カテゴリー「▼くろがね線を読み解く」の264件の記事

2018年1月25日 (木)

【くろがね線を読み解く】第264回 ■JR九州ロングレール用チキ車検査回送

 2017年5月1日は、朝からY製鉄所の150mレール積込前後の入換シーンを見るため、八幡地区を訪れていた。観察していると、午前8時頃にディーゼル機関車D442が単機で出庫して西八幡付近の製品倉庫東ヤードへ向かい、空車の150mレール輸送用チキ車9両編成を牽引して、前田地区にあるレール積込設備へ入線していくのが見えた。24時間スーパーの屋上駐車場に赴き荷役の進捗を眺めていたが、しばらく始まらないので、どうやら積込は午後開始のようである。時間に余裕があるので、午前中別のターゲットを狙えないか思案していたところ、Twitterに以下の情報が投稿された。

  • 遠賀川留置のJR九州のロングレール輸送用チキ車が、検査のため作業委託先のJR貨物小倉車両所へ送り込まれる

検査回送はまだ見たことがないため、すぐに遠賀川へ急行することにした。

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遠賀川駅構内には、かつて遠賀川レールセンター(九鉄工業レール技術センター)が設けられていて、25m定尺レール、50m長尺レールを溶接してロングレールに加工し、ロングレール輸送用チキ車に積み込む作業が行われていた。しかし2016年4月以降Y製鉄所からJR九州向けに150mレールの発送が開始されると、ロングレール加工目的のレール溶接の必要が無くなり、2016年9月末までに門型クレーンはすべて撤去された。弊ブログでは、まだクレーンがあった頃の過去のシーンも紹介しているので適宜参照願いたい(こちらこちらなど)。

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こちらは、かつてY製鉄所からチキ車で運び込まれた25m定尺レール、50m長尺レールを荷卸しするための門型クレーンがあった場所で、跡地には訓練用の模擬トンネルと模擬ホームが設置されていた。

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かつてレール溶接に使用されていた建屋は内部が改装され、遠賀川施設実習センターとなっていた。先程の模擬体も訓練実習用なのだろう。駅ホーム側に入口が新設された。

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博多方向を見てみると、Twitterの目撃情報の通り単機回送されてきたDE10形1206号機と、その奥には黄色いスイッチャーに連結されたチキ車の姿が見えた。線路脇に九鉄工業の方がいらしたので、入換作業実施の匂いがする。暫く待機した。

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10分ほど待つと、DE10が門司港寄りに移動し、その後を追うようにスイッチャーがチキ車を推進して着発線へ押し込んできた。遠賀川レールセンターは廃止されたものの、2017年現在ではまだJR九州のロングレール用チキ車の留置場所が遠賀川であるため、検査などで貨車の増解結が必要な場合は、スイッチャーによる入換が発生するようだ。

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黄色いスイッチャーは以前から使用されているものと同一だが、車体外板が剥がれて痛々しい。

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スイッチャーはそのまま奥で待つDE10のところまで移動していき、

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チキ車をDE10に連結した。よく見ると、チキ車の台枠上には積付具が一切乗っていない。

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取り外した積付具は線路脇に並べられていた。

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役目を終えたスイッチャーは、元いた場所へと戻る。

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専用側線や貨物駅のスイッチャーは、端梁がゼブラ模様に塗装されていることが多いが、本機はレールセンターの入換用のため、端梁は黒一色である。元々赤色だったキャブ側面のJRマークが、色褪せて灰色になってしまった。

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なお、JR九州遠賀川レールセンターは廃止されたが、九鉄工業レール技術センターは組織上まだ存続していて、2017年現在の所在地は鳥栖駅北側のJR九州博多保線区鳥栖保線管理室と同一になっている。九鉄工業のホームページを確認したところ、2016年にレール技術センターを移転したとあるので、かつてレールセンターのあった鳥栖に再び移転したことになる(鳥栖レールセンターのあった場所とは異なるが)。Y製鐵所から150mレールが提供されるようになり、溶接によるロングレール製造が無くなっても、25m定尺レールの現場敷設時や50m長尺レールの保線区での工務による溶接作業は残るので、溶接技術の維持および継承が必要なことは変わらない。組織上残っているのはそのためと思われる。

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遠賀川から北九州タまでは、当日中に走行。列車番号はよく分からないが、八幡駅付近を12:24頃に通過した。編成は門司港寄りから順に以下の通りであった。

