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2012年6月

2012年6月23日 (土)

★340000アクセス突破★名鉄デキ600プッシュプル工臨

 サッカー欧州選手権EURO2012の開催中は、寝不足になりがちです(苦笑) ドイツを応援している私としては、2009年のUEFA U-21欧州選手権で優勝した黄金世代がどれだけ活躍するか、注目しています。

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■デキ601と604がチキ4連をプッシュプルで輸送   2012年6月16日

 先週金曜は出張で名古屋に。仕事のあと、相互リンク先の西宮後さんと名駅近くで軽~く飲み、名鉄のデキは走るかな?と言う話題に。翌日以降の関東以西の天気がどこもかしこも悪かったので、さっさと東京に戻るつもりでしたが、どうやら走るらしいと言うことで翌日撮影。土砂降りの雨の中撮ったにしては、まずまずか。この時期しか撮れないので、よしとしよう。

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2012年6月22日 (金)

▲三菱化学▲四日市事業所専用線スイッチャーのその後

 2011年4月をもって列車の運行が無くなった、四日市の三菱化学専用線。そこで活躍していたスイッチャー2両の去就について、一年ほど前に読者の方から情報をいただいていました。今回は、それぞれの新天地で活躍を続ける、2012年現在の姿をご覧いただきましょう。(スイッチャーのスペックについては、過去の記事を参照

 2両のスイッチャー(DB251、DB252)のうち、DB251が売却されたのは、N通運米子支店です。この拠点は、山陰本線伯耆大山駅に連絡する製紙メーカーO社専用側線の入換と荷役を受託しており、入換用のスイッチャーを保有・運行しています。2012年4月に訪問してみると、本務機として活躍する姿が見られました。

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この専用線のスイッチャーは、場内入換及び駅への貨車引き出し用が1両、駅からの貨車引き込み用が1両、予備1両の3両が常時使用されます。このほか、奥に分割された貨車を手前に移動するために予備機も兼ねて数両が配置されています。予備機以外は外に出てくるため撮影するチャンスはありますが、門扉の前に注意書きがあることを忘れてはいけません。事前に守衛さんに一声かけて、敷地外から(門から離れて)撮影するのが最低限のマナーでしょう。

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 三菱化学専用線で使用されていた頃から大きな変化はありませんが、日本トランスシティのロゴが取り外され、N通運の社紋が取り付けられています。また、キャブの上には旋回灯が2個取り付けられました。このほか、ヘッドライトが前進・後進どちらの場合も点灯するようになっていますが、これはこの専用線のスイッチャーすべてに共通する運用ですので、改造と言うほどのものではないかもしれません。

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後位側から見ると、日本トランスシティ時代に荷役の都合で設置された妻面の台座がまだ残っています。キャブ側面にはNo.15とありますので、協三工業製20t機No.14(写真1枚目の左の黄色いスイッチャー)の続番となったようです。

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 いっぽうDB252は、秋田臨海鉄道の終点向浜にある製紙メーカーN社専用側線の場内入換用として使用されています。かつてこの場所で使用されていた35t機DD351(1971年3月日立製作所製、製造番号13192)は、DB252によって置き換えられ、2012年現在、秋田港に留置中です。

4軸機を2軸機で置き換えるのは意外に思えるかもしれませんが、DB252は軸重12.5t、DD351は軸重8.75tですから、2軸のDB252の方が牽引力がありますし、エンジンも1基(DD351は2基)で燃費も良いので、至極真っ当な判断です。時速10~35km/h程度の領域では、エンジン出力はさほど牽引力に影響を与えません。なんといっても軸重が重要です(摩擦係数は垂直抗力に比例、物理の基本)。

上の写真の場所は工場の正門なのですが、ご覧の通り踏切に近づくことができません。しかし…

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北側にある通用門の外側から見ることができます。工場内には、返空便に積載されている古紙(パルプの原料として使用)を荷卸しするための線路が1本あり、機回し線と合流したあと、2つの製品倉庫へ向かって3本の線路が伸びています。この踏切を渡っている線路はそのうちの2本ですから、2/3の確率でスイッチャーを撮ることができます。荷役を行う倉庫は、時刻で決まっているわけではないので、この場所を通過する時刻も決まっていません。

