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2013年1月

2013年1月27日 (日)

★長野総合車両センターのスイッチャー★協三25t

 日本国内で稼働中のスイッチャーの中で、製鉄所のものを除くと、最も撮影が困難と思われる長野総合車両センターのスイッチャーを紹介します。

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 長野総合車両センターは、信越地区で運行されている車両の全般検査や改造工事などを担当しています。工場入場中の車両は、編成を解かれると自走することができませんので、車両入換用の黄緑色のスイッチャーが1両配置されています。このスイッチャー、平日はほぼ毎日動いており、撮影チャンスが多いように思われますが、実際には写真を撮れる場所まで出てくることはめったにありません。

スイッチャーが頻繁に動いているのは長野総合車両センターの留置線(+入出庫兼引上線)ですが、その東側には工場棟が、西側には北陸新幹線の高架線が配置されているため、通常敷地外からでは上の写真のような角度でしか撮ることができないのです。

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沿線の少し高い場所から撮っても、このように存在確認ができる程度で、まともに撮れる場所はありません。

 それでは諦めるか……否、より困難であればあるほど燃えるのがマニア心理というもの。撮影困難なスイッチャーの代表格に製鉄所の機関車がありますが、日本国内にある一貫製鉄所15工場のうち13工場で機関車を撮影してきた自負がありますので、JRのスイッチャー1両を断念している場合ではないのです。

戦略的には、手前まで出てくる条件を探るのがすべてです。その条件とは、

  1. 被牽引車が8~10両程度と長めであるとき
  2. 南側の解体線付近の車両を入れ換えるとき

のいずれか、ということになります。条件1より2の方が頻度は高いですが、スイッチャーが動くのは平日ですし、いつ動くのかわからないため、計画的に撮ることができません。

では条件1はどうでしょう?

長野総合車両センターでは、首都圏への新車投入により不要となった車両を他地区へ転属させるための改造工事も実施しています。首都圏から配給されてきた10両程度の長い編成は、このスイッチャーによって分割され、入れ換えられて各々工場棟へ向かいますから、配給直後を狙えば条件1に合致する、ということになります。

 2013年1月11日金曜日。翌土曜から月曜の成人の日に向けて連休となるため、この日はたまたま年度初めから休暇を申請していました。連休の予定はまだ固まっていなかったのですが、前日の1月10日昼休みにSNSをチェックしたところ、幕張車両センターから長野総合車両センターに向けて配給列車が走っているとの情報を入手しました。長野行の配給のスジは何パターンかありますが、10日の長野行は正午前後に武蔵野線内を通過するものでした。となると、八王子を14時頃通過し、長野に20時過ぎに到着、そのまま機関車が旧長野運転所まで搬入するパターンです。翌日のスイッチャーによる長編成入換がほぼ確定しますので、11日は長野に行くことにしました。

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 東京を早朝に発つあさまに乗り、9時前に長野に着けるように行けば十分です。上のように、9時過ぎに動車庫からスイッチャーが出てくれば、入換は確定です。

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スイッチャーが工場棟側に退避すると、長野車両センター所属のクモユニ143-1が、前夜に幕張から到着した211系10両編成を、旧長野運転所からゆっくりと引き出してきました。クモユニの役割は、運転所から工場脇の留置線へ車両を移動することです。スイッチャーは工場の持ち物で、運転所へ入ることができないための、クモユニが登場します。

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電磁直通ブレーキ車(クモユニ)と、電気指令式空気ブレーキ車(211系)の併結は興味深いものがあります。首都圏のクモヤ145の中には、ブレーキ読み替え装置を装備したものもありますが、このクモユニはどうなのでしょうか。

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この位置まで引き上げると、工場棟脇へ押し込みました。

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クモユニの入換が終わると、今度はスイッチャーの出番です。逆光でもありアングルを変えたいので、走って反対側へ回り込みました。

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するとようやく、スイッチャーを間近で撮ることができました。敷地外よりフェンス越しですから、レンズの大きいカメラでは撮れないでしょう。

  • 製造年  1998年
  • 製造者  協三工業
  • 自  重   25t 
  • 機械番号 06-28-01-010

1998年製と、長野新幹線用E2系より新しいのが目を惹きます。また自重も、このタイプで一般的な20tではなく25tというのも興味深いです。車両工場の入換機については、岩堀春夫著『鉄道番外録6』に比較的詳しい情報が掲載されていますが、そこに載っていないスイッチャーを見つけられると、喜びもひとしおです。

