カテゴリー「▼くろがね線を読み解く」の260件の記事

2017年12月 8日 (金)

【くろがね線を読み解く】第260回 ■2015年、2016年夏の運用

 鉄鋼メーカーNS社専用鉄道くろがね線は、工場設備停電時や高炉改修に伴う半製品の輸送休止期間を除き、原則として24時間365日運行されている。

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2015年8月8日のくろがね線。この日は低頻度運転であったが、八幡第二操車場を発車したE8501牽引の列車は12:00にJR枝光駅付近を通過して戸畑へ。定番の正午前後の八幡→戸畑行の昼便は健在であった。

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こちらは2016年8月24日のくろがね線。この日は中頻度運転で、E8502牽引の八幡→戸畑行の昼便は中原小学校交差点付近を12:58に通過。

専用線マニアには釈迦に説法と思われるが、くろがね線に固定された運行ダイヤは存在しない。時刻は不定だが、運行されやすい時間帯はある程度絞り込むことができる。ただし、繰り返しになるが固定されたダイヤはない。このため、撮影するなら1時間半程度待つことは最初から織り込み済みで臨むべきであろう。以前述べた運行時間帯はあくまでも目安であることを、くどいようだが強調しておきたい。

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2017年11月29日 (水)

【くろがね線を読み解く】第259回 ■小倉地区D306の系譜

 3年半前の記事で紹介した、Y製鐵所小倉地区のディーゼル機関車D306。岸壁の一番手前の線路に入線すると、およそ300mまで近づくが、たいていは資材などが置いてあってまともな形式写真を撮れないことが多い。しかし今年は偶然にも車両1両分の空間がぽっかり空いており、綺麗に撮ることができた。

D306

D306は1975年10月に日立製作所で製作された2軸ボギーの産業用ディーゼル機関車である。同じく住友金属小倉向けに納入されたD307、D308は、同じ製作指示番号20618に基づいて製作された同一ロットの姉妹機である。エンジンはキャブ前後のボンネット内に1基ずつ搭載されているが、液体変速機も各エンジン毎に1基ずつあり、国鉄DD11形ディーゼル機関車と同じ構成である。ただしエンジンの製造元は、国鉄・私鉄の機関車にありがちな振興造機や新潟鉄工所ではなく、米国カミンズ社製である。以下に諸元を記す。

  • 記号番号 : D306
  • 自   重 : 35t
  • エンジン  : NH-220BI(212ps/2100rpm) ×2基
  • 液体変速機: 新潟コンバーター DB100 ×2基
  • 製造年月 : 1975年10月
  • 製造者  : 日立製作所
  • 製造番号 : 2061801

 カミンズ社製エンジンを搭載した日立製のディーゼル機関車は1950年代の早い時期からほぼ毎年登場していたものの、そのほとんどは輸出用車両であった。日本国内向け機関車でカミンズ社製エンジンを搭載したのは、1972年に製作された25t機(日本通運、浪速通運、日立製作所日立工場向け各1両、製造番号はそれぞれ13206、13209、13210)と、35t機(宇部運送向け、製造番号13242)が最初で、いずれもD306と同じNH-220BIを搭載している(35t機は2基搭載)。翌1973年には同エンジン搭載の25t機(日通向け2両、製造番号13211、13273)が製作されているが、このうち後者はコスモ石油四日市製油所専用側線入換用のNo.8である。翌1974年には実績が無く、1975年になってから、25t機1両(日通四日市営業所向け、製造番号2061201)と、本記事で紹介した住友金属小倉向けD306~D308(製造番号2061801~2061803)が続く。日通四日市の製番2061201は、コスモ石油四日市製油所専用側線入換用のNo,9で、一時期紀州製紙専用側線(紀勢本線鵜殿駅連絡)の入換に使用されていたので、専用線マニアにもお馴染みであろう。

 悲運なのは、カミンズ社製エンジンNH-220BIが日立の国内向け機関車へ採用され始めた翌年の1973年に第一次オイルショックが発生したことである。以降国内経済・産業規模の縮小が急速に進んだ結果、産業用ディーゼル機関車の製造数は急激に落ち込んでしまった。また同時に、産業用機関車の売り込み先が専用線から製鉄所にシフトし、大型機の受注が増えることになった。このため、DMH17系エンジンの代わりとなる小型機向けエンジンとして期待されたNH-220BIは、1976年以降ほとんど採用されることはなくなっている。

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2017年11月12日 (日)

【くろがね線を読み解く】第258回 ■2015年起業祭 旧本事務所見学会

 2015年11月8日(金)~10日(日)の三日間にわたり開催された起業祭では、Y製鐵所が保有・管理している世界遺産4施設のうち、八幡地区にある「旧本事務所」「修繕工場」「旧鍛冶工場」の見学会が開催され、見学バスでこれら3施設の外観を見ることができた。内部に立ち入ることはできないが、旧本事務所についてはバスから下車して周囲を一周することができた。

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こちらが旧本事務所。官営八幡製鐵所創業2年前の1899年に竣工した初代本事務所である。中央のドームが一際目を惹く赤レンガの建造物。

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もっとひいて全景を撮りたいのだが、背後には構内鉄道の線路がありこれ以上さがることができない。

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こちらが説明板。以下に抜粋する。

 この建物は、わが国近代鉄鋼業発祥の地である当八幡製鐵所の本事務所として、明治32年(西暦1899年)12月に竣工した。建築様式はルネッサンス調で、外観だけでなく内部も明治時代の格調高い技術が随所に織り込まれている。1階は長官室はじめ事務部門が、2階は技監室、外国人助手室など技術部門が使用し所運営の拠点として大いに貢献した。玄関部分となる長官室は当時のまゝに観ることができる。

