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2013年8月

2013年8月29日 (木)

★535000アクセス突破★姫路市営モノレールを観察する

 2011年5月5日、岡山県東部へ出張した帰りしな姫路駅で途中下車し、オープンしたばかりの手柄山交流ステーションに立ち寄りました。

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手柄山駅の跡が博物館として整備され、姫路市営モノレールの車両が静態保存されているのを間近に見ることができます。 

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ホームが展示スペースとされており、

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駅の雰囲気そのままに、車両をじっくり見ることができます。

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姫路市営モノレールには、片運転台の100形2両と両運転台の200形2両、合計4両の車両があったようですが、保存されているのは両運転台の200形2両です。

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車体側面のサボも、

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時刻表も当時のままです。しかし廃駅跡ではなく博物館なので、時計は正確な時刻を刻んでいます。写真を綺麗に撮るために人が少なくなるのを待っていたので、16:55、閉館間近になってしまいました(笑)

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車内も現役時代そのままとか。現役時代に乗ったことがないので、聞いたまま情報ですが。 

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製造されたのは1960年代中頃で、世代的には国鉄103系などと同じです。運転台もそんな時代の車両の雰囲気ですね。 

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手柄山駅の構内配線図もありました。向かって左手が姫路駅、右にあるのは引き上げ線です。姫路方向にスイッチバックして転線し、駅ホームと反対側に設けられた検車庫で車両の整備をしていたようです。手柄山駅を車止で行き止まりにしなかったのは、免許がさらに南(手柄山南)まであったことと、将来的に飾磨方向まで延伸することを視野に入れていたためのようです。当時は、飾磨で操業していた富士製鉄広畑製鉄所が高炉の増設を行っていた時期で、社会全体の景気も良く、プランとして悪くはなかったと思います。もっとも経営的には、それ以前の問題点が多々あったようですが。

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ということで、姫路市営モノレールに使用されていたレールは、まさにその富士製鉄製でした。1964年富士製鉄釜石製鉄所製の50-Tレール(1メートルで重さ53kg)で、フジエスの社紋もバッチリ残っています。フジエスをご存じない方は、こちらの記事を参照。

さて、ここまで見てきて、「え!? モノレールってゴムタイヤ駆動ではないの? 鋼鉄製のレールを走るの?」と思われた方は、ステーションの裏手に回ってみると面白いものが見られますよ。 

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そこにはモノレールの台車が保存されているのです。ロッキード式モノレールは、「モノ」と言いながらレールが4本あります。軌道上部にあるのがメインレールで、台車1台あたり駆動車輪2個が上から、上部安定用車輪4個がそれぞれ2個ずつ左右から、レールを押し付けます。軌道下部の左右に1本ずつあるのが安定用レールで、下部安定車輪が1個ずつ左右からレールに接触して走ります。

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軌道の南東側側面(左写真)にあるは安定用レール1本のみですが、北西側(右写真)には安定用レールの数十cm上に集電用レールもあります。物々しいインシュレーター(碍子)に支えられているのが、それです。ちなみにこの集電用レールは、4本目のレールでありながら第三軌条と呼ばれているそうです。

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 手柄山ステーションの入口付近から姫路城の方角を見てみると、モノレールの廃線跡が見えましたので、姫路駅への帰りは廃線跡巡りといきましょうか。 

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ステーションから見えた廃線跡は、手柄山公園の北端にあるバス通り沿いにありました。さきほど解説したように軌道を西側から見ていますので、レールが2本見えます。下が安定用レール、上が集電用レールです。しかし… 

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少し北進して山陽新幹線との交差部まで行ってみると……あれ!?

レールがありません。この部分だけわざわざ撤去したとも考えにくいのですが、帰宅後に調べてみると、神戸新聞1984年10月13日版にて、老朽化した送電線が落下する事故が起きたことが報じられていました。レールは事故処理に伴い撤去されたみたいです。まさに「噂の現場」といったところでしょうか。

ともあれ、山陽新幹線の新大阪~岡山開業が1972年3月、モノレールの運行休止が1974年4月ですから、この場所で新幹線とモノレールが動きながら交差していたのはわずか2年ということになります。もったいないですねぇ。 

