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2013年9月

2013年9月29日 (日)

★550000アクセス突破★呉線に残る103系

 9月の連休はY製鉄所の鉄道を撮影していましたが、日曜日に帰京する予定を1日延ばし、最終日となる月曜に広島で途中下車して呉線の103系を撮ってきました。

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風光明媚な呉線の沿線。瀬戸内カラーの103系がよく似合います。広島に残っている103系はすべて3両編成のため、三原寄りはすべてクモハ103形です。写真は片町線での分割併合に備えモハ103形を先頭車改造した2500番台ですが、

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黄色一色に塗装されたD-01編成には、オリジナルの0番台(クモハ103-48)も含まれています。(右写真の先頭車) JR西日本で最近広まっているモノトーン塗装、緑の117系などはゲテモノとしか思えないのですが、やはり通勤形には似合いますね。

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103系狙いで訪れましたが、瀬戸内マリンビュー号も登場。この列車は、2007年頃に呉の大和ミュージアムを訪問した帰りに三原まで乗りました。その後、清盛マリンビューとなっていた2012年夏に今度は呉~広島間でも乗車し、呉線全線で乗っています。

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 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

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2013年9月21日 (土)

【くろがね線を読み解く】第147回■八幡地区岸壁入換用D619

 今日は、シングルアームパンタグラフに換装された電気機関車E8502が牽引するくろがね線の列車を2往復撮影後、午後はJRの貨物列車を何本か撮り、

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若松のホテルに早めにチェックイン。まだ明るかったので、1つ隣の駅から海の方へ歩いてみると…

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洞海湾を挟んで反対側に、Y製鉄所八幡地区の荷役用岸壁を見ることができた。タンカーとエンローダーが見える。右の方を見てみると…

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岸壁に沿って線路が敷設され、貨車(スラブ用台車?)と機関車の姿も見える。望遠を720ミリまでズームしてみると…

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機関車は、60DD-4形D619であることが判明した。ナンバープレートがはっきり読み取れる。撮影場所から被写体までは海を挟んでおよそ800~900メートル離れているが、比較的空気が澄んでいて日差しも強かったため、なんとか撮ることができた。

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■八幡の機関区内に留置中の機関車。左から、D704、E8502、D445、D619.   2011年12月

このD619は、このように機関区内に留置されているところを障害物越しに一度撮影したのみであり、まともに撮れたのは初めてである。今回はたまたま連休だったために小倉・八幡界隈のホテルがどこも満室で、仕方なく若松のホテルに泊まることになったのだが、怪我の功名とはまさにこのこと。なお60DD-4形の諸元については既に紹介済みのため、省略する。

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2013年9月17日 (火)

★545000アクセス突破★廃線跡に佇む別府鉄道キハ2

 今年4月、山陽電鉄撮影 と国鉄高砂線&連絡専用線の廃線跡巡り、さらには製鉄所の機関車 撮影も兼ねて、播磨工業地帯を訪れました。足は加古川駅のレンタサイクルでしたが、ノルマをこなして夕方に国鉄高砂線の廃線跡を走りながら加古川駅へ戻る途中、市役所の手前で南東方向へ分岐する、いかにも廃線跡と言わんばかりの歩行者・自転車専用道を見つけました。まだ明るいのでついでに寄ってみると…

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途中、廃線跡脇にある公園に車両が保存されており、それが別府鉄道の廃線跡であることを知りました。帰宅後、鉄道ピクトリアルの私鉄車両めぐりの記事と地図を確認すると、保存車両が置いてあったのは圓長寺駅付近のようです。

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車体は荒廃しており窓ガラスもありませんが、解説板は判読可能な状態で残されていました。


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当時の時刻表でしょうか。

 関東の廃線跡は、再開発や宅地化で消えてしまうことが多いですが、関西では廃線跡が比較的きちんと整備されているというのが、個人的な印象です。もっとも、関東では大震災と空襲があったので、致し方ない面はありますが。

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2013年9月11日 (水)

