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2017年9月

2017年9月27日 (水)

【O工場の石灰石輸送】空車で工場へ戻る白帯車

 2017年9月某日にD社専用鉄道(通称:原石線)を訪れてみると、興味深い事象をに遭遇した。

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通常は原石事務所から工場へ戻る貨車は石灰石を積んでいるのだが、この日は一味違った。

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5両編成のホッパー車のうち、麓側のテコ303、304と、山側のテコ301はこのように石灰石を積んでいたのだが、

Ds7_emptyteko302

中間に連結されたテコ302と、

Ds7_emptyteko401

その隣りのテコ401には石灰石が積まれておらず、空車のまま工場へ戻っていったのである。この空車の2両、共通点は、以前の記事で示した通り、車体側面に白帯が入り他の貨車と識別できるようになっている点である。そしてもう一つ今回判明したのは、この2両に白帯が入っているのは車体の東側だけで、上写真の通り西側にはないということである。今回の観察により、白帯による貨車の区別が積荷に由来し、今回はその積荷が無かったために白帯車だけが空車になったということまでは分かった。謎解きの詳細は、近いうちにまとめさせていただく所存である。今回は、これまでとせていただこう。

◆本記事の撮影場所について◆

 原石線の撮影場所としてポピュラーな御幸橋。その南側にある踏切の手前には、かつて「準構内」と記載された看板があり踏切の先まで通行することができたが、2009年頃から「準」の文字が消されて構内となり、立ち入ることはできなくなった。いっぽう北側の踏切はというと、渡った先7~8メートルの位置に看板がある。このため、今回は看板の手前に立ち看板に背を向けて撮影した。背後にある工場は画角には入らない。この道路は、石灰石を採掘する過程で発生した土砂などを運ぶダンプが頻繁に通過するため、普段であれば立入可否以前に安全のために待避を命じられる可能性が高いが、この日は採掘が休業であったのか、そうした車両が全くやってこず静まりかえっていたので、クルマの邪魔にならずに撮影することができた。車両の西側を観察できる場所は限られているだけに、慎重に対応したい。

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 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは
社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

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2017年9月22日 (金)

★神戸電鉄★鈴蘭台車両工場のバテロコ

 2016年度内の引退が決まり、秋に最後のイベント走行が実施された神戸電鉄鈴蘭台車両工場の入換車、元デ101。これに代わる入換用牽引車、事前情報ではディーゼル機関車になるとの出所の分からない噂もありましたが、実際に導入されたのは、蓄電池駆動の機関車でした。2016年2月頃に鉄道仲間から寄せられた情報では、鈴蘭台に搬入される前に谷上駅の側線に留置されているところが目撃されています。きっと深夜帯そこからにオンレールで鈴蘭台まで来たのでしょうね。

De001

2016年秋の鈴蘭台車両工場公開イベントに行ってみると、その姿を間近で見ることができました。リプレイスしたデ101を模したような電車風のデザインですね。ヘッドライトが点灯しています。こちら側(三田側)は密着自動連結器を装備しています。

De002

側面から見ると車軸配置は2軸(B)で、床下機器はトモエ電機工業(現 新トモエ電機工業)製のバッテリー機関車のそれに酷似しています。

De003

反対側(湊川・新開地側)はナックルが縦方向に延長された自動連結器です。縦に延長されているのは、従前のデ101と同じ理由です(リンク先の記事を参照)。連結器にロープが繋がれていますが、この日は子供達の参加する「電車と綱引き」企画の相手役に抜擢されていました。電車ほど重くないので、人力で引っ張っるのに丁度良く、また引っ張って移動したあと元の位置まで自力で戻れるので都合が良いのでしょう。このイベント、今年も企画されているようです。

De004

運転台は、一般的なトモエ製凸型バッテリー機関車のように横向き一箇所ではなく、電車のように車体の前後に各一箇所あります。加減速調整用のレバーも、電車のT型ワンハンドルマスコンのような形状です。