  • DE10 1206
  • チキ5719
  • チキ5535
  • チキ5809
  • チキ5718

積付具の無い、いかにも検査目的という風情のチキ送り込み列車。

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北九州タから西小倉までは、翌5月2日に試2593列車というJR貨物の貨物列車として運転された。貨物時刻表では西小倉9:46着となっているが、JR九州小倉総合車両センター前には10時頃到着した。編成は小倉総車セ寄りから以下の通りであった。

  • DE10 1559
  • コキ200-53
  • チキ5718
  • チキ5809
  • チキ5535
  • チキ5719

検査対象のコキ200が連結されていた。

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小倉総車セに入ると、右手に小倉総車セの入換用機関車DE10 1637(車籍は既にない)が現れ、

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奥に進んでいく検査貨車の編成とすれ違い。

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DE10 1637が手前でスイッチバックしてチキ車の後ろに連結すると、チキ車を牽引してきたDE10 1559がその横を通り過ぎて西小倉方向へ戻っていった。


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JR九州のチキ車は、小倉総車セ内の西側にあるJR貨物小倉車両所で検査しているため、右手に押し込まれていった。今回の追っかけにより、遠賀川レールセンターは廃止になったもののレアケースではあるがスイッチャーによる入換がまだ実施されることが分かった。

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 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

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2018年1月21日 (日)

【くろがね線を読み解く】第263回 ■小倉地区D107の送り込み回送

 2017年某月某日、小倉駅前と訪れると、興味深いものが見つかった。

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小倉地区で機関車整備を行っている工場の手前の留置線が見え、3両の機関車が留置されていた。すべて、車体の上から順にオレンジ、クリーム、青、黄色の4色で構成されたY製鐵所標準塗装に変更されている。左から順に、D108、D107、右端はナンバーが見えないがおそらく45t機のD503と思われる。

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Y製鐵所小倉地区のD107は以前正面からの写真を紹介しているが、今回は側面から見ることができた。色が変更された以外は、特に変わったところは見受けられない。

本機関車については、2017年12月に発売された岡本憲之編・著『ニチユ機関車図鑑』に写真と図面が掲載されている。大脇崇司氏の執筆担当範囲である内燃機関車編のP163によると、ニチユ(日本輸送機)からはD103~107、D201~203の計7両のほぼ同じスタイル・寸法の機関車が納入されたとのことである。2017年現在では、D103、106、107、201、202が現役稼働中で、D203が戸畑地区に転じている。D203は、私自身2014年の起業祭で工場見学バスの車窓から目撃しており、戸畑の機関車整備工場の西側の屋外に留置されていることを確認済みである。その時はクリーム色と紫色のツートンカラー(いわゆる住友金属物流標準塗装)であったが、2017年の起業祭の日は戸畑地区の製鋼工場付近に留置されており、車体色も上写真と同じY製鐵所標準塗装に変更されていた。以下に諸元を記す。

  • 名  称 : 25tディーゼル機関車
  • 形  式 : DL25-HC-1067
  • 自  重 : 25t
  • 全  長 : 7,000mm
  • 全  幅 : 2,580mm(手摺等突起物を含む、後付けの簡易運転台は含まず)
  • 全  高 : 3,370mm(標準装備の旋回灯を含む、後付けのアンテナは含まず)
  • 軌  間 : 1,067mm
  • 車輪経 : 860mm
  • エンジン: 新潟鐵工所DMH17C(竣工時。のちに新潟原動機DMF13Sに換装)
  • 液体変速機:新潟コンバーターDB115
  • 最終動力伝達方式:ロッド駆動
  • 制動装置: 単独空気ブレーキ、手ブレーキ

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別の日に見ると、機関車留置場所に姿が見えなかったが、しばらくすると右手奥からD307(汚れて茶色になった2軸ボギーの機関車)がD107とサイドポール付の長物車を牽引してきて、スイッチバックし、推進で岸壁の方へ向かっていくのが見えた。

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D307の運転士は、先頭の貨車の先頭に乗り、D307をリモコン制御している。D107には運転士は乗っていないため、重連ではなく無動力回送と思われる。