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専用線のスイッチャーは、ステップも簡易的なものが多いですが、車両工場のスイッチャーは手摺などがしっかりしていて安全への配慮が窺えます。キャブ側の連結器は密着連結器のみとなっています。

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何度目かの入換でボンネット側も。ボンネット側の連結器は、自連と密連の双頭連結器になっています。

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今度は側面から。よく見ると前輪がグレーになっていて後輪とは色が違いますね。ちなみに入換中の211系幕張車は、長野色に塗色変更されて長野支社管内で使用される予定です。

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幕張車の入換が終わると、今度は高崎車の入換が始まりました。この場所は、改造や解体待ちの車両が留置されるスペースで、外から見ることができます。

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入換中に移動して、さらに別の場所から。長野総合車両センターのスイッチャーを十分に満喫しました。

 写真を見るだけなら簡単そうに見えますが、撮影するにはそれなりの情報収集力・推理力、そして経験と勘が求めらる、そんなスイッチャーでした。このスイッチャーの写真をネットで検索しても、ボンネット側(正面)から撮影した形式写真がほとんど出てこないので、貴重な姿を記録できたと思います。

なお、長野総合車両センターでは毎年秋に公開イベントが開催されることが多いのですが、動車庫のある場所は公開エリア外ですし、展示車両を元の場所へ戻すための入換作業は当日実施されませんので、撮ることはできません。

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2013年1月23日 (水)

★430000アクセス突破★えちぜん鉄道殺人事件!?

 毎回時事ネタor地元ネタを中心に展開中のアクセス突破記事。今回は、西村京太郎原作の2時間ドラマから。

えちぜん鉄道のホームページにその告知があったのは、先週のこと。TBSのドラマ『特急「しらさぎ」殺人迷路 ~越前菊人形の謎~』にえちぜん鉄道が登場するという内容でしたので、録画して見ることにしました。

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■北陸本線を下る特急しらさぎ    2010年8月13日、新疋田付近

 ドラマには、列車ダイヤを活用したトリックなどは特になく、死亡した登場人物の周辺にいる疑わしい人物を片っ端からしょっ引いて、自白を引き出すという、推理モノらしからぬ展開でした(苦笑) タイトルになっている特急しらさぎも、福井(芦原温泉)への移動手段として登場するのみでした。

ただ、小説とは違い映像ならではの楽しみ方ができるのも魅力で、例えばMC6101形の走行開始時の音がなぜ吊り掛け車なのか?とか、福井県警のパトカーがなぜ横浜ナンバーのレンタカーなの?とか、あれ?西本刑事って森本レオじゃないのか、などと今更ながらの発見もあったり、楽しかったです。

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■えちぜん鉄道勝山永平寺線MC6101形6112  2011年1月10日、山王

で、肝心のえちぜん鉄道ですが、あわら湯のまち駅で西本刑事がMC6101形に乗車するシーンが早々に登場してしまったので、これだけなのだろうかと少し拍子抜けしましたが、いやいや待てよ…捜査に行き詰ると必ず「現地へ行く」のが鉄則の十津川警部のことですから、必ずもう1回登場してくれるはず、と思っていたら、こちらの期待通りおよそ1時間後にあわら湯のまち駅の駅長さんが登場。しかもちゃんとセリフまでありました(笑) できれば、アテンダントが車内で案内するシーンなんかがあったら良かったのに、と思いました。

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■福井口旧車庫に留置されたMC2101形2114-2115号  2013年1月19日

 ところで、2013年1月15日にMC7000形ことJR東海119系改が搬入され俄かに注目を集めておりますが、1月19日に訪れたら、搬入した場所にMC2114-2115が留置されているのを発見しました。撮れる場所がないので車内から。貫通扉の両側に取り付けられていた、えちぜん鉄道お得意のアンテナが外されていることから想像するに、もうこの車両が本線上を自力走行することはないと思われます。留置されていた線路は架線が張られていないので、おそらく7001形同様にスイッチャーで車庫から持ってきたのだろと推察します。

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■車庫内で入換中のMC6001形6002   2012年7月14日、福井口車庫

なお写真を撮ったついでに本社の方に伺いましたが、7001形の工事が終わるまでの間は、業務多忙により工場見学は受けて付けていないとのことです。私は7001形には正直あまり興味がないので、いま工場見学を申し込めば中で見られるだろうなどという邪心は持ち合わせておりませんが、そういう方がいないとも限らないので、念のため。