De005

足回りの構造は、以前紹介した阪急電鉄正雀工場のバッテリー機関車とそっくりですね。車体側面の窓ガラスに貼り出されていたこの機関車の諸元は、以下の通りです。

  • 形  式  : TRD-025-U-1067
  • 竣工年月日: 2016年2月24日
  • 自  重  : 25t
  • 牽引重量 : 最大160t
  • 制御方式 : インバータ制御
  • 主電動機 : 同期モータ 75kW-6P × 2個

2016年秋の時点では名前はまだ決まっておらず、募集中とのことでした。いまはもう決まっているかな??

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2017年9月18日 (月)

■鉄鋼メーカーK社T製作所の機関車■北陸重機工業製DL3

 2012年頃だったでしょうか、鉄鋼メーカーK社のT製作所に、新しい機関車が導入されました。北陸重機工業製の45トン B-Bで、それまで活躍していた日本車輌製造製35トンB-Bの番号を拝借し、DL3となりました。

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昨年秋、某鉄道会社のイベントに参加したあと、最寄りのJR駅からレンタサイクルを20分程走らせて現場に到着すると、ちょうど原料の鉄スクラップを積んだ貨車を北側(左手)の工場から引き出して戻ってくるところに遭遇しました。荷卸ししたのか、空のようです。切り離すと、

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今度は右手に留置してあった鋼塊1個を積んだ貨車を牽引して、また北側の工場へ消えていきました。貨車は2軸ボギーで、台枠側面に「120Ton」の表記があることから、荷重120tということになります。JRであれば大物車でしか運べないような重量物をいとも簡単に運べる頼もしい貨車ですね。

201610tksg_hj45bb03

しばらくすると、また北側の工場から今度は鍛造した半製品を積んだ貨車を推進して出てきました。もちろん、時間から考えて先程の鋼塊とは別物ですし、積んでいる貨車も異なります。貨車は台枠側面に「100T」との表記がありますので荷重100tですね。

●北陸重機工業製45トンB-B機関車 DL 3

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DL3は、2009年頃に同社のK製鉄所に導入された45トン機に類似していますが、手すりや階段の形状、簡易運転台入口上部に雨樋があるなど相違点があります。エンジンは、過去にK製鉄所に納入された北陸重機工業製のディーゼル機関車同様、キャタピラー社製C-15ACERTあたり(もしくはその後継製品)を採用しているのではないかと推測されますが、いかんせん情報がありません。

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この機関車は、日経新聞2015年5月19日版などでも報じられているように、アイドリングストップ機能を有しているようです。これは、連続1分以上停車している場合にエンジンを自動停止する機能です。元は2012年4月の税制改正で軽油の免税措置が廃止される方針が示されたことに対応するためのコスト削減の施策でした。もちろんCO削減にもつながりますが。

ふつうのDLであれば、アイドリング音が聞こえていたら「もうじき動くかな…」などと先読みしたりできますが、このDL3は停車中エンジンを止めていますので、厄介です。そして突然音もなく走り出します。油断ができません。製鉄所の機関車は運転士によるリモコン制御が基本となるため、運転士が乗る前から走り出すので、尚更です。

ちなみにこの日は日曜日、DL3は15時前に岸壁の定位置へ戻り、運転士も帰ってしまいました。いつも日曜日は15時を過ぎると入換はないので、すぐに撤収しました。いちおう公道ですが、警察のパトロール巡回もあるので、長居して問題を起こさないうご配慮お願いします。

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2017年9月17日 (日)

◆西鹿児島駅前◆スパゲティレストラン ヴェスビオ

 国鉄末期の頃、余剰となった車両(おもに食堂車)を改造した飲食店が各地にオープンしました。我が生まれ故郷鹿児島の玄関駅 西鹿児島駅前にオープンしたのが、レストラン「ヴェスビオ」でした。

