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2017年7月

2017年7月31日 (月)

流鉄青空号のその後

Aozora

 そういえば流山電鉄2000形の青空号って、私は気にも留めなかったのですが2012年7月で引退していましたね。この車両の運行開始は1994年8月で、私が松戸市内に住んでいた頃に導入された最後の形式です。当時は大学に入って行動範囲が飛躍的に拡大した頃だったので、意識が遠方に向いていたせいか、地元に新しい譲渡車が入っても見向きもしませんでした。西武101系がまだ本線系統で現役だった頃で見慣れていたせいもあるかもしれません。青空号2000形は旧西武801系ですが、顔は101系とほぼ同じですので、またつまらないマスプロ車両が入ってきたな、くらいに思っていました。

Aozora_dead

先日SLELを撮影した際、下り列車と上り列車の合間に撮影地周辺をウロウロしていると、青空となの花の車端部が置いてあるのを見つけました。今後どうなるのでしょうか。ちなみにこの廃車体は、2017年7月現在Google航空写真には写っていますが、ストリートビューには写っていないという、妙な謎解き要素があって面白いです。

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2017年7月29日 (土)

★電機メーカーH社のスイッチャー★常陸多賀変圧器発送

 2012年9月3日、常磐線常陸多賀駅発の特大貨物列車が運転されました。使用される貨車がシキ611形大物車(特大貨物積載時の最高速度45km/h)であるため、JR線内では営業列車の運行を支障しない深夜帯に輸送されますが、工場から常陸多賀駅までの専用鉄道内は、変圧器を製作したメーカーH社の物流子会社が所有するディーゼル機関車による日中移送となります。

この専用鉄道は、平成9年版鉄道要覧によると、区間は多賀-国分工場間、粁程1.0、昭和26年4月1日運輸開始となっています。ただ2017年現在のGoogleの航空写真で測ってみると、工場内の線路含めて1.5kmほどはありそうです。以前は工場内の線路の総延長はもっと長く、昭和57年の民鉄要覧では多賀駅-多賀工場(国分工場の旧名)3.9粁程のほか、多賀工場内延長線として0.6粁が計上されています。これは、勝田にある水戸工場の4.4粁を上回る規模です。

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 朝8時頃現地へ行ってみると、既にスイッチャーに車掌車と大物車が連結された状態で庫の中に留置されていました。工場内で変圧器を積載するのは前日以前のようです。この庫はスイッチャーを留置する動車庫ではなく、工場内に出し入れする大物車を一時的に留置するために使用されます。実際に私が2011年3月6日にこの場所を下見した際、庫の中は空っぽでした。

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12時を過ぎるとスイッチャーのエンジンがかかり、12:45頃に庫から出てきて北側へ向かいました。スイッチバックして推進で出てくるはずです。

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大物車先頭でスイッチャーの推進により駅へと移動開始。この日は13時過ぎでしたが、別に専用鉄道内でダイヤが決まっているわけではないので、今後同じ時刻に出てくる保証は全くありません。

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専用鉄道は常陸多賀駅までずっと常磐線の上り線と同じ方向に進んでいくのですが、JRとH社の敷地境界には壁と目隠し樹木が続いており、撮影できる場所は限られます。この場所は、アンダークロスする道路が開通した際に高架橋をJRと共用した関係で百数十メートルほどの僅かな区間だけ壁が無くなるので、スイッチャーを撮るには好都合です。

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すぐに自転車で移動すると、駅に着く前に移動中の編成を追い越してしまいました。駅手前で一旦停止し、JR線内で大物車を牽引する機関車を待ちます。スイッチャーの乗降扉が開けっ放しで運転台が見えるので、よく観察してみましょう。

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ちょうどブレーキ弁が見えました。本線用機関車の場合、自動ブレーキと単独ブレーキをそれぞれ独立して制御するために、ブレーキ弁は2本ありますが、この機関車のブレーキ弁は1本です。しかし、、、その下の接続された空気管を見てみると、「貨車ブレーキエアー」と記載されたテプラの貼ってある空気管にオレンジ色のレバーが付いているのが分かりますね。つまり、レバーを開放すれば自動ブレーキ弁として、閉塞すれば単独ブレーキ弁として機能するようになっているのです。二軸の小型スイッチャーにはこんなレバーはないことが多いので、さすが専用鉄道の機関車は一味違います。