兎も角、新しい車両は運行開始すればいつでも見られるようになるわけですから、気長に待つのが賢明です。どちらかというと古い車両が走っているうちによく見ておく方が大切ですね。

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■快速福井行き3716Kに充当されるMC2101形2113-2112  2012年8月17日、越前開発-福井口

 日本全国に私鉄は数あれど、大手・準大手以外で複線区間のある事業者となると限られます。距離の長いものでは関東鉄道、長野電鉄などが思い浮かびますが、福井の2社(えちぜん鉄道・福井鉄道)にはいずれも複線区間があります。

それにしても、行先がゴシック体なのに、種別が明朝体イタリックなのはなぜなんでしょうか。ここはひとつ、十津川警部ばりの推理力を働かせるか、はたまた聞き込みをしてみるか…。

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2013年1月21日 (月)

プッシュプルトレインに関する雑感

 今日は月刊鉄道雑誌の発売日。ちょうど仕事の都合で午前中外出する機会があったので、昼休みを利用して本屋で物色。

鉄道ピクトリアルアーカイブスコレクション24「貨物輸送1960~70」は即購入するとして、目を惹いたのがレイルマガジンに掲載されていた岩成政和氏によるプッシュプルトレインの解説です。鉄道用語が拡大解釈されて本来の意味とずれてくるというのは時々ある話で、ものによっては私も気になることがありますが、原則論と趣味的な観点のバランスがよく、興味深い記事になっていました。

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■Wendezug von DBAG  27-4-2012, DuisburgHbf - EssenHbf

 上の写真は、ドイツ鉄道のインターシティです。編成の先頭(左写真)にSteuerwagen(シュトイアヴァーゲン=制御車)が連結され、最後尾(右写真)に連結された101形電気機関車を遠隔制御し、160km/hの猛スピードで推進運転しています。

欧州ではこのように、ドイツやスイスを中心に幹線の優等列車(インターシティ)から亜幹線の各駅停車(レギオナルバーン)に至るまで、プッシュプルトレインが一般的です。最近では電車や気動車など動力分散方式の編成が増えていますが、輸送力をより柔軟に調整できることから、現在でもプッシュプルの編成をよく目にします。岩成氏も言及しているように、このような運転形態の列車は、振り子のように行ったり来たりすることからPendelzug(ペンデルツーク)と呼称されています。ただしドイツではこの用語の指す範囲が広く、特定の区間を往復しているシャトル列車のようなものも含まれることがあるため、より限定的な意味で表現されるときにWendezug=ヴェンデツークと呼称されることが多いようです。

Wendezugが登場した第一の理由は、頭端式(行き止まり式)のターミナル駅が多い欧州においては、到着→発車時の機関車付け替えを省くことが、列車の円滑な運用を行ううえで重要であるからにほかなりません。日本でプッシュプルトレイン(…と鉄道趣味者から呼称されるもの)が成立するのは、機回しができないあるいは面倒だとか、橋梁の重量制限がある、といった地上設備の制約が主な要因になっています。ターミナル駅の構造も地上設備の制約といえなくもないですが、プッシュプルにしなければならない理由が日本のそれとは大きく異なっている点に注意する必要があります。

 本来のプッシュプルトレインは、動力車(機関車や運転室付の電車・気動車)が付随車を伴っている編成を暗黙の前提として(このあたりがいかにもヨーロッパ思想)、編成の反対側(運転室の無い側)にも運転室を設けて前後に走れるようにした列車(編成)のことです。日本の法規には明確な規程がないかもしれませんが、実は日本工業規格にはっきりと定義されています。JISハンドブック鉄道2012には、「プッシュ・プル列車」について次のように示されています。

一方に機関車,他方に制御車を配置した列車で,
編成の組換えなしにいずれの方向へも運転ができる列車。

この観点から、プッシュプルトレインという用語の意味は、日本に持ち込まれる際に変質したのではなく、日本で使用されるうちに拡大解釈されるようになったというべきでしょうね。

さらに付け加えるなら、ドイツでも客車の前後に機関車を連結し、機回し無しで往復できるようにした編成もまたWendezugと呼ばれている現実を踏まえる必要があります。

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■Wendezug mit Zweiloks,  1-5-2012,  Koblenz