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■レストランヴェスビオ。種車はサシ481-26。  1987年1月2日、西鹿児島駅前

ヴェスビオとは、鹿児島市と姉妹都市の盟約を結んでいるイタリアのナポリ市近傍にある火山の名前です。鹿児島市内から見た桜島の景色が、ナポリ市内から見たヴェスヴィオ山の景色に似ており、鹿児島市が「東洋のナポリ」と呼ばれていたことに由来します。

撮影日が 87 1 2 とあるので恐らく年末年始に親の実家に帰省した際に撮影したものと思われます。今風に「イタリアンレストラン」、「パスタ専門店」といえば聞こえは良いですが、メニューには(当時の物価からすると)割高なスパゲティ(¥1,200~)とソフトドリンク(¥450~)しかなく、味の方もレトルト食品のような画一的な味で、食べられなくはないけどお世辞にも美味しいとは言えないものでした。客層は鉄道マニアはあまりおらず、家族連れやカップルなど普通のレストランと変わりませんでした。鉄道好きということもあり、懲りもせず何度か利用しましたが、いつも店員が無愛想だったのが印象に残っています。

でもそれほど落胆はしませんでした。なぜって、東京と鹿児島を往復するのに利用していたブルートレインの食堂車が、まさにそんな雰囲気だったからです(笑) この1987年当時、東京発の九州ブルトレにはほぼどの列車にも食堂車が連結されていました。料理は、卵料理など一部を除き、食堂車で一から調理することはほとんどなく、味付けも含めて半分出来上がったモノを駅で積み込んで、火を通したり温めて出すだけが一般的(…そういう意味では、ヴェスビオは国鉄の飲食ビジネスモデルを、元食堂車という空間を使ってそのまま横展開したものと言えそうです)。ですので、味の良し悪しはコックの腕ではなく、食材の出来栄えで決まることになります。食材の担当会社は、帝国ホテル列車食堂と日本食堂の2社あり、どちらが担当するかは乗ってみるまで分からないので、いつも楽しみでありました。この2社、メニュー構成はほぼ同じなのですが、味はやはり帝国の方が美味しかったですね。なにせ天下の帝国ホテル、国鉄子会社の日食と比較するのが失礼というものでしょう。ただ食堂車車内で給仕するのは国鉄が手配した職員のオネーチャンなので、無愛想なのは変わりませんでしたが(たまーに美人がいたのがせめてもの救い)。

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2017年9月16日 (土)

【くろがね線を読み解く】第250回 ■日豊工臨返却(201709)

 2017年9月2日から3日にかけて、黒崎発の日豊本線方面への臨時工事列車が運行された。深夜帯に本線上でロングレールを取り卸すため、日を跨いでの運転となった。まったく事前情報が無かったので、大牟田で炭鉱電車重連を撮り終えた後、呑気に在来線でゆっくり八幡まで来たところ、ちょうど黒崎行の返空に遭遇。すぐに下車してタクシーに乗り、黒崎駅徒歩15分ほどの場所にある踏切付近に移動した。

20170903_nippo01

すると、予想通り黒崎で機回しし折り返して西八幡へと向かうロングレール工臨返空がやってきた。牽引機は、DE10 1209とDE10 1206の重連であった。2016年3月までは、ロングレールの発送拠点はレール溶接施設のある遠賀川レールセンターであったため、返却回送も遠賀川行だったが、2016年3月のダイヤ改正で遠賀川レールセンターが役目を終え、Y製鉄所から150m長尺レールが直接発送されるようになり、2017年現在では、ロングレール用の貨車編成(いわゆるロンチキ)の返却先は、西八幡(黒崎)に変更されている。

以前であれば、西八幡にJR側から貨車が到着すると速やかにY製鉄所のスイッチャーが入換を開始したものだが、現在では到着した貨車は留置されたまましばらく放置される運用に変わったので、入換は撮れない。よって、移動せずに同じ場所でDE10重連の戻りを待つことにした。