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空中を走るモノレール。この光景を見て思うのは……

どんなに恐ろしいロッキード社製の武器を持っても、土から離れては生きられないのよ! といったところでしょうか。

ちなみに私が好きな飛行機は、ロッキード社製トライスターです。ボーイング社のどの飛行機より乗り心地は良かったですね。生まれ故郷鹿児島との往復でよく乗っていました。トライスターの最終便も、1995年11月30日の鹿児島発羽田行ANA626便だったそうですから、つくづく鹿児島と縁のあった飛行機ですね。 

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で、羽田と言えば東京モノレール。 

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昭和島の車両基地の裏手に回ると、昔の車両の台車が敷地外から見える場所に保存されています。日本の跨座式モノレールと言えば、このアルヴェーグ式(日立式)が主流ですね。

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2013年8月27日 (火)

【石巻港駅と日本製紙専用鉄道】震災前後定点

 2013年のお盆前、およそ3年ぶりに石巻港の日本製紙専用鉄道(専用線ではない)を訪れました。復旧した製紙工場内で活躍するスイッチャーを紹介する前に、東日本大震災の津波被害から復旧した石巻港駅と専用鉄道の、震災前と現在の定点比較をしてみようと思います。

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 まずは石巻港駅の入口から。左が震災前2009年1月の様子、右が2013年8月の様子で、いずれも駅入口にある踏切からの撮影です。石巻港駅は、国鉄時代から一般貨物と日本製紙専用鉄道のコンテナを両方取り扱っており、専用鉄道とJRの貨車の受け渡しは、かつて駅の北側にある授受線(左写真)で行っていました。震災前には既にこの場所は授受に使用されなくなっていましたが、専用鉄道の入換で一番北側の荷役線へ貨車を据え付ける際に、有効長の関係で踏切を渡る必要があったため、この場所の線路が使用されることがありました。現在では右写真のとおり授受線はすべて撤去されています。

コキ車の背後にある家が、震災前と同じ位置にあることが分かりますね。津波で浸水したと思われますが、住んでらっしゃる方は無事だったのでしょうか。

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 次は、同じ踏切から工場側を臨みます。左が震災前2010年4月の様子、右が2013年8月の様子です。水色のスイッチャーが停車中の線路とその1本右が専用鉄道で、工場内へ分岐していく線路も見えます(左写真)。その右にある緩い勾配を上っていく線路が石巻港駅に至るJR本線です。一番右の線路は、紙製品の加工・販売会社である七星社の専用側線です。七星社専用側線は、JRとの分岐点から荷役線までの長さがあまりにも短いことから石巻港駅の一部とみなされることが多かったのですが、JR貨物時刻表平成23年版にも掲載されているれっきとした専用側線でした。現在では右写真のとおり、線路はすべて撤去されて更地になっています。七星社専用線については、震災前の現役時代に入換も撮影していますので、追って紹介します。

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左は2010年2月の石巻港駅のヤード。2013年8月現在は北半分が更地になり、南半分に着発線とコンテナホームがつくられています(右写真)。

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かつて12本もの仕訳線が並んでいた場所は、線路がすべて撤去され、石巻港駅の本屋がつくられています。高岡貨物駅と同じような簡易的な造りですね。

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2010年7月、引上げ線から分岐する仕訳線にDE10がコキ4車を推進している様子(左写真)。この場所は現在コンテナホーム化されています。やや北東、新駅舎の北側はJRの敷地ではないため2013年8月現在ではまだ入ることができます。それが右の写真です。背後にあるシリンダ状の白と銀色のタンクの位置関係で、撮影場所の「ズレ」もおおよそ把握していただけるのではないかと思います。

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最後に、左が2010年7月に撮影した、仕訳線へコキを押し込んだDE10、右が同じ場所を北西側から見た2013年8月現在の様子です。DE10による仕分け作業が見どころの石巻港駅でしたが、震災後の復旧時に貨車の導線を見直し、線路配線をスリム化してのリスタートとなりました。

 なお震災当日、この工場に出勤していた従業員は全員避難して無事だったとのことです(当日非番だった2名が残念ながら亡くなっています)。同じく津波被害を受けた岩手県大船渡市でも、一般市民は大勢亡くなっていますが、太平洋セメント大船渡工場では1名の死者も出ていません。災害時には、個人の判断や努力もさることながら、トップの判断やガバナンスがいかに重要であるかを、あらためて思い知らされます。