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岸壁から先は右手に進み、高炉や製鋼工場のある方へ向かっていった。前後の車輪を連結するロッドがかろうじて見える。いまどき2軸の機関車が溶銑輸送に使用されているとは思えないので、スラグ輸送に使用されていると思われる。回送の目的はよく分からない。

Kokurad10716

D107は左に連結されているD307の推進で、右手に進んでいった。この日は雨が降ったり止んだりで機関車がクリアに見えなかったが、この場所を通過してくれれば2軸機なら車両全体が障害物無しで足元まで見える。今後、天気が良く光線の強い日に再訪したいところである。

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2018年1月19日 (金)

【くろがね線を読み解く】第262回 ■誰そ彼時の一操入換

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■第一操車場に到着した黄昏時の列車    2017年5月2日 18:01、戸畑

黄昏時のくろがね線も、趣があり、悪くない。牽引機はもう一年以上E8502のまゝである。

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第一操車場で折り返しのため入換中のE8502。奥にはD705の姿も見える。E8501が復活する日は来るのだろうか。


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第一操車場を八幡方向へ出て右に曲がった先(道路の下)にある閉塞信号機は死角で見えないので、手前に中継信号機が設置されている。この信号機も日中明るいと点灯していても見えないことが多かったが、LED化されてからは近づけば確認できるようになった。JRと同じで、普段は横三つの「停止」を現示、出発前だけ縦三つの「進行」を現示する。斜め三つが「注意」に相当するが、そのパターンは見たことが無い(第一操車場を発車してから次の信号が注意というケースは、先行列車が内方にいたりしない限りまずないため)。

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2017年12月24日 (日)

【くろがね線を読み解く】第261回 ■M製鉄所スラグ輸送

 NHKのTV番組「ブラタモリ」でも紹介されたこの街は、火山の産物である砂鉄と、道央で産出していた石炭を原料とする製鉄業で、古くから栄えた。近くを走るJR室蘭本線も、そのルーツは北海道炭礦鉄道(のちの北海道炭礦汽船)で、岩見沢や夕張から室蘭まで石炭を輸送するための運炭鉄道であった。この鉄道は1909年の輪西製鐵場(現 NS社M製鉄所)開設後は、製鉄所への原料炭輸送も担った。その名残で現在でも、苫小牧方面から東室蘭駅に至る室蘭本線の線路をそのまま南西に直進すると、M製鉄所に向かう専用鉄道(の廃線跡)になる。JRの長万部方面も室蘭方面も、線路は分岐側である。

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 湾の周囲にはいわゆる海食崖と呼ばれる地形が数多く存在し、中には埋立地の工業地帯を俯瞰できる場所もある。2016年に北海道を訪れた際には、M製鉄所の溶滓・鋼滓輸送を見ることができた。

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M製鉄所の溶滓(高炉スラグ)・鋼滓(転炉スラグ)処理場は、敷地西端の海寄りにある。処理場には、上写真の通りスラグ鍋車の移動用として専用の入換用機関車が配置されている。

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北側にある授受線には、上とは別の機関車によって高炉・製鋼工場から溶滓鍋車・鋼滓鍋車が運ばれてきて留置される。

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留置されたスラグ入りの鍋車は、処理場に配置された機関車が受け取り処理場まで運ぶ。

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処理場で切り離された鍋車は、液体スラグを流し落とす。鍋の中のスラグは空気に触れている最上部が冷却され固まって固体になってしまっているため、処理場にある重機が鍋の中にアームを入れて卵の殻を割るようにしてスラグを掻き出す。

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鍋車には大きさの違いにより2種類あり、容積の小さい鍋車はこの場所でスラグを流し落とすが、容積の大きい鍋車は更に左(海寄り)の処理場でスラグを落とす。おそらくスラグの用途の違いによって処理方法が異なる(徐冷滓or水滓など)ために場所を区別していると思われる。

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空車の鍋車は、高炉・製鋼工場からやってきた機関車が推進で持ち去っていく。

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スラグ処理場の手前にはパイレンヤードと空の鍋車の留置線があり、こちらの入換はあまった機関車が適宜実施する。このため、処理場の機関車が使用されることもあれば、高炉からやってきた機関車が使用されることもある。

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授受線の北東側には製鋼工場があり、高炉で溶銑を積んだトピードカーが運ばれていく様子を見られる場合がある。ただしこちらはメインの製鋼工場に至るルートではないため、一日にあたりの運行回数はかなり少ない。写真を拡大すると、車番はD-652と読めた。