20170903_nippo02

西八幡に貨車を留置すると、20分ほどで黒崎の方へ戻ってきた。今度は1206号機が先頭である。このあと歩いて西八幡へと移動。

20170903_d618

製品倉庫付近では、ちょうどD618が50m長尺レールを積載した40t積貨車8両を入れ換えていた。動き方は以前の記事と同じで、貨車は奥に見える橋梁を渡り、Y製鉄所構内からDL推進でやってきて、右手にある東ヤードでスイッチバックし、左手にあるレール用製品倉庫へと入っていった。50mレールは、年に数回、東京貨物ターミナル行と静岡貨物行きの設定があるため、150mレール輸送が始まって以降も、まだ需要があるのだ。

なお西八幡の入換は普段は45t機のD442が担っており、今回のように60t機が使用されることはあまり多くない。

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2017年9月11日 (月)

【くろがね線を読み解く】第249回 ■小倉地区D302も新塗装化

 続々と塗装変更されて出場しているY製鉄所小倉地区の機関車。先日こちらのついでに訪れると、日立製作所製D302も新塗装で活躍していた。

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岸壁で長物車の入換作業中のD302。拡大してみると…

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先に新塗装で出場したD301と比べ、ゴンドラ(車端部の簡易運転台)の形状やキャブ側面の社名表記の有無が異なることが分かる。またキャブ前面の窓も埋められておらず、この機関車の原型を留めている。日立製の2エンジン機は、日本国内を探してももうあまり残っておらず(そもそも日立のスイッチャーを使用している専用線が数えるほどしかない)、貴重な機関車である。日立のサプライリストから諸元を引用しておく(製造番号のみ渡辺台帳を参照)。

  • 自  重   35t
  • 車軸配置  B-B
  • 機  関   新潟鐵工所 DMH17C(180ps/1500rpm) × 2基
  • 液体変速機 新潟コンバーター DB115 × 2基
  • 最高速度  32.7km/h
  • 製造年   1969年(昭和44年)10月
  • 製造者   日立製作所
  • 製造番号  13102

D302は、先述のD301(製番13101)と同時製造・納入の姉妹機である。エンジン・液体変速機共に国鉄DD11形ディーゼル機関車の流れをくみ、1エンジン・1変速機のペアを2セット搭載する。日立製のこのサイズの2エンジン機は、液体変速機に振興造機(神鋼造機)社製の乾式単板クラッチ・TC-2を採用している例もあるが、D302には新潟コンバーター社製の汎用品である湿式多板クラッチ・DB115が採用されている。

Db115
■液体変速機DB115 1984年3月新潟コンバーター社製、シリアル番号1156248
 (
関東鉄道水海道車両基地公開時に撮影)

TC-2と、DB115のルーツであるDF115は、いずれも1950~60年代に国鉄・私鉄のDMH17系エンジンを搭載する気動車や小型機関車に採用された液体変速機で、振興造機TC-2はスウェーデンのユングストレム社(AB Ljungströms Ångturbin、現在のSvenska Rotor Maskiner AB)から、いっぽうの新潟コンバーターDF115は米国ツインディスク社(Twin Disc, Inc.)から技術供与を受けて製作されたものである。当時の日本の技術では、エンジンの国産化はできても、液体変速機まで純国産というわけにはいかなかったのである。

●最高速度には要注意

 日立のサプライリストには、各機関車毎に最高速度が記載されているのだが、これが曲者である。以前、日立製の別の複数のディーゼル機関車について調べた際に、縁あって、かつてH社でディーゼル機関車の研究に従事されていたOBの方にお願いして、それぞれの最高速度を計算していただいたことがある。その結果、カタログ値とは異なる値を示す車両が複数見つかった。本記事には一先ずカタログスペックを掲載しているが、前述の計算者によると、日立のサプライリストに掲載されている最高速度は一部怪しい値が含まれているとのことなので、参考程度ととらえたい。