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やがて牽引機のDE10がいわき方向からやってきて一瞬スイッチャーと並びました。塀越しですけどね(笑)

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結局、スイッチャーは工場門より外(駅構内)に出ることはなく、門の北側で貨車を切り離し、駅構内の移動はDE10の牽引により実施されました。大物車をこうして真横から見ると迫力があります。冒頭で述べたとおりJRの発車は日没後ですので、スイッチャーの単機回送を撮るべく元いた場所へ戻ります。

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普段は形式写真か編成写真しか撮りませんが、日立のスイッチャーはデザインが秀逸なので、面縦というのでしょうか、正面から撮っても絵になりますね。

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単機で工場へ帰るスイッチャー。1979年日立製作所製の35トンディーゼル機関車で、組立溶接台枠の2軸台車を2基備え、製造番号は2067801です。。似たスタイルの日立製セミセンターキャブの機関車としては、既に廃止となった宇部興産専用側線(美祢駅連絡)で入換に従事していた宇部レールサポートNo.12がありますが、あちらは自重が45トンですし、上の機関車には無いボンネット側面のラジエーター通気口がありますので、別物です。同型ではありません。

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後追い。台枠部に2か所、黒い溝が見えますが、これは機関車をクレーンで吊り上げる際にワイヤーを引っ掛けるためのフックです。拡大すると以下の通りです。

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このスイッチャーの登場間もない頃の写真を見ても、台枠側面は面一でこのような装備はありませんが、常陸多賀で使用されていた頃の写真を見ると付いているので、後天的な改造によるものと思われます。

Hualienno3_2  Hepingno5
■台湾水泥公司竹東廠No.3 2014年5月2日、花蓮港      ■台湾水泥公司和平廠D-05 2016年5月5日、和平

日立は1980年前後からセンターキャブとセミセンターキャブを納入先毎に個別に用意するようになっていたようで、台湾にも何両かセミセンターキャブタイプが輸出されています。これらは石灰石やセメント等の重量物を積載した長編成の貨車を入れ換えるため自重は60トンあります(当然ですが、今回紹介している常陸多賀のスイッチャーとは同型ではありません)。日立のセミセンターキャブの産業用機関車は、私の知る限りこの60トン級が最大で、すべて専用線向けです。これより大型の重量級はセンターキャブやキャブなしで製鉄所向けとなります。

●変圧器と納入先

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 再び常陸多賀駅へ戻り、この日に発送される編成を俯瞰。牽引機はDE10 1752でした。

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入場券を購入し、駅構内からもゆっくり観察。

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今回発送されたのは、東京電力東毛変電所向けの185トン変圧器でした。

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荷卸しは両毛線岩宿駅で行われました。

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2017年7月26日 (水)

松戸市内の保存車たち

 日頃から、廃車になった静態保存車や放置廃車体にはあまり興味が無く追いかけていないのですが、出身地(千葉県松戸市)の保存車くらいは見ておこうと思い、先日半日日帰りで周遊してきました。

Chibatoshi1012

現在の自宅の最寄駅から特急で一駅、下車徒歩15分でまずはこの場所へ。千葉都市モノレール1012号車が建設会社の土地に保存されていました。実は本来左折すべき交差点に気付く前に視界にこれが入ってきたので、先に見物することになりました(笑)

Nanohana

本来の目的はこちらです。昭和の杜の保存車たち。流鉄なの花号2000形電車クモハ2006がパンタグラフ・台車付の完形で保存されています。以前さよなら運転を撮影していますが(→その時の様子はこちら)、もう4年も経つんですね。松戸市に縁のある車両が保存されており嬉しい限りです。

Choden1001

こちらは銚子電鉄1001。屋根が無いのにまだ綺麗な状態を保っています。こちらも以前現役時代に撮影しています(→こちら)。

Yo13712

こちらはヨ5000形13712号車。ヨ3500形を二段リンク化改造した車両ですが、種車がヨ3712のため新製車ではなく、1951年にトキ900形から改造された車両ですね。