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2013年8月25日 (日)

【秩父貨物】セメント工場休転予定2013

 セメント新聞によると、2013年度の国内全メーカーの国内セメント販売数量は4,700万tに達する見込みです。東北の震災復興需要もありますが、マスが大きいのはやはり首都圏の大型再開発案件のようです。

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 ここ十年ほどのあいだ、セメントメーカー各社は「販売数量年間4,000万tに耐え得る体制づくり」をキーワードに、生産体制の見直し、工場・SSの統廃合と物流のスリム化、人員削減などに取り組んできました。最近の新聞報道などでは4,800万tという試算も出ているようですが、現状では物流をスリム化して余力がないため輸送が追い付かず、また最終消費地(生コンや固化材、関連製品の納入先)での資材・人手が共に不足しており、現実にはそこまではいかないようです。

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さて、そんな状況でもセメント焼成釜(ロータリーキルン)は、消耗部位の補修のため定期的に火を落とす必要があります。今年のT社K工場の休転は9月中旬から10月上旬の間で実施されるようです。期間中は、貨物列車も運休が増えるものと考えられます。せっかく訪問したのに運休だった、などということのないよう、充分に情報収集をしておきたいものです。

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 ちなみに、上の写真に写っている武州原谷の45tスイッチャーですが、毎年5月頃に行われる工場の定期点検に合わせ、貨物列車が運休になる時期に検査を実施しているため、予備の35tスイッチャーが動くことはめったにないという曰くつきです。貨物列車の運休期間が検査期間より短いと、運が良ければ予備機を撮ることができます。もちろん今回の休転は検査時期とは数か月ずれていますので、期間中に訪問しても何も珍しいものは見られないと思います。工場が休転するから予備機が動くのではなく、あくまでも本務機が検査入りするから動くのです。そこのところは勘違いしないように注意したいものですね。

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2013年8月24日 (土)

【くろがね線を読み解く】第144回■上戸畑の撮影地消滅

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■敷地境界にフェンスができたくろがね線  2013年6月9日、戸畑第一操車場付近

 2013年6月9日、前日に旭化成専用線の予備スイッチャーを撮影して小倉へ移動し、この日は午前中にくろがね線、午後は黒崎工臨の入換本線走行を撮影することになった。

 去年、くろがね線がカーブしてくるのを俯瞰で撮れると紹介した場所に行ってみたところ、見事に敷地境界にフェンスが張られ、撮影できなくなっていた。場所を少し変えてフェンスを回避しても上のようになんとも言えない出来栄えである。この場所は、くろがね線の線路沿いで今まで唯一フェンスのない場所だったのだが…できればつくらないで欲しかった。

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2013年8月18日 (日)

★530000アクセス突破★くりでん動く!!

 毎年4月から11月まで月1回開催されている、くりはら田園鉄道の動態保存車両運転会。お盆前の連休に、仙台臨海鉄道、岩手開発鉄道、石巻港の日本製紙専用鉄道を訪ねるついでに寄ってみました。

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■2両連結で運行されるくりはら田園鉄道KD95 2013年8月11日、旧若柳駅付近

 ここは現役時代、2007年3月だったか廃止間際に友人I氏と一緒に訪問したのが最後でした。乗車会が開催される日は、廃線跡に設けられた500メートルほどの運転線を30分ごとに1往復するため、現役時代より撮影チャンスが多いというとても嬉しいことになっています。

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■腕木式信号機も稼働! 

運転線の末端には腕木式信号機もあり、信号小屋(写真右端)も設置されてしっかり動きます。

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でも本来の目的は、この動態保存車両DB101ディーゼル機関車が動くところを撮ることだったのですが…。新幹線やホテルの予約は1か月前には始まってしまうので、直前になって動かないことが分かってもどうにもならないという現実(苦笑) 執念でお願いして、なんとかキャブの中にある銘板の写真をランボード上から撮らせていただきましたが。

次回は動くときに再訪したいものです。

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2013年8月14日 (水)