前述のとおり、電車や気動車が増えた結果、機関車が余り気味のドイツでは、客車に制御機能を持たせるくらいなら、あまった機関車を制御車代わりに連結してやれということで、上のようないわゆる日本風プッシュプルトレインも運行されています。こういった編成は、亜幹線のレギオナルバーン・レギオナルエクスプレスを中心に時折インターシティにも見受けられます。インターシティ用客車を101形電気機関車でサンドイッチした編成を見たこともあります。かような実情に鑑みれば、JIS規程の「制御車」を「制御機能を持った車両」と拡大解釈し、機関車2両で客車や付随車を挟んだ「プッシュプルトレイン」も許容するのが自然な流れでしょう。

 言葉は生き物ですから、時代が変われば意味・用法が変質するのは避けられません。例えば「独壇場(どくだんじょう)」という単語がありますが、これは元々「独擅場(どくせんじょう)」でした。手へんを土へんに誤用したことがきっかけで広まり、現在では国語辞典にも載っている単語です。要は、本来の意味・用法を理解しているのかどうかが重要なのであり、分かったうえで使っていればそれほど大げさな議論するような問題でもないと考えます。

ラテン語ベースで欧州各国の人々には馴染みやすい筈のエスペラント語が、新語の発明を認めないという性質ゆえに、言語としての汎用性を失い普及していないのも、言葉本来の性質を殺していることに因ると私は考えます。国語学者が何と言おうと、役所がどのような法令を定めようと、鉄道趣味者の間で広く共有されている単語(ないし新しい意味・用法)は、認めていくしかないでしょう。欲を言えば、本来の意味が共有されているという前提は欲しいところですが。

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2013年1月16日 (水)

★425000アクセス突破★近江鉄道向け甲種輸送と竣工間近の富山地鉄T102号

 昨年12月中旬に関西方面へ行く用があったので、その用を18日に設定し、大垣に前泊して西武101・301系の近江鉄道向け甲種輸送と、アルナ車両を見物してきました。

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鉄道ダイヤ情報に掲載された時刻を見ると、列車で追いかけても合計4回(彦根での入換を入れれば5回?)撮影できるのですが、この日はクルマ。最初は南荒尾信号場-関ヶ原間にて。たぶん旧新垂井駅付近と思われますが、よくわかりません(笑)

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近江長岡でも伊吹山は見えず…。


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米原以西ではだいぶ明るくなりました。


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梅小路(京都貨物)からの折り返しはDL牽引でした。2011年3月改正での城東貨物線電気運転化により、吹田にはもうDD51が配置されていないので、DE10です。

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その後アルナ車両を覗いてみると…富山地鉄T100形電車T102号の整備中でした。最初は検査中なのかと思いましたが、携帯で検索してみると地鉄にはまだT101号1本しか導入されていないようなので、このT102は新車ということになります。

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これが2012年現在運行中のT101。電鉄倶楽部さんのホームページによると、先日T102が地鉄に搬入されたようです。これからが楽しみですね。

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2013年1月13日 (日)

★JR九州★鹿児島工場のスイッチャー

 JR九州西鹿児島駅の南方には、指宿枕崎線の線路に沿って鹿児島運転所が広がっています。南九州一円で運行されている電車・気動車が所属する一大拠点で、かつては機関車や客車も数多く配置されていました。(2012年現在は、西鹿児島→鹿児島中央、鹿児島運転所→鹿児島車両センターと改称されています)

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鹿児島運転所の北東寄りには、車両の全般検査や重要部検査、車両改造工事などを施行する鹿児島工場が隣接して設けられ、小倉工場と共にJR九州の基幹工場として重要な役割を担っていました。鹿児島車両所と改称されて以降は、一時、鹿児島市電の冷房改造工事や車両の新製(2100型、2110~40型)まで手がけたこともあります。鹿児島車両所は、1997年11月に鹿児島運転所と統合され鹿児島総合車両所となり、2011年3月、東日本大震災と九州新幹線全通のニュースに埋もれる形で、工場機能がひっそりと廃止されました。 (鹿児島車両センターへ改組)

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■鹿児島工場跡地。2012年現在、全般検査は実施されていない。

鹿児島工場の入出場線は、かつては西鹿児島駅とも接続しており、工場から直接駅へ出場することもできましたが、私の記憶の限りでは、JRが発足した頃には配線が整理されていて、鹿児島運転所との連絡線しか残っていなかったと思います。

写真左手に広がるのが旧鹿児島工場です。中央のフェンスより右手の線路は、左から順に、鹿児島運転所入出場線、指宿枕崎線本線、鹿児島本線下り本線、同上り本線です。工場から写真右奥にある鹿児島運転所へ出場する車両は、建屋から出て一旦写真手前の引き上げ線へ入った後、スイッチバックしてフェンスのすぐ左の連絡線を走行して運転所へと向かいます。