Hitachi1003

こちらは日立電鉄モハ1000形1003号車。寺田裕一著『ローカル私鉄車輌20年(JTBキャンブックス、2001年10月1日初版)』によると、出自は小田原急行鉄道モハ1形7号→デハ1100形1107号→東京急行電鉄デハ1150形1157号→相模鉄道デハ1000形1003号→モハ1000形1003号→日立電鉄モハ1000形1003号となっています。

車体は中央の乗降扉の手前で切断されており、また台車はありません。反対側が同じ松戸市内に保存されています。というわけで、東松戸へ戻り武蔵野線・常磐線を乗り継いで北小金へ。10分おきに走っているバスに乗り小金原団地の商店街入口に到着。

Hitachi1003kogane

こちらがモハ1003の片割れです。駄菓子屋さんですが私が訪問した日曜日は営業していませんでした。

●おまけ

Oginyumikaoru

 壁に懐かしい看板がありました。水戸黄門定番の「くノ一お銀の入浴シーン」で有名なあの方ですね。

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2017年7月25日 (火)

★阪急電鉄正雀工場の入換用バッテリー機関車★BL1

 2か月以上前になりますが、久々に春の阪急レールウェイフェスティバルに参加してきました。何度も行っているので、今回は午後から1時間だけ、バテロコ目当てです。

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前回の秋のフェスティバルに引き続き、正雀工場の車両入換用蓄電池機関車BL1が展示され、記念撮影もできるようになっていました。BLは以前屋外走行を撮影しておりブログでも紹介していますが(→こちら)、細部をじっくり見ることはできませんでした。フェスティバルでのBL展示は毎年行われるわけではなく気まぐれですので、間近で観察する絶好の機会となります。

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まずは連結器。自動連結器ですがナックルが下に伸びていますね。連結相手が空気バネの車両の場合、検査中は空気を抜いているので車高が下がるため、こうなっています。

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次は台車牽引治具。前掲のブログ記事で、一見そっくりに見えるBL1とBL2の違いがどこかという話をしましたが、実はこの台車牽引治具が唯一の相違点なのです。上写真のBL1の治具は大阪寄に付いていますが、BL2のそれは神宝京寄に付いています。今度見る機会があったら見比べてみてください。

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足周り。自重25tで低速走行しかしない2軸機関車のため、簡易な構造です。外観から、平軸受かもしれないですね。どうでしょう?

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こちらはBL1の神宝京寄。台車牽引治具は未装備です。

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こちらはBL1の大阪寄の非公式側。運転台の着席部とは反対側になるため、死角確認用にボンネット先端やキャブ側面にミラーが付いています。

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ボンネット屋根上にはアンテナが付いています。スタッフに訊いてみたところ、入換作業中に工場との通信で使用するそうです。これがあるお蔭で、手旗信号を持った入換掛が機関車先端部に乗って誘導する必要もありません。BLの端梁にステップが付いていないのはこのためです。この機関車のスペックは鉄道ピクトリアル2012年2月号に掲載されておりますが、雑誌掲載時に他の機関車とメッシュを揃えるために捨てているデータがあるので、この機会にご紹介しましょう。

  • 製造者 : 新トモエ電機工業
  • 製造年 : 2011年3月
  • 製造番号: BL1 STS120-251411 / BL2 STS120-251412
  • 全 長 : 7,050mm(連結面間)
  • 全 幅 : 2,700mm
  • 全 高 : 3,200mm(レール面上)
  • 自 重 : 24t(バッテリー5.4t含む)
  • 主電動機出力:DC450V 80kW×2台
  • 蓄電池容量 : 320Ah/5hr 480V
  • 充電用電源 : 三相200V 60Hz 70KVA

※取材に基づく。引用の際は本記事を出典として明記願います。

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 続いて、工場建屋内の車両移動機「SCARAB」。軌陸両用で枕木方向に動くこともできます。入換用機関車と同じくバッテリー駆動です。

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こちらが運転台側。メーカーは「ニチユ」のロゴがある通り、神足(現 長岡京)に工場のある日本輸送機製です。もともと入換用機関車(BL1,BL2)も同じニチユ製でしたが、2011年3月に本記事で紹介している新トモエ電機工業製のBL1,BL2に置き換えられました。

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連結器は神宝京寄にのみ装備。工場建屋外に引き出すのはBL1、BL2の役割なので、工場建屋内での車両移動はこれで充分なのでしょう。