◆日本セメント上磯工場専用鉄道◆No.5

 2012年度から増加に転じた国内セメント生産量。業界最大手である太平洋セメントの主力工場は、ロータリーキルンを3基有する大分津久見と上磯、以上2拠点です。上磯工場は、かつて合併前の日本セメント時代に、鉱山から工場までを専用鉄道で連絡し、セメントの原料となる石灰石を貨車で輸送していました。

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当時使用していた機関車が、江差線沿いの上磯工場近くの某公園に保存されています。今年のゴールデンウィークに渡道する機会があり、5月2日に五稜郭車両所のスイッチャーを撮影し終えてもなお明るかったため、ついでに寄ってきました。日没の遅い時季にしかできない芸当ですね(笑)

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すでに名取編集長のブログで何度か紹介されているため、諸元等は省略します。東洋電機製の同型機は、横浜の海の方にある同社工場内にも保存されています。

 

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上磯工場をバックに。

 なお、ロータリーキルンが2基稼働中の準主力工場としては、藤原工場と大船渡工場があります。秩父鉄道で原料の石灰石を輸送している熊谷工場のキルンは、わずか1基。意外に思われるかもしれませんが、実のところ熊谷は主力工場でもなんでもありません。鉄道マニアというのは往々にして鉄道のことしか見ていないので、よく勘違いされますが(苦笑)

 公共工事の減少に伴いセメント生産量が減ってくるなかで利益を確保しようと思ったら、ふつうは工場の廃止やSS(出荷基地)の統廃合、人員削減などの構造改革をしますね。ところが、セメントというのは単位重量当たりの価格が石油や他の製品に比べて安く、売上に占める輸送コストの割合が高い製品なのです。したがって、大口需要家が集中する首都圏に近い工場は、廃止して余所からセメントを持ってくるより、残しておいた方が都合が良い場合もあるわけです。算盤勘定の問題ですけどね。

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2013年8月10日 (土)

★525000アクセス突破★銀座線1000系甲種輸送

 前回記事で紹介した、2013年8月4日の銀座線1000系甲種輸送。その前日は別のイベントに参加したため、豊川からのJR線上の撮影は見送りましたが、よく考えたら別の日に撮っていました(笑)

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■日本車輌製造専用鉄道を走行し豊川駅へ向かう銀座線用1000系電車

およそ1か月前の7月6日ですので、おそらく1本前の編成かと思われます。

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■浜名湖付近を走行する銀座線用1000系電車

2013年3月のダイヤ改正で飯田線のダイヤが変わってしまい、撮影可能回数が減りました。今でも上の2枚は両立可能ですが、ダイ改前まではこれらに加え豊川駅の入線シーンも撮れましたね。

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■牧の原台地から銀座線用1000系電車を俯瞰ぎみに

金谷駅前からタクシーでこれも撮れます。¥1,000-くらいだったかと。駅への戻りもタクって静岡-小田原間で新幹線を使い、更に早川からタクれば、石橋の橋梁でもう1回撮れます。この時は天気も悪く、さすがにそこまではしませんでした(苦笑) ちなみに早川駅前にタクシーは常駐していませんが、すぐ近くの箱根板橋駅前に某タクシー会社の営業所がありますので、事前に駅前に呼んでおけば十分可能でしょう。

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2013年8月 7日 (水)

◆神奈川臨海鉄道千鳥線甲種輸送◆紅のDD5516+銀座線1000系

 弊ブログではこれまで、甲種輸送や特大輸送に伴って稼働する機関車を紹介してきました。甲種輸送が注目されるのは、輸送される車両が新車・廃車・譲渡車・輸出向けが多く車両そのものが珍しいことに加え、車扱貨物が激減している日本の鉄道貨物輸送の世界において相対的に注目度が高まっていることも遠因といえるでしょう。しかし、私はあくまでも輸送時にしか動かない珍しい機関車の方が目当てで、これまでも甲種・特大輸送にあわせ、専用線の機関車名鉄の機関車(デキ入換デキ3重連入換)、名古屋市交通局の機関車などを撮っています。

神奈川臨海鉄道千鳥線でも、川崎市営埠頭で輸出入される車両の輸送や、JRとは軌間の異なる鉄道事業者向けの新車を埠頭でトラックに積み替え陸送する目的で、甲種輸送列車が運行されてきました。しかし、毎回日曜日に運行されるとはいえ前述の理由でわざわざ撮影しに行くことはありませんでした。数年前に一度計画するも、直前に輸送予定が変わって空振りしたことも足が遠のいていた一因かもしれません(苦笑)