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この日は415系の出場に遭遇しました。全検を実施しなくなっているため、編成を分割されることのない車両は自力走行できますから、スイッチャーが出てくることはめったにありません。

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2011年3月まで、全検前後の車両の入換は工場に配置されたスイッチャーによって行われていましたが、工場機能廃止後はどうなっているのでしょうか。去就が気になっていたところ、とある方の伝手で特別に見学させていただくことができました。

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 鹿児島総合車両所の入換機は、協三工業製20t機1両(左)と、DE10 1755(右)です。

前者は旧鹿児島工場配置のスイッチャーで、前述のとおり検査中の車両入換に使用されます。しかし、2011年4月以降は工場機能がなくなったため、使用する機会はほとんどありません。

後者は、旧鹿児島運転所の入換機で、尾久や札幌のように、運転所内の客車の入換が主たる任務でしたが、客車列車が全廃されたために活躍の場が激減しています。2012年現在、工臨やマヤ34を用いた軌道検査のために本線上に出てくるのがせいぜいです。かつては、ヤ550、トラ70000、ヨ8000を用いた桜島降灰後の散水列車にも使用されましたが、現在これらの貨車がすべて保留車となっているため、鹿児島運転所⇔鹿児島駅側線の間で保留車の移動を行う場合を除き、原則として運行されることはありません。

 そんな中、2012年に注目を集めたのが、小倉総合車両センターへの配給列車です。鹿児島の工場機能が廃止され小倉に統合されましたので、もう鹿児島では車両の解体を行うことができません。廃車予定の485系を従えた配給列車が日豊本線を全線走破する姿が逆にファンの注目を集める結果となっています。スイッチャーマニアとしては、廃車予定の保留車の足回りを小倉配給前にチェックする際に、今回紹介するスイッチャーで入換を行っている点も、大変興味深いところです。

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■1982年協三工業製20t機、機械番号06-28-01-001、製造番号A20116

 このスイッチャーは、協三工業の2軸スイッチャーの中でも比較的新しいグループで、世代的には、遠賀川レールセンターの20t機(同じ1982年製の20t機で製番A20109)などが同型といえそうです。ただし、後年の改造によるものなのかは不明ですが、このタイプの移動機に必ずあるはずのキャブ下の切欠き(手歯止め置き場)がなく、ボディと台枠が面一になっているのが特徴です。手歯止めはボンネットの梯子に差し込んでありますね。

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入れ換る車両を連結するボンネット側のみ、自連と密連の双頭連結器を備えています。電車・気動車の入換には必須です。

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JR九州発足以降5~10年の間に登場ないし改造された車両は、パノラマライナーサザンクロスや783系ハイパーサルーンに始まり、485系RED EXPRESS、キハ200系、813系、713系、303系、103系1500番台まで、とにかくなんでもかんでも赤塗装でした(笑) ステンレス車はまだおとなしいもので、鋼製車は塗色変更の格好の餌食。民営化後1~2年の間は、大分車両センターのEF81形400番台まで、ローズピンクではなく赤に塗られていたこともあるほどです。このスイッチャーもかつては異なる色だったと思いますが、コーポレートカラーに塗装され、全面ラジエーター開口部にはご丁寧に赤いJRマークが取り付けられています。

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表には、なぜかあそ1962とC51が展示されていました。短い時間でしたが、車両センターの方と手配してくださった方に御礼をして現地を後にしました。

 なおこれまで、スイッチャー目当てで全国各地の専用線や工場を訪れてきましたが、ごく稀に現場の方のご厚意で写真を撮らせていただくことがありました。ですが、原則として弊ブログにそのような写真を掲載することはありません。不特定多数の方々が閲覧しているネット上に写真を出せば、他人が良いなら自分も撮って構わないのだと、身勝手な解釈をする方が出てこないとも限りませんし、そういうことが続けば現場の方々に迷惑がかかるからです。恩を仇で返すわけにはいかないでしょう。ただこのスイッチャーに関しては、もう工場がなくなっているので、大きな問題はないと判断し掲載することにしました。以上の主旨をご理解ください。

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 さて、鹿児島のもう一つの見どころは、鹿児島運転所です。九州新幹線全通時のダイヤ改正で車両の運用が変わり、783系が久々に鹿児島へ戻ってきました。写真は、夕方に特急きりしまとして鹿児島中央駅に到着後、運転所へ回送されるところです。