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SCARABの運転台。制御盤は重機に近いですね。

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 今回のイベントのP6乗車体験は、いつものように900形を連結しておらず単独走行でした。

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サイドビュー。単独なので、普段900形が連結されて見えない京寄の顔も見られます。

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イベントが終わると、入換タイム。

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P6がホーム側に出てきました。

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重厚感がありますね。

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やっと見られた、京寄のお顔。BLとP6だけでもイベントに参加した甲斐がありました。

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こちらは2300形の動態保存車でしょうか。編成は2301+2352でした。最後に、歩いて東吹田検車場へと赴き話題の架線作業車を見物して、帰路につきました。

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2017年7月19日 (水)

◆流鉄5000形電車◆さよなら流馬

 流鉄流山線の5000形電車(元 西武新101系電車)の流馬号が今月末をもって引退することになりました。と言っても引退するのはあくまでも「流馬号」で、5000形電車2両編成1本が廃車になるわけではありません。全般検査後に車体を塗り直すのに合わせて別の愛称に変わるので、流馬としては最後ですよということのようです。7月の三連休は遠くに行く予定もないので、さよならヘッドマーク掲出を始めた流馬号を日帰りで撮りに行くことにしました。私が生後約3年間住んでいた家は、流山線の幸谷駅(現在地に移転する前の旧駅の方)-小金城趾駅間の線路沿いにありましたので、思い入れのある路線でもあります。武蔵野線の貨物列車の通過音や流山線の踏切の音を子守歌にして育ったと言っても過言ではありませんよ(笑)

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 昼前に家を出て馬橋駅に着くと、昭和レトロな流鉄のホームが出迎えてくれます。元は、国鉄常磐線が複々線化される前の常磐線下りホームです(複線時代は流山電鉄とホームを共用)。馬橋駅は、複々線化の設計段階で最初から武蔵野線との連絡線を上下線の間に入れ込む計画だったのですが、その用地捻出にあたっては、駅西口側の流山電鉄の線路を西へ移設するのではなく、旧水戸街道のある駅東口側の貨物側線と貨物ホームを撤去して、緩行線の線路とホームを新設しています。旧上り旅客ホームの撤去跡は、現在快速上り線・緩行下り線になっています。馬橋貨物駅は、廃止ではなく移転扱いで馬橋-北松戸間に専用荷役ホームと母屋が新設されました。跡地は1990年前後はまだオフレールステーションとして使用されていましたが、現在では再開発されてマンションになっています。

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2010年の3000形若葉号さよなら運転のついでに撮った5000形流馬号。当初この場所(鰭ヶ崎-平和台間)で撮りたかったのですが、行ってみると高さ2メートル級の雑草が生え放題で撮影地としては没でしたので、小金城趾側へ移動。

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まずはお庭バックでさよならヘッドマーク付を。家は車両でうまく隠れます。

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曇っていたので、晴れると逆光で撮影できないとっておきの場所へ。終始住宅街の中を走る流山線において緑バックは貴重ですし水色が映えます。ここは、少なくとも私が子供の頃の1970年代にはもう複線用地が確保されていて、写真を撮るには好都合でした。上写真の通り線路はないのに架線が張られています。訓練用でしょうか。


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少し平和台寄りに進んだところで流山出身の方と合流し一緒に撮影。モハ1101+クハ52が運行されていた時代を懐かしく語り合いました。会話の内容から、私より5~6歳年上と思われました。

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最後は流山駅の跨線橋から。流山線を綺麗に俯瞰撮影できる場所は、ここと馬橋陸橋くらいでしょうか。暑かったので15時前には切り上げましたが、良い運動になりました。

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2017年7月18日 (火)

★125万アクセス突破★郵便輸送末期の汐留駅

 昨日、フィルムスキャンが可能なスキャナーを購入しました。もともと20年前にホームページを開設した際、写真プリントスキャン用に購入して数年間しばらく使用していたのですが、故障した頃にちょうど鉄道写真を撮らなくなっていたので、買い替えることなくそのままとなっていました。ところが最近、部屋の整理をしていて古いネガがいつくか見つかりましたので、この機会にデジタル化できるものはしておこうと思い、新規購入しました。もちろん、ブログのサーバ容量上限の制約により、PCに取り込んだ写真をすべてをアップすることはできませんが、ネガが見つかり面白そうなものがあれば取り上げて行こうと思います。