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2017年9月 9日 (土)

◆東邦号◆小名浜・安中精錬所の定修明け

 当方のTwitterアカウントでも期間を発信しておりました、非鉄金属メーカーT社の定期修理が終わり、小名浜発安中行き貨物列車の運行が再開しました。小名浜精錬所は9月4日に、安中精錬所は9月7日に終了しておりますが、安中行の貨物列車は9月5日から運転を再開しています。

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午前中に所用を済ませ、少し時間があったので、近所に戻ってきました。牽引機はEH500形2次形の4号機で、亜鉛焼鉱積載のタンク車×12両、亜鉛精鉱積載の無蓋車×6両の計18両を連ねていました。好みですが機関車も貨車も少し汚れている方が貨物列車らしいですね。

この場所は季節によって日差しの向きが左右逆になるので、どちらからも撮れる態勢でいつも臨んでいます。反対側から撮るとこのようになります。リンク先は今年3月の定期修理明けに撮影した写真ですが、偶然にも同じ4号機でした(笑)

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2017年9月 7日 (木)

JR化直後のカートレインを恵比寿で

 ネガのスキャンを少しずつですが進めております。今日は、国鉄分割民営化後30周年記念というわけではありませんが、30年前の恵比寿駅の写真から。

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といって小ブログに駅の真面目な写真が出てくるわけはないですね(笑) 1987年4月29日、JR化後最初の祝日に撮ったカートレインの恵比寿駅到着後入換シーンです。夜行列車にマイカーを乗せて一緒に移動し旅先で利用するのに便利なカートレインは、国鉄末期に汐留-東小倉間で運行を開始しました。汐留駅廃止後、東京側の発駅は一時的に恵比寿駅に変更されていて、これはその時期の写真です。2017年現在の恵比寿駅とは似ても似つかない光景ですが、当時は都心でもそれほど高層ビルは多くなかったので、山手線の駅は、ターミナルを除けばどの駅もこんな雰囲気でした。牽引機はEF65 1115で、先日東京総合車両センター公開時にも登場しています。なお発駅はのちに、汐留駅の着発線の廃線跡に新設された浜松町駅に再び変更されました。

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この日は写真の通り20系寝台車4両+ワキ10000形有蓋車9両の13両編成でした。20系は機関車次位のカヤ21のみ白帯3本の旧スタイル、その後ろのナロネ21形3両は2本帯化されていました。ワキ10000は最後尾がワキ10064、その隣りはワキ10051と読み取れましたが、残念ながら編成全体の車番までは記録していませんでした。

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ワキ10000形は、電磁弁を備えたCLEブレーキ方式で、最高速度は100km/hです。100km/h運転する際はMR管の引き通しを必須としているため、車端部にはBP管以外にMR管のホースが付いています(左右に一本ずつあるので両ワタリ)。また妻面左下には、電磁弁の制御線を引き通すためのジャンパ線も見えます。連結器は上の通り密着自動連結器で、その周囲には上下左右各1か所、計4か所にBPとMRPの空気管連結器がついています。ワキ10000同士であれば、ブレーキホースをいちいち手作業で着脱することなく自動連結することができるわけですね(通常の機関車との連結面は、貨車と機関車のブレーキホースを連結)。高速貨車の保存車は機関車に比べて圧倒的に少なく、またブレーキシステムに特徴のある貨車は足回りまで残っていないと研究素材としては物足りません。JR北海道の苗穂工場には今年5月頃の時点でまだワキ10000が何両か残っていましたが、どうなったのでしょうか。こういった貨車はぜひとも末永く保存してもらいたいものですね。

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2017年9月 5日 (火)

