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2017年9月 5日 (火)

■化学メーカーM社専用鉄道■炭鉱電車22t機 重連運転開始

 2017年8月28日月曜日、炭鉱電車ことM化学専用鉄道の45t電気機関車18号機が、JRとの貨車の受け渡し場所である仮屋川操車場構内の脱線ポイントで脱線し、運行不能となりました。脱線箇所が隣接線路への迂回が可能な構内でしたので、大牟田行貨物列車は1日運休しただけで運行を再開しています。しかし、復旧作業のために架線への給電を絶っているため、使用される機関車が非電化区間でも走行可能な22t電気機関車+電源車に代わっています。特筆すべきは、荷を積んでいる貨車を上り勾配で牽引する2往復目の運用が重連になる点です。土曜早朝の成田→福岡のLCCが1万円を切っていましたので、急遽訪問しました。

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まずは駅近くの旅館に宿泊し、翌朝大牟田に到着する1151列車を確認します。この列車に貨車が連結されていることにより、炭鉱電車の2往復目の運行が確定しますので、訪問の際は要チェックです。

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8:10頃、1往復目の宮浦発仮屋川行の便が現れました。牽引は、炭鉱電車12号機が担当しました。右手にはJR鹿児島本線と西鉄電車の線路も見えます。宮浦から仮屋川へは下り勾配で、かつ貨車は荷を積んでいませんので、1両での牽引となります。架線への通電を切っているため、パンタグラフは降ろしたまま先頭の電源車から受電しての運転です。

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貨車を仮屋川に留置すると、12号機は単機で宮浦へと戻ります。仮屋川への往路は時速20キロほどの超低速での運転でしたが、復路は普段の45トン電車並みに軽やかに走り去っていきました。有名な旭町の踏切も、全長の短い22t機ならば、電源車を入れても悠々柱の間におさまりますね。

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宮浦へ到着すると、すぐに充電状態で待機している9号機と連結し、重連になりました。左が1917年(大正6年)製の12号機、右が1915年(大正4年)製の9号機です。どちらも電機部分は三菱合資会社造船部(→大正6年より三菱造船株式会社)による製作で、車体は日車製です(これらの機関車の製作後、大正10年に三菱造船の電機製作所が独立したのが、いまの三菱電機です)。ルーツといえる1911年(明治44年)製の1号機はもちろんドイツ・ジーメンス社製の機関車です。いまの中国がそうであるように、日本も昔は一生懸命米国やドイツの先進技術をコピーしていたのです。

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架線への通電断のため、切替レバーに注意喚起の貼り紙がありました。

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仮屋川へ戻ると、脱線した18号機とななつ星の並びを見ることができました。

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9:18頃、朝の1151列車の貨車が、入換動車化されたDE10 1748の牽引で仮屋川へ到着。

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入換で今度は815系と並びました。

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9:33頃、宮浦から12号機+9号機の重連炭鉱電車が到着。

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9号機を先頭に重連で貨車を宮浦へ持っていきました。

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1往復目の炭鉱電車により仮屋川に出された貨車は、DE10 1748が受け取って大牟田へ移送します。この入換は10:22頃でした。

炭鉱電車の22t機が仮屋川へ現れることは最近では珍しくなりましたし、なにより重連運転はなかなか見られるものではありませんので、訪問して良かったです。

●脱線状況

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 18号機脱線の方は、怪我人がいなかったのは不幸中の幸いでしたが、車輪や台車が損傷している場合は復帰まで時間を要する可能性も考えられます。事故直前まで、もう1両の19号機含めて2両体制で土日も毎日運行していた当鉄道の仮屋川-宮浦間は、運行をすぐに止めるわけにはいきませんので、ジャッキアップ・クレーンでの搬出までにはまだ時間がかかりそうですね。

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この日は復旧機材を入れるために周辺の草刈り作業が行われていました。

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西鉄電車側の柵の外側から夕方見るとこんな感じでした。

なお、仮屋川の脱線ポイントはこの日の運行中も切り換えられていました(作動していました)ので、写真に写ったポイントの切り替え方向が事故直後から変わっていない前提で考察を進めるのは、かなり問題があると思います。ご注意を。

(写真はすべて9月3日撮影)

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コメント

20tによる往復は事故による迂回の渡り線に架線がないからです
もうひとつ22tではなく20tです

投稿: | 2017年9月14日 (木) 21:05

コメントありがとうございます。

実は、訪問前に大牟田に長年住んでいた知人からの事前情報で
仰るような指摘があったので現場でよく観察しました。
その結果、迂回の渡り線の一部(鹿児島本線の側線と合流した分岐器から構内の一番東側の側線へ渡る箇所)は
仰るように架線無しでした。
しかしながら、そもそも渡り線が非電化ならば元から架線のある1本西側の線路で
貨車を受け渡す方法に改めれば済む話ではないでしょうか。
無理に架線の張られていない経路を通る必要がありません。
また通電しているならば「架線停電」の貼り紙はないわけで、
停電が直接の理由であることには変わりないと考えます…(^_^;)

三菱・日車製の2軸機関車「No.9」「No.11」「No.12」の3両は、
20t電車と呼ばれていますが、登場時の自重は15tで、後年の改造により22tになっています。
出典として、この機関車の車体を製造した日本車輌製造が編纂している「日車の車輌史 図面集 戦前私鉄編(上)」を参照しました。
22t電車という呼称はないかもしれませんが、小ブログでは22t機という一般的な呼称を用いておりますので、
問題はないと考えますが、いかがでしょうか。

投稿: 社長 | 2017年9月14日 (木) 23:13

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