Miyamado_after13

この日は、クルマで場内へ入る方にたまたま声をかけられました。機関車が来るのを待っているのだと伝えると、トラックの出入りが多いから充分気をつけるように、それから踏切より中へは入らないようにと指示を受けました。その指示に従い、踏切の手前かつ道路の外側にある茂みの中から待っていたところ、製品倉庫から単機で戻ってくるスイッチャーの正面を撮ることができました。

 このDB252は、DB251とは異なり改造点が多いです。一番目に付くのはスノープラウで、これを取り付けるために、日本トランスシティ時代に端梁に増設されたステップと握り棒が撤去されています。また、一つ上のコキを牽引している写真を見ると分かりますが、後位側妻面の連結器の上にあった台座も跡形も無く撤去されています。もともと、浪速貨物時代には無かった装備ですし、塗装も国鉄色風味に戻ったわけですから、先祖返りしたと言えなくも無いですね。どうでしょうか。

 いままともに残っている専用線は、石油メーカーと製紙メーカーくらいのものですが、石油の専用線が2軸機を引き取るとは考えにくく、2両とも製紙メーカーの専用線に転じたのは必然であると言わざるを得ません。秋田臨海鉄道は、仙台臨海鉄道に機関車を1両貸与しているため、北港線の運行が無いとはいえ、車籍のあるDD351を予備機として確保しておくというのは、理に適った判断でしょう(軸重云々は別にして)。そういう意味で、DB252はしばらく活躍するのではないでしょうか。いっぽう、スイッチャーの入れ替わりの激しい伯耆大山については、いつ他のスイッチャーに置き換えられてもおかしくは無いですね。これまで、伯耆大山で使用されてきた多くのスイッチャーがそうであったように、めったに動かない予備機として君臨してしまう可能性があり、あと1年もすれば、遠くに見えるのに撮れないという最悪の事態が待っているかもしれません(笑) 何事も早め早めが肝要です。

 ところで、三菱化学専用線の廃止が決まってから、どこぞのブログに、スイッチャーが「北の大地」へ行くなどと、北海道行きを仄めかすような記述がありましたが、あれは何だったのでしょうか? ガセネタ? ちなみに現在ではその記述は削除されています(笑)

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2012年6月20日 (水)

ドイツ・ティッセンクルップ製鉄所の鉄道(1)

 2012年ゴールデンウィークの訪独時、1日だけDuisburgのティッセンクルップ製鉄所を訪れました。ドイツ語のサイトをチェックしていると、溶銑を輸送するトピードカーを間近に見ることができるとの情報が見つかったためです。もちろん、往復10万円以上かけてヨーロッパへ行くわけですから、曖昧な情報源だけを頼りにするはずも無く、しっかり下調べをしたうえでの訪問です。

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 ティッセンクルップ製鉄所へアクセスするには、Duisburg Hbf を通っている Straßenbahn 901系統のThysssen Verwaltung 駅が最寄となります(もっともDuisburg駅周辺は地下化されているため、路面電車ではなくU-Bahn扱いですが)。Thyssen Verwaltung は直訳すると「ティッセン管理局」で、文字通り、公道以外の周辺敷地のほとんどはティッセン社の社有地となっています。

高炉から出てくるTorpedopfannenwagen(=魚雷型鍋車、トピードカー)の見える場所まで辿りつくためには、Thyssen Verwaltung 駅から更に 2km 以上歩く必要があるため、Duisburg駅前でレンタサイクルを借りて行くことにしました。

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DuisburgのStraßenbahnは、5車体連接の比較的新しい車両が主力です。中央の3車体目に自転車を積めるスペースがあります。

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駅を降りて自転車を走らせ、Alsumer 通りへ回り込むと、その場所はあります。

 左端の黒い塔は消火塔で、そのすぐ右下にある横長の施設がコークス工場です。そこに向かっている線路2本は、コークス工場へ石炭を運び込むために使用されます。残りの右側4本の線路のうち、最も左端の1本はコークス工場へ、残り3本は高炉へと向かっています。

Tks_01

 しばらく待っていると、高炉からトピードカーを連ねた列車がやってきました。手前の貨車と奥の貨車では荷重が異なるようで、車体の大きさや車軸の数が異なります。機関車は Eisenbahn und Häfen (=直訳すると「鉄道と港」。ライン川沿いの港湾部に配置された製鉄所や臨港線の貨物輸送を担っている私鉄会社)の所属で、写真の575号機の車軸配置はBBです。通常ドイツでは、自重60tクラスの機関車の車軸配置はC(3軸)になるため、おそらくこの機関車は80tクラス以上と思われます。