■化学メーカーM社専用鉄道■炭鉱電車22t機 重連運転開始

 2017年8月28日月曜日、炭鉱電車ことM化学専用鉄道の45t電気機関車18号機が、JRとの貨車の受け渡し場所である仮屋川操車場構内の脱線ポイントで脱線し、運行不能となりました。脱線箇所が隣接線路への迂回が可能な構内でしたので、大牟田行貨物列車は1日運休しただけで運行を再開しています。しかし、復旧作業のために架線への給電を絶っているため、使用される機関車が非電化区間でも走行可能な22t電気機関車+電源車に代わっています。特筆すべきは、荷を積んでいる貨車を上り勾配で牽引する2往復目の運用が重連になる点です。土曜早朝の成田→福岡のLCCが1万円を切っていましたので、急遽訪問しました。

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まずは駅近くの旅館に宿泊し、翌朝大牟田に到着する1151列車を確認します。この列車に貨車が連結されていることにより、炭鉱電車の2往復目の運行が確定しますので、訪問の際は要チェックです。

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8:10頃、1往復目の宮浦発仮屋川行の便が現れました。牽引は、炭鉱電車12号機が担当しました。右手にはJR鹿児島本線と西鉄電車の線路も見えます。宮浦から仮屋川へは下り勾配で、かつ貨車は荷を積んでいませんので、1両での牽引となります。架線への通電を切っているため、パンタグラフは降ろしたまま先頭の電源車から受電しての運転です。

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貨車を仮屋川に留置すると、12号機は単機で宮浦へと戻ります。仮屋川への往路は時速20キロほどの超低速での運転でしたが、復路は普段の45トン電車並みに軽やかに走り去っていきました。有名な旭町の踏切も、全長の短い22t機ならば、電源車を入れても悠々柱の間におさまりますね。

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宮浦へ到着すると、すぐに充電状態で待機している9号機と連結し、重連になりました。左が1917年(大正6年)製の12号機、右が1915年(大正4年)製の9号機です。どちらも電機部分は三菱合資会社造船部(→大正6年より三菱造船株式会社)による製作で、車体は日車製です(これらの機関車の製作後、大正10年に三菱造船の電機製作所が独立したのが、いまの三菱電機です)。ルーツといえる1911年(明治44年)製の1号機はもちろんドイツ・ジーメンス社製の機関車です。いまの中国がそうであるように、日本も昔は一生懸命米国やドイツの先進技術をコピーしていたのです。

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架線への通電断のため、切替レバーに注意喚起の貼り紙がありました。

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仮屋川へ戻ると、脱線した18号機とななつ星の並びを見ることができました。

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9:18頃、朝の1151列車の貨車が、入換動車化されたDE10 1748の牽引で仮屋川へ到着。

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入換で今度は815系と並びました。

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9:33頃、宮浦から12号機+9号機の重連炭鉱電車が到着。

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9号機を先頭に重連で貨車を宮浦へ持っていきました。

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1往復目の炭鉱電車により仮屋川に出された貨車は、DE10 1748が受け取って大牟田へ移送します。この入換は10:22頃でした。

炭鉱電車の22t機が仮屋川へ現れることは最近では珍しくなりましたし、なにより重連運転はなかなか見られるものではありませんので、訪問して良かったです。

●脱線状況

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 18号機脱線の方は、怪我人がいなかったのは不幸中の幸いでしたが、車輪や台車が損傷している場合は復帰まで時間を要する可能性も考えられます。事故直前まで、もう1両の19号機含めて2両体制で土日も毎日運行していた当鉄道の仮屋川-宮浦間は、運行をすぐに止めるわけにはいきませんので、ジャッキアップ・クレーンでの搬出までにはまだ時間がかかりそうですね。

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この日は復旧機材を入れるために周辺の草刈り作業が行われていました。

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西鉄電車側の柵の外側から夕方見るとこんな感じでした。

なお、仮屋川の脱線ポイントはこの日の運行中も切り換えられていました(作動していました)ので、写真に写ったポイントの切り替え方向が事故直後から変わっていない前提で考察を進めるのは、かなり問題があると思います。ご注意を。

(写真はすべて9月3日撮影)

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