■入換用機関車 (D-501、D-502、D-607、D-608)

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 こちらは、スラグ処理場入換機のD-502。1967年7月に日本車輌製造で製作されM製鉄所に新製配置された50tB-B機関車で、製造番号は2599。後位側車端部には簡易運転台と前方確認用の窓が設けられているが、前位側(エンジン側)にはそのような装備はない。代わりに、2軸の控車を連結しており、機関車と一心同体で運用されている。

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こちらは高炉・製鋼工場とスラグ処理場授受線の間で鍋車の輸送に使用されている機関車D-608。1977年日本車輌製造製の60tB-B機関車で、製造番号は3289。こちらは前位側・後位側双方に簡易運転台を設けており、控車は連結していない。先述の50t機より車体が一回り大きく見える。また前位側ボンネットのエンジンルーム直上に棺のような出っ張りがある。Y製鐵所の機関車にもこれと同じ特徴を持った機関車がいることから想像するに、おそらくエンジンを換装しているものを思われる。キャブ側面にある水色の社章は鉄鋼メーカーNS社合併後の新しいデザイン・カラーで、時期的に考えておそらくエンジン換装後の再塗装時に取り付けられたと思われる。

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こちらは別の日に見られた機関車で、鍋車との間に2軸ボギーの控車を1両連結している。

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その車番はD-607であった。1977年3月日本車輌製造製の60tB-B機関車で、製造番号は3277。こちらも前後に簡易運転台を設けているが、エンジンは未換装なのか、ボンネットはオリジナルの姿を留めている。

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鍋車の編成は固定されておらず、長い時は5~7両にも及ぶ。そのまま様子を見ていると、

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推進運転で製鋼工場側へ鍋車を推していった。その機関車は、

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D-501であった。1967年7月日本車輌製造製の50tB-B機関車で、製造番号は2598である。先述のD-502とは同時納入の姉妹機である。他の機関車同様M製鉄所への新製配置で、後天的な改造により前後に簡易運転台が取り付けられている。簡易運転台に設けられた窓の枚数と高さが、他の機関車と異なる。

■製鋼工場南の車庫

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製鋼工場南側には、車両整備場らしき建屋もあった。屋外にD-605が留置されていた。この写真を撮影した場所は、亀梨和也主演「劇場版妖怪人間ベム」で、ベムの家が登場したシーンのロケ地である。私は、この記事で紹介した一連の撮影地を、「輪西の丘」に対して「ベムの丘」と呼ぶことにしている。

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2017年12月 8日 (金)

【くろがね線を読み解く】第260回 ■2015年、2016年夏の運用

 鉄鋼メーカーNS社専用鉄道くろがね線は、工場設備停電時や高炉改修に伴う半製品の輸送休止期間を除き、原則として24時間365日運行されている。

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2015年8月8日のくろがね線。この日は低頻度運転であったが、八幡第二操車場を発車したE8501牽引の列車は12:00にJR枝光駅付近を通過して戸畑へ。定番の正午前後の八幡→戸畑行の昼便は健在であった。

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こちらは2016年8月24日のくろがね線。この日は中頻度運転で、E8502牽引の八幡→戸畑行の昼便は中原小学校交差点付近を12:58に通過。

専用線マニアには釈迦に説法と思われるが、くろがね線に固定された運行ダイヤは存在しない。時刻は不定だが、運行されやすい時間帯はある程度絞り込むことができる。ただし、繰り返しになるが固定されたダイヤはない。このため、撮影するなら1時間半程度待つことは最初から織り込み済みで臨むべきであろう。以前述べた運行時間帯はあくまでも目安であることを、くどいようだが強調しておきたい。

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2017年11月29日 (水)

【くろがね線を読み解く】第259回 ■小倉地区D306の系譜

 3年半前の記事で紹介した、Y製鐵所小倉地区のディーゼル機関車D306。岸壁の一番手前の線路に入線すると、およそ300mまで近づくが、たいていは資材などが置いてあってまともな形式写真を撮れないことが多い。しかし今年は偶然にも車両1両分の空間がぽっかり空いており、綺麗に撮ることができた。