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トピードカーは、10~15秒おきに突沸して液体の鉄を吹き上げながらこちらに近づいてきました。公道をトピードカーが潜るなど、今の日本では考えられない危険な光景です。思わず真上から見下ろしたい衝動に駆られましたが、万が一溶けた鉄が顔面に直撃したら……おそらく即死でしょう。やむを得ず、すぐに逃げられるよう斜めから望遠で撮ってみました。雰囲気は伝わると思います。

 この場所は、ドイツのWerkbahnfreund(産業鉄道の友、産業鉄道愛好家)にはよく知られたポイントのようですが、日本ではほとんど紹介されたことが無いため、貴重なシーンではないかと思います。探究心と勇気のある方は、訪問してみると面白いと思いますよ。もちろん、自己責任で。

(つづく)

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2012年6月12日 (火)

★335000アクセス突破★西武保谷のE12~ウェスティングハウスの凸形電機~

 今年は、西武鉄道創立100周年を記念して、様々な催しが企画されているようです。その第一弾が、2012年5月13日、西武鉄道 旧保谷車両基地で開催されました。

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武蔵野鉄道時代から起算して100年ですから、設立されたのは1912年ということになります。ここで大手私鉄の設立年を確認してみると…

  1. 1884年、南海電気鉄道(大阪堺間鉄道)
  2. 1894年、名古屋鉄道(愛知馬車鉄道)
  3. 1897年、東武鉄道
  4. 1898年、京浜急行電鉄(大師電気鉄道)
  5. 1899年、阪神電気鉄道(摂津電気鉄道)
  6. 1906年、京阪電気鉄道
  7. 1907年、阪急電鉄(箕面有馬電気軌道)
  8. 1908年、西日本鉄道(九州電気軌道)
  9. 1909年、京成電鉄
  10. 1910年、京王電鉄(京王電気軌道)
  11. 1910年、近畿日本鉄道(奈良軌道)
  12. 1912年、西武鉄道(武蔵野鉄道)
  13. 1917年、相模鉄道(神中軌道)
  14. 1922年、東急電鉄(目黒蒲田電鉄)
  15. 1923年、小田急電鉄(小田原急行鉄道)

となり(カッコ内は設立時の会社名)、東京メトロを抜いた15社のうちの12番目ですから、西武鉄道は比較的「新しい」鉄道ということになります(笑) もっともここ数年間、日本全国で大手私鉄の100周年記念イベントが続いている中での西武ですから、わざわざ調べなくても感覚的に分かる方が多いかもしれません。

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今回の公開に合わせ、同車両基地跡で保存されていたE11形電気機関車E12が、綺麗に補修・再塗装されました。

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 1924年に竣工した西武鉄道E12(武蔵野鉄道デキカ12)は、機械部分をBaldwin(ボールドウィン)社で、電機部分を Westinghouse(ウェスティングハウス)社で製作したもので、設計のベースは、米国のインターアーバン用に量産されていた機関車です。写真のように右側運転台なのは、米国の鉄道が右側通行を基本としているためです。これまで、右側運転台に関しては武蔵野鉄道の島式ホームとの関連が指摘されていますが、私はこの説には懐疑的です。

電車の場合、運転士は一人乗務が基本ですから、タブレット交換時に運転台が反対側にあれば支障をきたすかもしれませんが、機関車は二人乗務が基本です。国鉄の機関車でも、一人乗務が常態化したのは1970年代以降であり、E11形が導入されたのは、機関車といえば二人乗務があたりまえだった頃です。このような時代背景に鑑みれば、タブレット交換と運転台の位置を関連付けるのは無理があるのではないでしょうか。

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 ボールドウィン・ウェスティングハウスが製作したインターアーバン用の凸型電気機関車には、Class Aに始まり、Class B, B-1, C, D, E, S と様々なバリエーションがありました。このうち武蔵野鉄道が輸入したのは Class B-1 です。

Class B-1は、第一次世界大戦後に Class B をモデルチェンジした廉価版で、1923年から量産が開始されています。武蔵野鉄道デキカ11~13は、米国仕様の右側運転台そのままの設計ですが、信濃鉄道1~3や、その後日車(+東洋電機)でコピーされたタイプは、日本向けに左側運転台にアレンジされており、ボンネットも左右逆についています。(B-1ではありませんが、同社の輸入機第1号とも言える秩父鉄道デキ1~5 も、左側運転台ですね)

