工場のトピードカー用に製作したNT1059台車と瓜二つだからです。
もう1つ理由があります。N社は、MURC法の導入以降トピードカーでの溶銑予備処理を廃止しているのです。したがって、現在では銑鉄輸送容器はトピード(魚雷)型である必要はなく、トピードカーも廃止している可能性があります。不要になったトピードカーの台車に新しい台枠を組み合わせて、この銑鉄輸送用貨車が誕生したのではないかという見方もできます。
そうなると、解説では溶鋼鍋と書いていますが、運んでいるのは溶鋼ではなく高炉から転炉への溶銑ということになりますね。あくまでも可能性ですが。

いずれにせよ興味は尽きませんね。

投稿: 社長 | 2011年9月 3日 (土) 22:21

社長様こんにちは。

「日車の車両史」に掲載のある混銑車用走行装置ですね。私も社長様と同様に流用品である、と想像しております。
最大軸距から想像しますと、鍋台車の大きさは長さ25m、幅5m、高さ(鍋蓋)5.7m、鍋の直径3,5m、といったところでしょうか。
よくこのようなものがサブロクゲージに乗っているものだと感心してしまいます。(空撮だと機関車との対比が一目瞭然ですね)
気になる中身ですが、以前見た写真を再確認しましたが、やはり鋼のようです。製鋼とCCMの位置関係が分かりませんので、
何故鉄道輸送する必要があるのかは分かりませんが…。

生産設備の集約化で構内車両の必要数も工場により増減があるのでしょうか、私の地元の工場にも転属車らしき機関車がいます。
過酷な使用条件のわりに古い機関車を使い続けていたりで、世代交代も非常にゆっくりですね。(海外の製鉄所でも旧型機が目立ちます)
いずれにせよ彼らを大切に使ってあげて欲しいものだと思ってしまいます。

投稿: いたるばす | 2011年9月 4日 (日) 05:10

いたるばすさん
こんばんは

中身はやはり鋼であっているのですね。嘘つきにならずにすみました(苦笑
製鋼工場に連鋳工場が隣接していれば、取鍋を天井クレーンで移動して終わりなのでしょうけれど、離れているとやはり鉄道輸送ですね。

高炉が複数あるところですと、後から増設した連鋳工場がレイアウトの都合で製鋼工場の近くに設置できず、溶鋼を鉄道輸送している例はちょくちょくある気がします。茨城、兵庫、広島各県の工場など。

ここの高炉はH製鉄のもの1基であったと記憶しておりますが、結果的に現状のようになってしまったのでしょうかね。

海外の製鉄所は興味深いですね。以前東欧の某国で貨物列車を撮っていたら、危うくカメラを没収されそうになったことが何度かあります。そういうわけで、海外の産業鉄道はまだあまり手を出していません。時間ができたら開拓してみたい分野ではあります。

投稿: 社長 | 2011年9月 5日 (月) 18:37

社長様、こんにちは。

中途半端な記述ですみませんでした。どこまで書いてよいか分からなかったもので…。一応根拠をお示ししておきます。
1.M製鉄所構内で鉄道業務に当たっている運輸会社K社の公式hp
2.M製鉄所所内報
3.M社公式hp
によりました。

どうやら、件の列車でM製鉄所から他社(M社)へ供給する溶鋼を運んでいるの様なのです。
今回はgoo地図の空撮をご覧ください。google地図とは違う位置に鍋台車(空車)が居ります。社長様が件の列車を撮影された位置関係も想像できます。
その線路の先は…、と云うことで、この列車こそがK社の公式hpに載っている溶鋼列車と同一と見て間違いないであろうと思われます。
実は、前述のM製鉄所所内報に核心に近いと思われる記述があるのですが…。

海外での鉄道撮影はやはり気を使うものなのですね。我々は「外国人」なので余計に警戒されるのかもしれません。
悪い事しないのになぁ…(笑)
失礼致しました。

投稿: いたるばす | 2011年9月 6日 (火) 17:00

いたるばすさん
貴重な情報ありがとうございます。3つとも確認しました。
Y製鉄所に関しては色々調べていますが、M製鉄所の方もちゃんと調べないといけないですね。サボっていましたsweat02