D306

D306は1975年10月に日立製作所で製作された2軸ボギーの産業用ディーゼル機関車である。同じく住友金属小倉向けに納入されたD307、D308は、同じ製作指示番号20618に基づいて製作された同一ロットの姉妹機である。エンジンはキャブ前後のボンネット内に1基ずつ搭載されているが、液体変速機も各エンジン毎に1基ずつあり、国鉄DD11形ディーゼル機関車と同じ構成である。ただしエンジンの製造元は、国鉄・私鉄の機関車にありがちな振興造機や新潟鉄工所ではなく、米国カミンズ社製である。以下に諸元を記す。

  • 記号番号 : D306
  • 自   重 : 35t
  • エンジン  : NH-220BI(212ps/2100rpm) ×2基
  • 液体変速機: 新潟コンバーター DB100 ×2基
  • 製造年月 : 1975年10月
  • 製造者  : 日立製作所
  • 製造番号 : 2061801

 カミンズ社製エンジンを搭載した日立製のディーゼル機関車は1950年代の早い時期からほぼ毎年登場していたものの、そのほとんどは輸出用車両であった。日本国内向け機関車でカミンズ社製エンジンを搭載したのは、1972年に製作された25t機(日本通運、浪速通運、日立製作所日立工場向け各1両、製造番号はそれぞれ13206、13209、13210)と、35t機(宇部運送向け、製造番号13242)が最初で、いずれもD306と同じNH-220BIを搭載している(35t機は2基搭載)。翌1973年には同エンジン搭載の25t機(日通向け2両、製造番号13211、13273)が製作されているが、このうち後者はコスモ石油四日市製油所専用側線入換用のNo.8である。翌1974年には実績が無く、1975年になってから、25t機1両(日通四日市営業所向け、製造番号2061201)と、本記事で紹介した住友金属小倉向けD306~D308(製造番号2061801~2061803)が続く。日通四日市の製番2061201は、コスモ石油四日市製油所専用側線入換用のNo,9で、一時期紀州製紙専用側線(紀勢本線鵜殿駅連絡)の入換に使用されていたので、専用線マニアにもお馴染みであろう。

 悲運なのは、カミンズ社製エンジンNH-220BIが日立の国内向け機関車へ採用され始めた翌年の1973年に第一次オイルショックが発生したことである。以降国内経済・産業規模の縮小が急速に進んだ結果、産業用ディーゼル機関車の製造数は急激に落ち込んでしまった。また同時に、産業用機関車の売り込み先が専用線から製鉄所にシフトし、受注全体に占める大型機の割合が高まることになった。このため、DMH17系エンジンの代わりとなる小型機向けエンジンとして期待されたNH-220BIは、1976年以降ほとんど採用されることはなくなっている。

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2017年11月12日 (日)

【くろがね線を読み解く】第258回 ■2015年起業祭 旧本事務所見学会

 2015年11月8日(金)~10日(日)の三日間にわたり開催された起業祭では、Y製鐵所が保有・管理している世界遺産4施設のうち、八幡地区にある「旧本事務所」「修繕工場」「旧鍛冶工場」の見学会が開催され、見学バスでこれら3施設の外観を見ることができた。内部に立ち入ることはできないが、旧本事務所についてはバスから下車して周囲を一周することができた。

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こちらが旧本事務所。官営八幡製鐵所創業2年前の1899年に竣工した初代本事務所である。中央のドームが一際目を惹く赤レンガの建造物。

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もっとひいて全景を撮りたいのだが、背後には構内鉄道の線路がありこれ以上さがることができない。

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こちらが説明板。以下に抜粋する。

 この建物は、わが国近代鉄鋼業発祥の地である当八幡製鐵所の本事務所として、明治32年(西暦1899年)12月に竣工した。建築様式はルネッサンス調で、外観だけでなく内部も明治時代の格調高い技術が随所に織り込まれている。1階は長官室はじめ事務部門が、2階は技監室、外国人助手室など技術部門が使用し所運営の拠点として大いに貢献した。玄関部分となる長官室は当時のまゝに観ることができる。

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裏手に回ってみる。こうして観ると、表は左右対称に見えるが、側面と背後は非対称であることがよく分かる。1Fの窓の数や配置、出入口の有無が左右で異なる。NHKの特集番組などを通して内部の様子は一般にも公開されているが、耐震補強工事でかなり手を入れられており、古の趣を感じたい方は落胆するかもしれない。外から見て楽しむ方が良いかも知れない。