【くろがね線を読み解く】第146回■往復で編成長が異なる訳

 昨年夏、相互リンク先の奥野さんと共に撮影したくろがね線。

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14:35頃に現れた戸畑行きは、

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戸畑寄りから、防水フード付台車3連(K5編成)、

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熱塊カバー台車7連(Z1編成)、

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無蓋車3連(S6編成)の構成であった。防水フード付き台車の荷重は80~90t、カバー台車の荷重は60t、無蓋車の荷重は40tのため、編成全体の最大荷重はおよそ800tだが、戸畑行きなので最後のスクラップを積んだ無蓋車以外は空車であり、実際の荷重はもっと小さい。

いっぽう、毎度のことながらおよそ35分後に戻ってきた八幡行きは、

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熱塊カバー台車4連+ホットコイル台車4連の構成であった。カバー台車は荷重90tのタイプ、ホットコイル台車は60t積と90t積が2両ずつなので、編成全体の荷重はおよそ660tとなる。無蓋車や側倒車が含まれていないので空車はない。

くろがね線の列車を観察する限り、実車(荷を積んだ貨車)の割合が高い八幡行きよりも、空車の割合が高い戸畑行きの方が、編成が長くなる傾向がある。これは、機関車の牽引定数に上限があるためと思われる。しかしこのような運用を続けていれば、当然戸畑側に貨車が多く集まってしまい、八幡から戸畑へ送る貨車が一時的に無くなる。八幡発戸畑行きに稀に重連単機の列車が登場するのはこのためと思われる。

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上の写真は2013年某日に、八幡から戸畑第一操車場へ到着し、機関車同士を切り離した直後の重連単機列車。2両が同じ線路上に乗っており、貨車が全く見当たらない。重連単機列車は神出鬼没なので、予備機関車E8502と同じくらい撮影するのは難しいかもしれない。

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2013年9月 9日 (月)

★540000アクセス突破★さよなら見送りHM付流星号

 本日、流鉄にまた新しい仲間が加わったようですね。流鉄向けの車両輸送は毎回平日に行われるので、西武線内の電機牽引列車を除き撮ったことはありません。流鉄線内は電車で牽引するので面白味は少ないかも…と思いつつ、馬橋駅構内のJRと流鉄の連絡線を通るところは一度見てみたいものですね。地元に住んでいる頃は、平日日中は基本的に学校にいましたのでね(苦笑)

 さて、2013年4月28日の流鉄なの花号さよなら運転は、以前アクセス突破記念記事 で紹介しましたが、

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流鉄ではなぜか毎回、サヨナラしない方の編成にもヘッドマークが取り付けられています。しかも流山側と…

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馬橋側で異なる図案を採用しており、なかなか手が込んでいます。地元馬橋を離れてからもうかれこれ20年ほど経つため、いつ頃からこの慣習が根付いたのか、残念ながら思い出すことができません。

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こちらが本来のスタイル。さよなら運転が終わる頃にあわせてヘッドマークを外すので、1回の訪問でヘッドマークあり/なしを両方撮れるという有難い試みです。

 ところで、流鉄がもともと持っていたストロングポイントは、地方私鉄というよりも、どちらかというと、首都圏の重通勤路線である常磐線の支線的な役割を担っていたことにあるわけです。しかしその前提が、つくばエクスプレス開業によって、崩れました。数年前から続いている一連の車両置き換えも、老朽化対策という側面とは別に、つくばエクスプレス開業による需要減に対応するための減車(3両編成の2両編成化)という側面も併せ持っていましたので、素直に喜ぶのはちょっと難しいですね。

 私が小学校~高校時代を過ごした1980年代~90年代前半、クラス替えで流山に住んでいる奴に出会うと、「流山の中心はいったいどこなの!?」なんて話を会話のきっかけにしていたことを思い出します。

※松戸市と流山市の隣接地域では、当時、人口増=児童数の増加に学校の増設が追い付かなかったため、一部地域で市を跨ぐ越境通学が認められていました。このおかげで、当時松戸市民だった私にも流山市民の友人ができたわけです。

流山市役所は現在でも流鉄流山駅から歩いて行ける距離にあり、中心と言えば中心なんですが、市役所の周辺は元々江戸川の水運で栄えた古い街です。私の記憶では、流山市内の大規模な団地の多くは、総武流山電鉄沿線よりも、東武野田線沿線の方に発達していた印象があります。通学していた高校が柏駅の近くにあり、学区の都合で生徒の1/4くらいは流山市民だったので、野田線沿線にも友人が住んでいました。休日には時々自転車で遊びに行ったりしていましたので、当時の地域の雰囲気はよく分かります。つくばエクスプレスの通るルートは、流山の旧市街と、新住民が多く住む野田線沿線の需要を根こそぎ奪って都心へ向かうもので、私のような交通政策の素人にも、流鉄へ相当な影響がありそうだなというのは直感的に分かりますね。