さて、線路の先ですが、地図によるとM社ではなくN社のようなのですが…。それがちょっと気になりました。

K社HP掲載の溶鋼輸送列車、興味深いですね。右の機関車の色も塗り替え前ですね。まさ文字通り、我々ファンが「見えないものを形にしてくれる」会社ですsmile

投稿: 社長 | 2011年9月 6日 (火) 23:03

社長様、お世話になっております。
そうなのです。地図上では確かにN社となっており、不可解です。
これは私見なのですが、この場所はM社の進出以前はN社のBOF工場だったことから、地図上の表記に93年以前のものが混ざっている誤記(・線路記号が現状と異なり76年版の空中写真に近い・現存しない高炉がある)、と推測しています。
M社資料「固定資産の譲渡について」では建物についてN社に売却した、と云う記載はありませんでした。
最終的にM社製鋼工場の写真(hp他)と空撮との写真判定によりました。

時系列で見てみますと
平成12年xx月M社への溶鋼輸送開始→平成13年12月30日M社電気炉休止→平成17年7月29日M社からN社へ電気炉譲渡→平成17年度上期再稼動(?)
興味深いことに、M社の電気炉が(公式上で)休止する以前から溶鋼輸送が行われていたという事で、何らかの理由で電気炉鋼以外で生産している可能性があると言えそうですね。

参考資料
・N社公式hp 新着情報
・N社ガイド(年鑑)
・M製鉄所所内報
・M社公式hp トッピクス
・同 プレスリリース
・北海道新聞社「フォト海道」

たくさんの裏方さんの力によって滞りなく生産が出来るものなのですね。

投稿: いたるばす | 2011年9月 7日 (水) 05:22

いたるばすさんこんばんは
貴殿に刺激を受け、当方でも新聞記事を参照してみました。その結果、貴殿の後半の疑問に関しては解決しました。


>時系列で見てみますと…(中略)…何らかの理由で電気炉以外で生産している可能性があると言えそうですね。


う~ん、これは少し違うようですよ。coldsweats01
まず、地元紙M民報2005年2月16日付朝刊記事によると、M社向けに溶鋼輸送を開始したのは2002年(平成14年)1月からです。M社のプレスリリースにもあるとおり、M社の構造改革の一環で2001年12月に電気炉が廃止されたわけですが、代替原料となるN社からの溶鋼の供給は、もともと電気炉の廃止と一体の計画です。

※プレスリリースの発表が2000年1月であるのに、溶鋼輸送開始が2002年1月になったのは、2001年11月に第2高炉の改修が予定されていたため、電気炉の廃止時期をそれにあわせて12月としたためです。

次にM社の廃止電気炉をN社が購入し、2005年8月に再稼動させた件です。同じ新聞の2006年4月27日、10月17日付朝刊によると、当時、N社が海外の自動車工場からの需要増に対応するにあたり、M社が生産していた棒鋼のサイズがちょうど件の自動車工場向けとして適していたことから、N社主導でM社の廃止電気炉を買い取って再稼動をすることになったとのことです。
ちなみに委託生産とのことですから、資産はN社のものでも実際にはM社が生産していますね。


>所内報に核心…(後略)


「平成12年より溶鋼輸送材」という部分は、M社向けの溶鋼輸送材の開発を平成12年から行っていると理解していますが、いかがでしょうか。「M社への溶鋼輸送を12年から」となると新聞記事との整合が取れませんが、冒頭で述べたとおり溶鋼輸送の目的から考えれば、蓋然性が高いのはやはり新聞記事の平成14年開始ですね、というのが私の理解です。

投稿: 社長 | 2011年9月 8日 (木) 22:50

社長様、たびたびお邪魔いたします。

お忙しいところ有り難うございました!!おかげさまですっきりしました!!
そうですか…M民報が詳しかったのですね。(見落としておりました…涙)
失礼しました。確かに、溶鋼供給の開始は平成14年1月、で話が繋がりますね!! なるほど、生産受委託の関係も解説されており興味深いです。

ところで、空中写真を見ていて気になっているのですが、地図上での件の建物のマーキングについて、誤認の可能性があると思えてなりません。
形状が現状よりN社時代に似て描かれている(東側屋根上に3本ある集塵ダクト)ため、この一画の情報が古い様です。
また、建物自体がM社電気炉新設時の1994年に建て替えられたものではなく、N社の旧製鋼工場を再用している可能性があり(H新聞写真キャプション)、
マーキングが1993年以前からの情報で放置されているのでは、と考えております。
尤も地図上のマーキングは集塵装置の位置(電気炉室と推定できそう)にあるので、N社でも間違っていないとも思えるのですが…。

私は、M社の製鋼工場にN社所有の電気炉(M社へ生産委託)とM社の連鋳が同居している、と考えているのですが、如何でしょうか?