Class B は、1910年から量産が開始されたモデルで、同時生産された Class D の低消費電力・軽軸重版です。つまり、デキカ11~13は、当時の標準設計の小型機の、更に廉価版ということになります。欧米と比較して劣悪な日本の鉄道インフラには、Class B-1 のようなロースペック機がうまく適合したのでしょう。

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■西武鉄道E12    2012年5月13日、保谷       ■弘南鉄道ED333    2010年5月、平賀

同一ロットで製作されたデキカ13は、2012年現在も弘南鉄道ED333(右写真)として現役です。バラスト散布や冬期の除雪用 として活躍しています。

 日本で活躍した輸入機関車に関する研究は、これまで様々な誌面・書籍で発表されてきましたが、出典・参考文献に並んでいるのは日本の公文書や日本語の書籍ばかりです。この手の機関車は、製造者の所在していた本国の方が、資料は豊富に揃うはずなのですが、きちんと英語やドイツ語の文献にあたって執筆された記事が驚くほど少ないのが気になりますね…。

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2012年6月 8日 (金)

★北旭川貨物駅★オイルターミナルの入換機

 2014年ブラジルW杯・アジア最終予選で順調に連勝中の、ザックジャパン。これまでの歴代代表の最終予選を思い出してみると、セットプレイからの得点でやっとかっと同点に追いついたり、僅差で勝利するパターンが多く、ヒヤヒヤさせられた思い出しかありません…(苦笑) 日本も、強くなりましたね。今夜行われたヨルダン戦も、前回のオマーン戦も、相手を終始自陣に釘付けにしていました。残念なのは、12日に予定されているオーストラリア戦に向けて、要となる長身センターバックの吉田麻也が負傷離脱したことでしょうか。大事で無いといいのですが…。

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■オイルターミナル荷役線        2011年8月11日、北旭川

 北旭川貨物駅を最後に訪れたのは今年3月です。本輪西からの石油輸送が2012年5月をもって廃止される(当時。その後廃止は延期され、2014年5月に変更)ため、所属クラブのメンバー数名を募って訪問したのでした。本来であれば、廃止前に入換時刻をまとめておきたかったところですが、あいにく5月下旬に勤務先のイベントが2件あり、どちらも幹事になってしまったため(苦笑)、記事を書く時間がありませんでした。

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■1回目の入換を終えて待機中のDE15 1521   2012年3月9日

 北旭川貨物駅のオイルターミナルの荷役に伴う入換は、旭川通運の私有機が行っています。この付近は工業団地のど真ん中で交通網も発達しており、道北バスの永山2条12のバス停からですと歩いて3分です。このバス停を通るバスは、旭川市内の中心部(駅から3~4分)から10分おきに出ています。

オイルターミナルの入換時刻は、次の通りです。

  1.  7時過ぎ
  2.  9時過ぎ
  3. 13時過ぎ
  4. 15時過ぎ

まず、バスの始発は7時台ですので、7時過ぎの入換を撮るには、バスではなくJR旭川駅から稚内行き始発列車に乗り、永山からタクシーで向かう方法があります。一度試したことがありますが、この列車は、冬期に旭川四条で石北ラッセルと、永山で宗谷ラッセルとすれ違うという、なかなか面白い列車です。

次に9時過ぎの入換ですが、これは冬期のみ実施されます。臨時便の運行されない時期には何も起きません。

13時過ぎの入換は若干逆光気味です。15時過ぎの入換はJRの本線用機関車(DF200)が行います。というわけで、3月に再訪した際は9時過ぎの入換に照準を合わせました。この時間帯なら、ホテルで朝食を取ってからバスに乗っても充分間に合います。

●9時過ぎの入換

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8時半頃に到着して予備機を近くから眺めていると、荷役がそろそろ終わりそう雰囲気になってきたたため、急いで陸橋に戻りました。9:15頃に入換が始まりました。

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北旭川駅の着発線と荷役線のあいだでJR機が入れ換える際は無線が使用されますが、荷役線内の旭川通運の入換は手旗誘導です。荷役を終えたタキ車を永山側に引き出し、側線へ押し込みます。押し込むあいだ地上から合図を送っていた操車掛(左写真)は、途中でタキ車へ飛び乗り、片手で手摺を握りながら誘導を続けます(右写真)。

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すべて押し込む前にまた飛び降り、再び地上から誘導します。見事な匠の技です。