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2013年9月 6日 (金)

★JR東日本★東京総合車両センターの新型重連スイッチャー

 2013年8月24日は東京総合車両センターの公開日でした。2年前に訪問した際は、当センターで検査中の車両を入れ換えるために使用されている入換動車 を撮影することができました。今回は、緑の山手線の臨時運行以外にあまり真新しい企画がなかったのですが、何か動きがあるかもしれないと思い再訪しました。

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するとどうでしょう。入換動車が新型に置き換わっているではないですか! 新型は旧型同様に2軸機2両で重連を組んでいます。近くにいた工場の詳しい方に伺ったところ、新潟トランシス製で2012年にリプレイスしたとのことです。2両は性能的に同一で、ナンバーの区別はなく、あえて識別したい場合には屋根の色で判断するとのことです。たしかに片方が水色、もう片方が桃色で見分けがつきますね。

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車体表記から自重は20t。牽引力については、1両だと制限があって使い勝手が悪いが重連ならば10両程度の編成は問題なく入換可能とのことです。なぜ新潟トランシス製のこのタイプなのか、その背景は…

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2007年頃から、JR東日本が首都圏を中心に導入し始めた同社製軌道モーターカーTMC400Bと同型を入換動車に採用することで、調達や保守の共通化が図れるからでしょうね。上のは高崎の保線区に留置されていたTMC400Bですが、ライトの個数や形状、連結器の形状、キャブ後ろにバッテリーを搭載している以外は、これといって大きな形態上の相違点は見当たりません。自重はどちらも同じ20tです。手摺とボンネット上面の相対的な位置関係を比較すると、東京総合車両センターのスイッチャーの方がボンネット高さが若干高いかもしれません。

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旧型の入換動車は双頭連結器を装備していましたが、現在当センターで検査をする車両はすべて密着連結器の車両ですので、新型は密連のみの仕様です。よく見ると、向かって左手にボタンの付いたコントロールボックスがあると思いますが、これで連結器の解放や高さの上下移動が可能です。工場入場中の車両は空気バネがパンクしていますので、連結器の高さが通常(レール面上880mm)よりも低くなります。連結器が上下に移動可能なのはそのためとのこと。疑問に思ったことは遠慮なく聞いてみるものですね。

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 ところで…鉄道雑誌やネット上で重連のスイッチャーが紹介されている場合、「本来は大型機1両を導入したいはずだが小型機2両で運用している」みたいなことが書かれていることがありますが、私は、「本来は大型機1両を導入したいはず」という前提そのものが間違っていると思いますね。機械やシステムの設計に携わったことのある方であれば「冗長化」というキーワードですんなり理解できることです。

大型機1両は、小型機2両よりも牽引力・制動力に優れているかもしれません。では、その機関車が検査や故障で使用できなくなった場合、どうなるでしょうか。想像してみてください。東京総合車両センターのように大きな事業所で、検査対象の車両数も多く、検査スケジュールもタイトに詰まっている状況で、入換動車が一時的に使用できなくなったことを理由に、スケジュールを延ばしたりすることが許されるでしょうか? 否。

このように小型機2両であれば、何らかの理由で片方が使用できなくなっても、牽引力は劣りますが残った方で入換を行うことは可能です。たとえば、本来は重連で10両編成を1回で入れ換えるところを、5両ずつ2回に分けて入れ換えたって良いわけです。入換手順は複雑になりますが、いわゆるBCP的な観点で見れば、小型機2両にすることで問題の芽を事前に摘むことができるわけです。もちろん、特注の大型機1両より、量産されている規格型の小型機2両の方が、コスト的なメリットもありそうですが…。

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 最後に。緑の山手線が運行されるのは2013年一杯、このスイッチャーが見られるのは年一回。つまり、この組み合わせは一回限りというわけです。

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2013年9月 1日 (日)