 さて記念すべき第一回は、国鉄最後のダイヤ改正の迫った1986年10月26日、小学生の時に撮影した、汐留駅の写真です。当時、私の小遣いでは、購入できるフィルムも12枚撮りか24枚撮り1本がせいぜいで、いまのように何でもかんでも面白そうなものを撮りまくるといったことはとてもできませんでした(フィルム代よりも現像代が馬鹿にならない)。もっと撮っておけば良かったと後悔ばかり残る拙い写真ですが、ご笑覧いただければ幸いです。

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 国鉄汐留駅の駅構内に、旧新橋駅の0キロポストと双頭レールが保存されているのは、当時は鉄道好きのみならず一般人にも周知の事実で、上の写真にもある通り、これらは自由に入って見物することができました。ただ、貨物駅部分はさすがに入れないと思っていたところ、1986年11月のダイヤ改正で郵便輸送が終わるので、駅構内に入って自由に見学して良いとの告知記事が朝日新聞に載り、訪れたのでした。

そもそも、なぜ小学生が汐留駅に興味を持ったのかについてですが、当時の私は常磐線・武蔵野線の沿線に住んでいたので、貨物列車が身近な存在だったというのが一番の理由です。幼いころ、東洋一のヤードと称された武蔵野操車場の規模と線路の多さに圧倒された原体験が、貨物好きのルーツかもしれません。そういったわけで、貨物列車マニアが殺到して入れなかったらどうしよう、などと心配しながら入口まで行くと、人気もないし、受付でもあるのかと思ったら無人で拍子抜けしたのを覚えています。確認のために一旦新橋駅の公衆電話に戻り電話すると、「中の方まで入っていいよ。貨車の入換や構内の車には気を付けてね」 そんな回答だったと思います。そう、いまでこそ、鉄道雑誌の貨物列車特集は珍しくありませんが、当時は貨物列車に注目する鉄道マニア自体が珍しい存在だったのです。

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まずは構内に保存されている0キロポストと双頭レールを見学しました。このモニュメントは、再開発時に発掘作業が行われ、正確な位置に復元されています(たしかこの写真の保存場所は本来の設置場所から若干ずれていたので修正したはず…)。

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こちらが2017年現在の0キロポストです。軌道とホームはすべて復元です。手前は旧新橋停留場として整備されており、一部ガラス張りの床からは旧ホームの土台跡を見られるようになっています。

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更に奥へ進むと、貨車留置線と荷物ホームが見えてきました。奥に見えるのは浜松町駅前にある世界貿易センタービルです。当時は高層ビルはこれくらいしかありませんでした。

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もう少し進むと、ワキ8000と、右手にはスニ?やらマニやら荷物車が留置されていました。もう荷物列車全廃の一週間前なので、すでに保留車や休車となっているものもあったと思います。

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荷物ホームへ行ってみると、既に鉄道マニアが5~6人いて、荷物の積込シーンや荷物電車などを撮影していました。いまこんな企画をやったらマニアが殺到して大変でしょうが、当時は旅客輸送以外に興味を持つマニアなんてそんな程度しかいませんでした。荷物電車の発車を待っていると、DE10がコキ50000形の入れ換えでやってきました。車番は、9600DPIの高解像度でスキャンしたところ151?まで読み取れましたが、1の位が0か5か9かは特定できませんでした。

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こちらがこの日発車するクモユニ74から成る2両編成の荷物電車です。新聞記事では発車が10時半頃とのことでしたが、その時間には出発せず、結局13時頃だったと思います。荷物電車は、中央本線や上越線で何度か見ているのですが、撮影したのはこれだけです(たぶん)。走行シーンを撮れていないのは残念ですが、当時の私の興味の対象は荷物電車ではなく、あくまでも汐留駅だったのでしょう。

●おまけの東京第一運転所

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この日は汐留駅を後にし、品川駅裏にある新幹線東京第一運転所も見学しています。東京にある東海道新幹線の車両基地といえば、大井にあるものをイメージする方が多いかもしれませんが、あれは元々東京第二運転所といって、第一は品川駅西側の現在品川インターシティがある場所にありました。