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鹿児島運転所は、家から墓参りに行くときに必ず通る経路上にありますので、1980年代後半以降は1~2年に1回は訪れて写真を撮っています。西側には運転所と並走する道路があり、中の様子を見ることができます。特に、最も西側にある線路(最西端は指宿枕崎線の本線ですので、その1本東側)にはしばしば保留車が留置されることがあり、引退間近の車両の形式写真を比較的容易に撮影できる場所として、地元マニアの間では有名になっています。といっても鉄道マニアと鉢合わせしたことは一度もありませんが。

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2012年11月上旬には、このように717系がずらりと並んでいました。

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奥には485系きりしま・ひゅうが色の姿も。717系も製造両数が少ない割にバリエーションがあって興味を惹かれますね。上は前期型(戸袋窓あり)、下は後期型(戸袋窓なし)ですが、戸袋窓の有無だけでなくユニットサッシの間隔も微妙に違うんですよね(単純に窓を無くしたわけではなく車体を再設計している)。むかしどこかのガレージキットメーカーから717系のコンバージョンキットが出たときには、買おうかどうしようか相当悩みましたね。結局購入はしませんでしたが、本気で作る気でいたので寸法の違いにはうるさくなりました(苦笑)。

●ここ数年の鹿児島運転所

 フィルム時代の写真をアップロードしていると、サーバー容量がいくらあっても足りませんので、まだデジタル化はしていません。したがってデジカメ画像からピックアップします。

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 まず直近で2012年1月下旬の様子から。この頃はもう定期運用を持たなくなっていたでしょうか。鹿児島中央→川内間で運行されていたホームライナーのヘッドマークを出していますが、反対側は…

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きりしまでした。車体がだいぶ草臥れています。鹿児島の場合、車体が汚れる原因として錆だけでなく降灰もあるので、ちょっと清掃しないとすぐこうなります。国鉄時代は現役の客車でもこの程度に汚れているのはざらにありました。

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奥にもう1本留置されていました。よく比較するとタイフォンの形状が異なりますね。どちらもスリット式ですが、右は上下に分割されたタイプ。あまり見栄えはよくありません(苦笑)

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こちらは工場の方。この頃はまだ工場機能がありましたが、外に留置されている車両は保留車か廃車になって解体待ちのものが多かったです。

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余所から新しい車両が転入してきて在来車両が置き換えられた場合、ダイヤ改正前後の短い期間で一気に廃車が進むわけもなく、使用しなくなった車両をしばらく留置しておく必要があります。鹿児島総合車両センターだけでは留置場所が不足するため、一部の車両は上のように隣の鹿児島駅の側線に疎開留置されることも珍しくありません。

ところで、保留車の疎開留置といえば、かつて国鉄末期~分割民営化後数年間は、伊集院駅の電留線が使用されることも多かったですね。この電留線は、1970年7月に鹿児島本線の茂頭信号場-伊集院間が複線化された際に不要となった旧線の軌道敷を一部流用して建設されたものです。電化が進み電車特急が増え、鹿児島運転所だけでは留置スペースが不足するために設けられたものでした。私の記憶にはっきりと残っている1980年代後半にはもう電留線としての機能は失われていて、581系電車やら20系客車やらがボロボロになって放置されていたのを覚えています。

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 さて次は2010年9月の様子です。九州新幹線部分開業から全線開業までの間の、485系が大量集結していた頃 です。きりしま運用では見たことがありませんが、多客期のにちりん運用には、上のような編成を2編成繋いだ6両編成もよく見かけましたね。そんな編成で片方が「きりしま・ひゅうが色」だったりすると、若干迫力には欠けますがかつてのかもめ+みどり+ハウステンボスを髣髴させる雰囲気がありました。

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 でこの時は、保留車の14系客車の脇に先述の降灰対策編成の姿も。ヤ550形の側面にある「鹿」の表記も最近では珍しくなりました。ちなみに、写真の14系客車は同年11月29日付で谷山港からマレーシアへと輸出されています。

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行先方向幕をよく見てみると、「特急 富士 西鹿児島」の表記が…。こういう遊び心は好きですね(笑)

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 次は2009年6月の様子。この緑のきりしま編成は以前紹介した保留車復活組です。

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クハ481-256の形式。

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この当時鹿児島車両センターに配置されていた415系は、5本すべてが勝田電車区へ新製配置され常磐線で活躍していたものです。18年間常磐線沿線で過ごした者としては、生まれ故郷で同じ車両に巡り合うというのも感慨深いものです。