【くろがね線を読み解く】第145回■N社H製鉄所の機関車

  姫路の話題を取り上げたついでに、こちらの話題も。H製鉄所では、毎年お盆の後に開催される同所主催のスポーツ大会にあわせ、工場見学会が実施されている。毎年日程が分からなかったため先延ばしになっていたが、今年は見学会の参加方法を事前に製鉄所側に確認済み。当日朝、まずは朝一で川の対岸から機関車を眺めることにした。

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 姫路駅からの足は「駅りんくん」。かつてH製鉄所の原料・製品を輸送していた播但線支線(飾磨港線)の廃線跡がそのままサイクリングロードになっており、途中の信号機も片手で数えるほどしかないため、旧飾磨駅跡までは10分程度で到着する。そこからH製鉄所専用鉄道 (民鉄要覧昭和57年度版によると、全長2.5km)の廃線跡の北側を西進し、夢前川を渡る直前で左折して川沿いの緑道を南下すると、この場所にたどり着くことができる。着いて10分程度だろうか、転炉の方から鋼滓鍋車を連ねた編成が、オレンジ色のDLに牽引されてやってきた。

鋼滓鍋車は7両編成。H製鉄所にはすでに高炉はないが、鉄スクラップを原料とする冷鉄源溶解炉から転炉へ銑鉄を移す際、溶銑鍋の中に酸化カルシウム(生石灰)を投入して脱硫を行っているため、鋼滓(スラグ)の輸送は依然として必要なのである。

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ここで安物カメラの本領発揮。35mm判換算で720mmまでズームできるというイカれた性能だが、こういう用途には最適。このクラスの望遠レンズを一眼で揃えようとすると100万円は下らない。

やってきたのはD-502と命名された2軸ボギーの箱型機関車。運転室は無く、車体の前後に簡易運転台を備えている。ラジエーターは1基で、屋根の上にファンの軸がかすかに見えるので、車体両側から吸気して上部へ排気する国鉄DD13形111号機以降と同じ冷却構造である。日車の車両史の図面集と写真集に、この機関車が掲載されており、諸元をピックアップすると…

  • 記号番号   : D502
  • 運転整備重量: 50t
  • 全長      : 12,000mm
  • 幅        : 2,700mm
  • 高さ       : 3,330mm
  • 軌間      : 1,067mm 
  • エンジン    : 神鋼造機 DMF31SB
  • 液体変速機  : 神鋼造機 DS1.2/1.35
  • 台車      : 日車NL25
  • 製造年    : 1975年(昭和50年)
  • 製造所    : 日本車輌製造
  • 製造番号   : 3239

…となる。エンジン・液体変速機ともにDD13と同じである。

日車が製作した製鉄所向けの機関車が完全な箱型になったのは、実はH製鉄所向けのD501(1974年製造、製造番号3130)が最初。写真のD-502はその増備車で、屋根上に設けられたライトや無線アンテナなどの突起物が車体中央寄りに寄せられたほか、遮熱板に断熱材を入れるなど若干の改良がなされている。その後、ほぼ同型のD503~504も製作されている。

また1980年(昭和55年)以降は、飾磨駅に連絡するH製鉄所専用鉄道の入換用として、当機をベースに中央に運転台を設けた凸型の50t機D-505~507(製造番号3325、3373、3379)も製作された。この凸型機関車は、他の箱型機関車とは異なり貨車の授受のために国鉄の駅まで出ていたので記録も多く、のちに非電化された国見山鉱山鉄道の牽引機としてD505と507の2両が譲渡され、旧南海の電気機関車に代わって活躍し注目を集めた。

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 ところで、見学バスに乗るには事前に整理券をゲットしておく必要があるので、9時頃に一旦撤収して旧体育館裏の受付で整理券をもらうことにした。再び同じ場所に戻ってみると、今度は70t機D-709が空車のスラブ用台車12両を牽引して連続鋳造工場の方へ向かっていくのが見えた。空車を持っていくということは、荷を積んで戻ってくると考えるのが自然である。そこでしばらく待っていると…

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20分ほどして、案の定戻ってきた。持って行った空車に積んだのか、空車を持って行って代わりに既に積み込みの終わった実車を連れてきたのか、貨車の番号がすべて読み取れないので定かではないが、両数は往復とも同じ12両編成であった。

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70t機D-709は、1974年にD501とほぼ同時に製作された姉妹機D704~705(製造番号3165~3166)、およびその増備車D706~708(製造番号3257、3265、3266)をマイナーチェンジして増備された車両で、諸元は以下のとおり。