フェンスの向こう側に0系新幹線電車が並んでいます。この当時は100系が登場したばかりでしたので、主力はまだまだ0系でしたね。フェンスの手前の線路は在来線から分岐した側線で、このフィルムの前のコマを見ると、DE10がホキ800を数両連結した状態で留置されていました。奥には黄色いホッパーが見えますので、おそらく在来線から運んできたバラストを荷卸しして新幹線側のホッパー車(931形?)に積む設備があったものと思われます。新幹線東京第一運転所は敷地外からは絶対に見られない場所でしたので、いまとなっては貴重な写真でしょうか。

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2017年7月 3日 (月)

■仙台臨海鉄道レール輸送■工臨返空継送669列車

 2017年6月29日、東北本線松川駅から発送される変圧器を輸送する東青森行特大貨物列車9175レの発前入換と本線走行を撮影後に北上すると、途中乗換駅の白石で面白いシーンに遭遇しました。

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白石駅の架線が張られていない非電化の側線に、レール輸送に使用された空車のチキ6000形2両と軌道モータカーTMC400A(以下、MC)が連結状態で留置されていたのです。しかもMCのLEDライトが点滅し運転士が乗っていますので、入換が期待できます。当初はすぐに仙台行に乗り換える予定でしたが、ここで少し見物することにしました。

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するとほどなく、青森方向からED75形759号機が上ってきて副本線に到着しました。ここまでお膳立てができれば、その後の動きは容易に想像が付きます。このED75はチキ2両を迎えに来た単機回送で、この白石でチキを連結し、行先は陸前山王。チキはその先、仙台臨海鉄道669列車に継送されて仙台港まで戻る筈です。

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運転士は、青森寄りのパンタを下してABBをダウンし、反対側の運転台に移ってABBを起動し上野寄りのパンタを上げました。背後にいたチキ編成も動き出します。

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作業員に見守られながら、上野方向の引上げ線へ移動します。

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踏切のだいぶ先まで行ってから、しばし休憩の後副本線へ入線してきたチキ編成。

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ホーム先端のだいぶ手前でMCがチキを切り離すと、

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ほぼ同時にED75がチキに接近し、

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連結完了。このまま出発信号機の近くまで移動しましたので、すぐに発車する気配を察知し、下り列車に飛び乗ります。船岡まで先回りして撮影場所へ着くと、15分ほどでやってきました。

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郡山→陸前山王間に設定されている工9563レ。編成は、ED75 759+チキ6404(岩切駅常備)+チキ6082(岩切駅常備)でした。工9563列車は、陸前山王-郡山間で運行されている臨時工事列車の下り版です(上りは工9562列車)。原則として、当該区間内でレールを取り卸す際に使用されるスジですが、

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このほかにチキ車の交番検査をJR貨物郡山総合鉄道部(郡山タ隣接)で実施したり、全般検査をJR貨物郡山車両所(JR東日本郡山総合車両センター内)で実施する際にも使用されます。今回の工9563列車は、6月27日に工9562列車で陸前山王から白石まで輸送された60K 25mレール38本を6月28日に取り卸した翌日の空車返却列車にあたります。

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陸前山王に着いてみると、切り離されたチキ車の横にED75が上野寄りのヘッドライト点灯状態で待機していました。おそらくこの後仙台車両センターまで単機回送されるのでしょう。右手の(南側の)側線には、運用離脱した719系が大量に留置されていました。

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ED75の発車を見送り、最後の〆を決めるべく、徒歩移動で陸橋へと向かいました。

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早発早着の多い仙台臨海鉄道ですが、東日本大震災から復旧後はほぼ貨物時刻表掲載の時刻通りに運転されることが多いようで、この日の669列車(陸前山王→仙台港)も定刻の16:50発でした。編成は、SD55 105(元 京葉臨海鉄道KD55 105)+チキ6404+チキ6082。

今回は、特大貨物輸送撮影のついでに、工臨の発送前入換から本線走行、そして臨海鉄道への継送まで、同一日にまとめて記録することができ、ラッキーでした。次は定尺レールを積んだ工臨やロングレール工臨も撮影してみたいものです。

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