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裏手に設けられたテントでは、広報の方が手作りしたらしい?A4 1枚裏表の説明資料が配布され、疑問点があれば気軽に質問することができた。訊いてみると、更地になった部分にはもともと資材倉庫があり、本事務所とは上写真の中央にある出入口(ちょうど表の入口の真裏にあたる部分)から連絡していたとのことである。永らく使用していなかったが、見学に合わせて撤去して整地したようだ(むしろ撤去に合わせて公開したともいえる)。

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テントの中に展示してあったY製鐵所製のレール。1903年(明治36年)製の第二種 60ポンド軌条。旧本事務所が、八幡ロイヤルホテルの場所にあった2代目本事務所に役割を譲ったのが1922年(大正11年)であるため、このレールは旧本事務所の現役時代に製造されたものであることが分かる。

今回はバスの車窓からしか見られなかったが、次にもし八幡地区が公開されるときには、G.H.H.(グーテホフヌングヒュッテ)社製の天井クレーンが現役で稼働する修繕工場内部をぜひ見学してみたいものである。

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2017年11月10日 (金)

【くろがね線を読み解く】第257回 ■満身創痍のE8502

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今年5月に遭遇したくろがね線用の電気機関車、85ED-1形E8502。4月に全般検査を受けたが、特に補修や再塗装は行われておらず、満身創痍である。検査中は70DD-3形ディーゼル機関車2両によるプッシュ・プルでくろがね線の運行を途切れさせずに乗り切ったが、このままE8501が再登場しないと、負担は増えるばかりである。今後どうなるのだろうか。

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2017年11月 9日 (木)

【くろがね線を読み解く】第256回 ■神戸製鉄所の機関車最後の力走(DL130)

 2017年10月31日をもって、鉄鋼メーカーK社神戸製鉄所の高炉の火が落ちた。日本国内からまた一つ、一貫製鉄所が姿を消したことになる。

Kobedl124

最終日直前の10月23日土曜日に、石屋川を訪れた。外から見えるのは、半製品を扱う工場の工程間輸送の区間に相当し、溶銑輸送や製鋼・連鋳間輸送とは直接関係ない運用ではあるが、ここも高炉・製鋼が無くなった後に同じように走り続ける保証は全くない。無くなる前に訪問しておくべきだろう。

この日は、8時頃から張り込んでいると10~15分おきに入換が見られた。最初は以前撮影したDL123で、そのあと上のDL124が来た。同一年に製造され形態は同じで、日立の1エンジン35tB-B機関車である。妻面に大きく数字が「4」とペイントされているのは加古川製鉄所の機関車に倣った様式で、ここ数年になってから付与されたものである。番号はDL12xの末尾xを表している。

Kobedl130

その後現れたのが、このDL130である。渡辺台帳と日立のサプライリストを両方参照しても、日立が神戸製鉄所に納入した機関車の最後はDL129で、DL130なる機関車は見つからない。もちろん、どちらの資料も1970年代後半以降あたりから製造実績に漏れが見つかっており完全なリストではないのだが、この1両だけ漏れているということがあるだろうか。可能性が高いのは、リストの方は正しく最後の機関車はDL129で、その続番で尼崎製鉄所の日立製機関車を尼崎廃止後に転入させたというのはどうだろうか。(→尼崎製鉄所D3521とD3522が屋根の断面形状も含めて同型であるが、屋根の庇の長さが異なるので、これら2両の流用説には疑義が残る……なお機関車表フルコンプリート版に掲載されているD3519流用説は、屋根断面形状が異なるため、論外である

この機関車と同一車体を持つ車両は、高砂製作所に納入されているDL5である。

Takasagodl5

高砂のDL5は上の通り組立溶接台枠の台車を履いているが、神戸製鉄所のDL130は足回りが見えないので台車は異なる可能性もある。

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2017年11月 2日 (木)

【くろがね線を読み解く】第255回 ■夕方のくろがね線

 枝光駅から徒歩圏内にある宮田山トンネルの出口は、夏場の夕方に順光になる。

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2017年のゴールデンウィークは、北九州を皮切りに南阿蘇・鹿児島・串木野・大牟田・島原を一巡し、ふたたび北九州へ。150mレールのY製鐵所構内輸送とくろがね線を効率よく撮影することができた。低頻度運転時の夕方の便は、冬はまともに撮れないが夏なら順光である。

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