しかし…今回は事情が違います。2013年8月4日日曜日の銀座線1000系甲種輸送は、まさに「珍しい機関車」が牽引するからです。ふつうなら、前日3日に日本車輌製造を出場して東海道本線を上ってくるところから撮影する方が多いと思いますが、3日はなんといっても某製鉄所の公開日。読者のモビリオさんとともに高炉前の撮影場所で機関車を思う存分撮影していました。イベント終了後、東京湾をぐるっと半周し、例によって小島新田駅近くまで自転車を回送。準備も万端です。

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 この日は、神奈川臨海鉄道50周年を記念して塗装変更されたDD5516が牽引を担当します。塩浜機関区の南側を出発し、銀座線1000系が留置されている川崎貨物駅南側に到着したのは8:35頃でした。

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引き出してくるのは8:40頃でした。16メートル車6両編成だからかろうじて入りましたが、京王電鉄向けの20メートル車の場合、けっこう正面寄りから撮らないと最後尾まで入らなそうですね。 

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川崎貨物駅から分岐した直後のカーブへ姿を現すのは、8:58頃でした。赤と黄色の鮮やかな組み合わせが好ましいです。 

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千鳥町駅の通称西群線へ9:04頃に到着。ようやく紅のDLが充当されて感無量です。ヨの入換を撮影したかったため、早々に移動して… 

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機回しから 

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連結、そして 

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1本北側の線路への移動に、 

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切り離し、 

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銀座線の後ろ側への連結まで楽しみました。ここから先の川崎市営埠頭内は、推進運転でゆっくりと進みます。先頭へ回り込むと、 

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9:14頃だったでしょうか、銀座線はすぐに動き始めました。

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埠頭敷地内へ入っていく銀座線。至近距離から撮影できるのはここまでです。この先、門扉の外側から断片的に見える場所が4か所ありますので移動します。

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1つ目の撮影場所。DD5516がゆっくりと推進していきます。次の場所でも撮影しましたが、このまま同じことを4回続けてもあまり意味がないと考え、3つ目は飛ばして最後の場所へ先回りしました。 

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すると、先頭で誘導している人より先に着いてしまいました。係員2名が小走りで先導してきました。車両の速度が遅いのは、地上から徒歩で誘導しているためだったんですね。 

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地下鉄用車両の形式写真が、歪みなく撮れるまたとないチャンス。仮台車を履いているとはいえ、車体の正確な形状や床下機器の配置などが分かりやすいので、将来資料として役立てられるよう撮っておくのが良いですね。まずは先頭の1605。

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続いて左から順に、1505、1405、1305、1205、

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6両目の1105.

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しんがりはもちろん、DD5516.

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続いて公園へ移動してみると、まだ到着したばかりでした。少し待って9:30頃になると入換が始まり、

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直進側となる北側の線路へまず6両押し込むと、

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1605、1505の2両だけ切り離して残りを南側の線路へ移動します。2両ずつ分けるのは、夜間の中野車両基地への陸送を2両ずつ3回に分けて行うためだそうですが、見たことはありません。残り4両も分割するかどうか見守っていましたが、少し待っても動きがないため、あきらめて踏切へ戻ります。 

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10:00頃、西群線で切り離したヨを引き連れて、川崎貨物へと戻っていきました。

帰りしな、塩浜機関区内でのこの機関車の留置場所を確認した限り、午後に水江線の運用に入りそうな気配がしたのですが、この日は夜までに原稿を修正しなければならなかったので切り上げました。10時半頃に某公園近くへ自転車を返却し、11時過ぎからは銀座のスタバで修正作業に明け暮れることになったのでした。

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2013年8月 5日 (月)

ようやく脱稿

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■発電所向け大型製品を積んだ貨車を岸壁へ移動し、工場へ戻る某所の機関車    2011年8月

 某誌2013年10月号に掲載していただく記事を先週脱稿し、日曜夜に修正作業が終わりました。難産でしたが、3年前と比較してどの程度読者の皆様の満足度が上がるかは、未知数です。上の機関車の正体も明かされる予定です。お盆明けに、ぜひ書店へ足をのばしてみてください。

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