投稿: いたるばす | 2011年9月 9日 (金) 05:10

いたるばすさん、こんにちは
社長@大阪です

地図は、住所以外の掲載情報が古かったり線路配線がかなり適当に描かれていることも少なくないので、私はあまり深追いしないことにしています。隣接するクロハリ構内に線路が描かれていること自体、何十年前って感じですよsmile

私がこの記事の写真を撮った場所も地図には載っておりませんし。(地図上で多くの方がたぶんここだろうとお考えになる場所とは違います、おそらく…)

投稿: 社長 | 2011年9月20日 (火) 12:40

社長様

まさに、仰るとおりです! 特に私有地内は一般地図はとても当てにはなりません。
件の場所も地図上では、構内鉄道とJR(否、国鉄?)が繋がっているのですから!

次回の「くろがね線」も楽しみにしております。
…それにしても、お立ち台は何処なのでしょう…

追伸…大雨にはくれぐれもお気を付けくださいませ。

いたるばす拝

投稿: いたるばす | 2011年9月21日 (水) 05:11

社長様

はじめまして。いつも大変興味深く拝見しています。私も製鉄所の構内鉄道に大変興味があります。今回ご紹介の場所は、複数の製鉄・製鋼メーカーが立地するスポットの一つで、興味を引きつつも情報の少なかったところです。貴重なレポートと思い拝見させていただきました。

さて、今回いたるばす様のご紹介にあるK社の公式サイトを見ると、溶鋼鍋台車を紺色の機関車が牽引している写真が掲載されていました。この機関車は、日本車両の公式サイト中の新型構内用機関車の紹介記事にも写真が掲載されているようですね(この記事のメインは中国への輸出機と思われる機関車ですが)。いたるばす様のおっしゃるように製鉄所の構内鉄道では古い機関車が大切に使われ続けている一方で、現場の実情に応じた発達も着実に進んでいるという印象です。確か朱色の新塗装での増備機も登場していたと記憶します。

製鉄・製鋼メーカーの合併・再編のニュースも報じられている中、今後も目が離せませんね。

投稿: 当直長 | 2011年9月23日 (金) 15:49

当直長さん、こんばんは

仰るように日車のホームページでも紹介されていますね。増備車のD-653(オレンジ色)は2010年3月の甲種輸送が記憶に新しいところです。

一般に一貫製鉄所では、輸送単位拡大のため、より重量級の新型機を導入することが非常に多く、いっぽう高炉のないところは他所の製鉄所の機関車を譲り受けることも少なくありません。前者は、古いところを除けば軌間もスタンダードゲージ以上で中には超広軌(1,676ミリ)もあり、譲渡は(受入・払出双方とも)現実的ではありません。高炉のない製鉄所は、元々高炉のあった堺を除けばほとんどがサブロク(1,067ミリ)軌間を採用していますから、自重50tクラスであれば私鉄・臨海鉄道・専用線などとの間で譲渡があります。

製鉄所の機関車に興味がおありでしたら、以下をオススメします。
・『写真と図解で楽しむ線路観察学』石本祐吉 アグネ技術センター 2008年
・『鉄道ピクトリアル』2007年12月号、2008年7月号 2011年3月号(手前味噌ですが) 電気車研究会
・『レイルマガジン』1988年2~7月号 ネコパブリッシング
・『鉄道ファン』1984年3月号 交友社
・『鉄道番外録』11 岩堀春夫 ないねん出版

あとやはり機会をつくって現物を自分自身の目で見てみることも大切ですね。

投稿: 社長 | 2011年9月23日 (金) 18:26

前回コメントの補足になりますが、
現在新橋駅前のSL広場において、古本市が開催されています。
私も興味を持って昨夜仕事帰りに立ち寄ってみたのですが、鉄道雑誌や書籍も色々揃っているようです。
上に記載した、レイルマガジンの製鉄所の機関車特集が掲載されている号も何冊か見つかりました。
興味のある方は、古本屋巡りをするより効率よく目当ての本を見つけることができるかもしれません。

投稿: 社長 | 2011年10月 1日 (土) 13:03

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