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タキ車を切り離して単機で引き上げると、

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今度は荷役待ちのタキ車を連結しました。

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地上からの誘導で再び永山側へ引き上げ、

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荷役線に据え付けます。また単機で引き上げると、

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先程側線へ押し込んだ荷役済タキ車を引き上げ、

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荷役待ちのタキ車が留置されていた側線へ押し込み、最初にいた荷役線へ戻りました。

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 旭川通運のDE15形1521号機は、1976年(昭和51年)日本車輌製造製で、製造番号は3254です。元旭川運転所所属の車両で、2007年の廃車後、旭川通運の入換機として使用されています。ラッセルヘッド用の連結器とジャンパ栓は撤去されています。他にも改造箇所はあるでしょうか。

●13時過ぎの入換

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■昼過ぎに入換を開始                 2011年8月11日

 13時過ぎの入換は、季節に関係なく日曜祝日以外は実施されます。この日は13:45頃に始まりました。

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荷役待ちのタキ車を引き上げると、荷役線のタキ車と連結してそのまま奥へと押し込んでしまいました。北旭川発本輪西行きの返空は1本の列車になりますので、荷役中の入換ついでに列車の組成まで終えてしまうのですね。

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入換を終えたDEは単機で側線へ向かい、

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14時前には早々に動車庫へと入ってしまいました。あとはJR機が取りに来るのを待つばかりです。

●予備機 D5603、DD1340

 荷役線の脇の側線奥には、DEが導入される前に活躍していたD5603と、当時の予備機DD13形40号機が留置されています。

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D5603は、汽車会社を吸収した川崎重工(大阪車両部)において1972年9月に製作され、苫小牧港開発へ納入された車両です。苫小牧港開発は1998年に廃止されましたが、D5603は一足先の1996年に廃車になり、旭川通運へ譲渡されています。苫小牧港開発へ先に納入されていたD5601、5602は汽車会社製のため、D5603もその設計を引き継いでいるのかと思いきや、キャブ以外はかなり異なるようです。川重製のD5603~5606は、冷却機構の見直しによりラジエーターが大型化したため、全長が伸びています(13,600mm→14,000mm)。

渡辺台帳と川重の社史をベースに、苫小牧港開発の同型機をリスト化しておきましょう。

  • D5601 … 1969年12月、汽車会社製、製番3411
  • D5602 … 1969年12月、汽車会社製、製番3412
  • D5603 … 1972年 9月、川崎重工製、製番3724
  • D5604 … 1972年10月、川崎重工製、製番3725
  • D5605 … 1972年11月、川崎重工製、製番3728
  • D5606 … 1977年10月、川崎重工製、製番4045 (403ではないので注意)

鉄道ピクトリアル2007年12月号に掲載されている『私鉄のDD13 主要諸元表』によると、D5601、5602の製造年月は1968年11月になっています。通常、メーカーの資料でも1~2ヶ月のズレは時々あるのであまり気にしませんが、1年となると話は別です。何らかの理由で、どちらかが間違っているのではないかと思われます。

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■名古屋貨物ターミナルで入換中の、名古屋臨海鉄道ND55213 2010年1月、荒子

D5604、5605は、1998年4月の廃車後、名古屋臨海鉄道に譲渡され、部品取りされた車体がまだ現役です。ND55213は、D5604の車体を使用しているとされています。苫小牧港開発機の特徴として、キャブの乗降扉が前後各1箇所しかなく、扉の無い側は運転台前面窓が横長になっている点があげられますが、ND55213はまさにその特徴を備えています。もっとも、この車両に限らず台車・エンジンも含めて振替が頻繁に行われている名臨のことですから、実車をじっくり観察すると文献とは異なる結論にたどり着くことも少なくありません。本を読んだだけで分かった気になっていてはイカンのです。

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もう1両の予備機は、めったに動くことの無いDD1340です。1959年日本車輌製造製の国鉄DD13形40号機で、製造番号は1798、1979年9月廃車。イコライザー台車DT105が渋いですね。めったに動かないとはいえ、この世代の車両が現役というだけでも驚きです。DD13形は、エンジン出力を増大(DMF31S→DMF31SB)させた111号機から冷却機構の見直しが行われ、冷却ファンの回転軸の向きが90度変わっています。このため、この40号機を含む110号機以前の車両は前面と側面に吸気口がありますが、111号機以降では吸気口は側面のみに変更されています。

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