カラーリングは、新製時国鉄色でしたが、1985年の科学万博つくば85開催に合わせて常磐線色となり、1986年に南福岡電車区転属後もしばらくは常磐線色のまま使用され(1987年8月に博多駅で撮影しています)、その後九州色となり、現在に至っています。

Kagoshimasyaryo20090603

この時は、降灰対策編成が随分手前に留置されていました(上写真の右端)。といっても…

Kagoshimasyaryo20090604

さらに手前に475系保留車が留置されており、写真を撮ることはできませんでした。私は475系が結構好きなのですが、この時ほどその存在を恨めしく思ったことはありません。

Kagoshimasyaryo20090607 Kagoshimasyaryo20090608

717系200番台の形式写真が綺麗に撮れたのがせめてもの慰めでしょうか。

●おまけ

Kagoshimasyaryo20010901

 コンデジで撮ったものの中にこんなのがありました。2001年9月の鹿児島貨物駅構内です。トラ70000+ヤ550と475系に挟まれているのは…クモヤ740と思われます。2012年現在、草むらの場所は駐車場になっていますが、当時はJRの敷地で入ることはできませんでした。近づいて撮影できなかったのが悔やまれます。

Kagoshimafreightsta

鹿児島貨物駅が鹿児島貨物ターミナルになったのは2004年3月で、この時に荷役線の線増と引き上げ線の電化が行われました。電気機関車で入換ができるようになったため、入換動車による入換は廃止されています。2001年9月に現役だったのは上のような協三工業製20t機でした。上の写真の場所も、2012年現在は駐車場になっていてもっと左方向から撮れますが、当時はJRの敷地で入ることはできませんでした。

かつて九州内では、川内、八代、上熊本、鳥栖(田代)、鍋島、鶴崎など、複数のJRの貨物駅(専用線ではない)で入換動車が活躍していましたが、いずれもE&S化ないしORS化に前後して姿を消し、2012年現在残っているのは西大分のみとなっています。

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2013年1月 9日 (水)

★420000アクセス突破★松戸電車区ツアー

 2012年12月8日、JR東日本松戸電車区の見学ツアーが開催されました。このツアーは、普段入ることのできない松戸電車区と松戸電車区我孫子派出を団体専用列車で巡るという内容で、JR東日本のびゅうプラザで申し込むことができます。

※私は最近の「○○車両センター」なる呼称にどうも馴染めないため、本記事では国鉄時代の正式名称を用います。あしからずご了承ください。

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団体専用列車の始発駅は北千住ですが、私は松戸駅から参加することにしました。北千住からの参加者は1~5号車、松戸からの参加者は6~15号車があらかじめ指定されます。申し込み時に号車指定ができますが、この企画は毎回定員割れしており車内を自由に移動できるほど空いていますので、特にこだわる必要はありません。

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専用列車9445M我孫子行きの運転台には、行先方向幕もどきの表示板が設けられていました。LEDではファンにとって有り難味がないというのは企画する側も自覚しているようです(笑) 列車は、特別快速よろしく柏駅を通過し、あっという間に我孫子駅へと到着します。

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…と言っても到着するのはホームのない中線の3番線です。普段この線路に停車するのは団臨か試運転列車、入出庫車両のみですので、乗り鉄としては貴重な体験ができますね。右の4番線を直進すると成田線に進みます。左の2番線を直進すると我孫子派出に入ります。

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成田線と分かれると、

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ほどなく我孫子派出に到着します。常磐快速線用E231系、緩行線用E233系が迎えてくれます。かつては鋼製車の103系とアルミ車の203系が入り混じって楽しかったのですがね。

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最奥まで到着すると、なにやら駅弁のような荷物を積み込みました。実はこのツアーの料金には、松戸電車区内で食べる弁当代も含まれているのですが、ツアー客用の弁当にしては数が少なすぎます。この荷物の正体は最後まで分かりませんでした。

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我孫子派出の竣工は比較的遅く、常磐線の複々線化に合わせて1971年2月4日に電留線の使用を開始、残工事の竣工を待って1971年4月20日に営業を開始しています。その敷地は、最大幅が南北に100m、東西に2,000mあり、面積は96,000mです。用地は利根川の沖積平地と下総台地にまたがっており、沖積平地では砂の層が厚く地盤が軟弱であったため、かなりの難工事だったようです。