  • 記号番号   : D709
  • 運転整備重量: 70t
  • エンジン    : 神鋼造機 DMF31Z
  • 液体変速機  : 神鋼造機 DS1.2/1.35
  • 台車      : 日車NL30A
  • 製造年    : 1977年(昭和52年)
  • 製造所    : 日本車輌製造
  • 製造番号   : 3275

竣工時は主に高炉-転炉間の溶銑輸送に使用されていた。1993年に高炉が無くなると、線路網は大幅に縮小され、製鉄所の西側1/3ほどが遊休地となった。現在では、50t機と特に区別無く使用されているようである。

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上の写真の場所は、障害物はないものの台車は隠れる。いっぽうもう一つ上の写真の場所は、手前の樹木が邪魔だが台車まで見えるので、全体の雰囲気は伝わりやすい。


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 DLの後ろに12両連なっているスラブ輸送台車だが、くろがね線のものと比較すると台枠が異常に厚く、どうみても注入台車からの転用と思われる。スラブを支えているスキッド(台座)はおそらく後付けであろう。

H製鉄所の高炉に火が入ったのは戦前の1939年(昭和14年)で、まだ当時は連続鋳造の技術が無く、転炉から圧延まで行く間に造塊というプロセスがあったので、注入台車が必要であった。現在ではすべての一貫製鉄所に連続鋳造設備が導入されているため、一部の用途を除き注入台車は不要になっている。このためどの製鉄所でも注入台車はだぶつき気味で、このように他の荷を運ぶ貨車に転用されることもある。注入台車は1970年代後半まで作られているので、新しいものなら古いスラブ輸送用台車を置き換えるには好都合であろう。

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工場の前には、見慣れたスラブ輸送用台車の姿も。これが本来の形。

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スラブ台車12両を牽引して熱延工場へ向かう。しらばく観察してわかったのは、この製鉄所は機関車を必ず進行方向先頭に連結して貨車を牽引するということ。製鉄所の構内では、編成の最後尾に機関車を連結し、運転士は先頭の貨車に乗り込み、最後尾の機関車を遠隔制御して推進運転することも珍しくないが、この区間ではなぜかそういった運用は行われていない。

 スラブ台車を牽引して熱延工場へ向かった機関車は、見えなくなってからもピーピー汽笛を鳴らして入換を行っているのでしばらく待ってみると、

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単機で手前まで出てきた。運転士は反対側に乗り込むと再び奥へ行ってしまったので、これは貨車の引き出しがあるかなと期待していると、

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狙い通りにスラブ台車6両を連ねて出てきた。編成が「く」の字型に曲がり、かなりの急カーブであることが分かる。残りの6両に積まれていたスラブはおそらく熱延工場に取り込まれて圧延ラインに向かったと思われる。

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昆虫の触角のようなヘッドライトを点灯し、北側に出てくると、

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運転士が途中で降りてしまった。そのまま遠隔制御で列車はさらに北側へ進み、

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この位置まで出てきた後、スイッチバックして川沿いを南下して行った。

 このあとバスで見学して気づいたのだが、川沿いの南側には、スラブを積んだ貨車を留置するためのヤードがあり、どの線路も南端が車止めで行き止まりになっており機回しができる配線ではなかった。わざわざ熱延工場の方で機回しして手前まで出てくる理由が、見学することによって理解できた。

●無軌条化されているコイル輸送

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熱延工場から先のコイル輸送は、残念ながら鉄道は使用されておらずキャリアパレットカー(パレットキャリアカー)を用いた無軌条輸送システムによる。この車を目で追っていくと、夢前川に架けられた構内道路専用の橋梁(通称:くろがね橋)を渡り、左岸にある電磁鋼板の工場へと吸い込まれていった。電磁鋼板の工場は専用鉄道の廃線跡のすぐ南にあるので、かつてはこのコイル輸送も構内鉄道によって行われていたのかもしれない。

【参考】

  • 『鉄と鉄鋼がわかる本』新日本製鉄(株)編著、日本実業出版社、2009年。
  • 『日車の車輌史 図面集 戦後産業車両・輸出車両編』日本車両鉄道同行部、鉄道史資料保存会編、1999年8月。

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