このような地形のため、西側(沖積平地部分)は地面を盛土で嵩上げしており、外からは見えません。東側(下総台地を削った部分)は逆に掘割のようになっていますが、常磐線の上下線に挟まれており、やはり綺麗には見えません。走行する電車の車窓からは見えますが、トップスピードで通過する区間のため、写真は撮れません。つまり、こうして構内で停車するときにしか撮影チャンスはないのです。そして、構内でしか見られないあるものを記録する……それが今回ツアーに参加した最大の狙いです。

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これが今回の目玉。北側の車輪転削線で入換に使用されている、テレコンアントです。松戸電車区には車輪を削正する設備がないため、ここ我孫子派出で実施しているわけです。この日は土曜日でしたが、ランプが点滅してエンジン音も聞こえましたので、土曜日でも削正は行っているようです。

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 さて、我孫子を出発した列車9446Mはいよいよ松戸へ向かいますが、北柏で小休止。線路は右から順に常磐線上り本線、上り副本線、中線、下り本線です。上り副本線は、団臨や貨物列車が定期旅客列車を待避する目的で使用され、2012年現在でも安中行き貨物列車が毎日14:40頃に停車しています。私はてっきり上り副本線で待避すると思っていましたが、中線に入りました。

ここ北柏駅は、複々線化前の1970年に開設された貨物駅をルーツとします。柏駅と我孫子駅の複々線化用地を捻出するため、両駅の貨物扱いを廃止する代わりに、この北柏駅に集約されたわけです。1971年に営団地下鉄千代田線との相互乗り入れが始まると、緩行線側に旅客の北柏駅が開業し、1984年に貨物駅の方が廃止されています。跡地の一部は集合住宅や保線基地になっていますが、上下線に挟まれた待避用の線路は2012年現在でも現役というわけです。

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中線に入ってくれたおかげで、追い抜く列車を撮れました。

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 松戸から先は、電車区の入出庫線を走行します。松戸駅を出た入出庫線は1kmほど常磐線本線と併走したあと、線路が1本増えて本線と分かれ、700mほど進むと松戸電車区に到着します。この入出庫線、山に挟まれておりカーブで見通しが悪く、この線路の先には何があるのだろうかという、あやしい雰囲気を醸し出しています。子供の頃よく自転車で訪れたものです。

上の写真で複線に見える線路は、信号システム上は単線並列ですので、どちらの線路からでも入出庫できます。電車区内には1群(1~5番線)と2群(6~19番線)の合計19本の線路があり、松戸駅から1群に入線する電車は上のように西側(進行方向右手)の線路を、2群に入線する電車は東側の線路を走行するのが原則です。もちろん電車区入口にも渡り線はありますので、例外的な入り方もできますが。どちらの線路も、電車の入換時には引き上げ線としても機能します。

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1群に向かっていた電車は案の定5番線に入りました。6番線には、松戸駅までの帰りの便となるE233系、そして10番線にはE657系が展示されていました。去年のようにE655系の方が盛り上がったでしょうに(苦笑)

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松戸電車区は、1936年に常磐線(日暮里-松戸間)が初めて電化された際に開設された由緒ある車両基地です。あまり知られていませんが、常磐線の取手以北が交流電化された際は、世界初の交直両用電車401系8両が配置されていたこともあります(1960年10月27日に、試運転の拠点であった宇都宮機関区より転入)。

2012年現在、看板は松戸車両センターとなっていますが、

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テントは嘘をつけません(笑) 「電車区」の「電」と「区」を消して「松戸車セ」、苦しいですね。

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電車区内には、各形式のさよなら運転時のヘッドマークがありました。弊ブログでも、203系207系 、いずれも記録済みです。

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103系の時は海外にいたような気がします。撮れないときは撮れませんね。

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最後に興味をひいたのが、ATカートです(写真左)。大地震のあと、軌道の状態を確認する際に使用するとのことです。このイベントの前日夕方に東京で震度5弱の比較的大きな地震がありましたが、出動するのは5以上の時で、5弱では使わないそうです。右の脚漕ぎタイプは現在では使用することは無く、年1回のイベントのときにしか動かないそう。「札の辻号」のヘッドマークを付けていますので、田町電車区からの転入かもしれません。

【参考】

  • 高野忠、田中良夫「常磐線 綾瀬-取手間線増工事」、『鉄道土木』1971年5月号、pp.246-250
  • 高橋省次、高橋正次「常磐線我孫子電留線の施行」、『鉄道土木』1971年5月号、pp.251-255
     

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2013年1月 1日 (火)

■謹賀新年2013■

2013nenga2

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