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裏手に回ってみる。こうして観ると、表は左右対称に見えるが、側面と背後は非対称であることがよく分かる。1Fの窓の数や配置、出入口の有無が左右で異なる。NHKの特集番組などを通して内部の様子は一般にも公開されているが、耐震補強工事でかなり手を入れられており、古の趣を感じたい方は落胆するかもしれない。外から見て楽しむ方が良いかも知れない。

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裏手に設けられたテントでは、広報の方が手作りしたらしい?A4 1枚裏表の説明資料が配布され、疑問点があれば気軽に質問することができた。訊いてみると、更地になった部分にはもともと資材倉庫があり、本事務所とは上写真の中央にある出入口(ちょうど表の入口の真裏にあたる部分)から連絡していたとのことである。永らく使用していなかったが、見学に合わせて撤去して整地したようだ(むしろ撤去に合わせて公開したともいえる)。

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テントの中に展示してあったY製鐵所製のレール。1903年(明治36年)製の第二種 60ポンド軌条。旧本事務所が、八幡ロイヤルホテルの場所にあった2代目本事務所に役割を譲ったのが1922年(大正11年)であるため、このレールは旧本事務所の現役時代に製造されたものであることが分かる。

今回はバスの車窓からしか見られなかったが、次にもし八幡地区が公開されるときには、G.H.H.(グーテホフヌングヒュッテ)社製の天井クレーンが現役で稼働する修繕工場内部をぜひ見学してみたいものである。

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2017年11月10日 (金)

【くろがね線を読み解く】第257回 ■満身創痍のE8502

E8502_2017

今年5月に遭遇したくろがね線用の電気機関車、85ED-1形E8502。4月に全般検査を受けたが、特に補修や再塗装は行われておらず、満身創痍である。検査中は70DD-3形ディーゼル機関車2両によるプッシュ・プルでくろがね線の運行を途切れさせずに乗り切ったが、このままE8501が再登場しないと、負担は増えるばかりである。今後どうなるのだろうか。

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2017年11月 9日 (木)

【くろがね線を読み解く】第256回 ■神戸製鉄所の機関車最後の力走(DL130)

 2017年10月31日をもって、鉄鋼メーカーK社神戸製鉄所の高炉の火が落ちた。日本国内からまた一つ、一貫製鉄所が姿を消したことになる。

Kobedl124

最終日直前の10月23日土曜日に、石屋川を訪れた。外から見えるのは、半製品を扱う工場の工程間輸送の区間に相当し、溶銑輸送や製鋼・連鋳間輸送とは直接関係ない運用ではあるが、ここも高炉・製鋼が無くなった後に同じように走り続ける保証は全くない。無くなる前に訪問しておくべきだろう。

この日は、8時頃から張り込んでいると10~15分おきに入換が見られた。最初は以前撮影したDL123で、そのあと上のDL124が来た。同一年に製造され形態は同じで、日立の1エンジン35tB-B機関車である。妻面に大きく数字が「4」とペイントされているのは加古川製鉄所の機関車に倣った様式で、ここ数年になってから付与されたものである。番号はDL12xの末尾xを表している。

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その後現れたのが、このDL130である。渡辺台帳と日立のサプライリストを両方参照しても、日立が神戸製鉄所に納入した機関車の最後はDL129で、DL130なる機関車は見つからない。もちろん、どちらの資料も1970年代後半以降あたりから製造実績に漏れが見つかっており完全なリストではないのだが、この1両だけ漏れているということがあるだろうか。可能性が高いのは、リストの方は正しく最後の機関車はDL129で、その続番で尼崎製鉄所の日立製機関車を尼崎廃止後に転入させたというのはどうだろうか。(→尼崎製鉄所D3521とD3522が屋根の断面形状も含めて同型であるが、屋根の庇の長さが異なるので、これら2両の流用説には疑義が残る……なお機関車表フルコンプリート版に掲載されているD3519流用説は、屋根断面形状が異なるため、論外である

この機関車と同一車体を持つ車両は、高砂製作所に納入されているDL5である。

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高砂のDL5は上の通り組立溶接台枠の台車を履いているが、神戸製鉄所のDL130は足回りが見えないので台車は異なる可能性もある。

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2017年11月 2日 (木)

【くろがね線を読み解く】第255回 ■夕方のくろがね線

 枝光駅から徒歩圏内にある宮田山トンネルの出口は、夏場の夕方に順光になる。

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2017年のゴールデンウィークは、北九州を皮切りに南阿蘇・鹿児島・串木野・大牟田・島原を一巡し、ふたたび北九州へ。150mレールのY製鐵所構内輸送とくろがね線を効率よく撮影することができた。低頻度運転時の夕方の便は、冬はまともに撮れないが夏なら順光である。

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2017年11月 1日 (水)

【くろがね線を読み解く】第254回 ■貨車3両編成

 くろがね線の運行本数は平日と土休日で大きな差異はないが、曜日に依らず運転頻度の高・中・低はある。一般に、低頻度運転の場合は貨車を一度にまとめて輸送するため(ヤードに貨車が溜まるまで待つからこそ低頻度になる)、編成は長くなる傾向がある。高頻度運転の場合、本数は多いものの、半製品品目別のデリバリ重視のためか、1本当たりの編成は短いことがままある。

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短編成の代表が、防水フード付き台車3両編成をELとDLで挟んだ編成。

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高頻度運転の場合によく見られる編成である。

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2017年10月30日 (月)

【くろがね線を読み解く】第253回 ■東洋製鉄からの編入鉄側車

 製鉄所の構内に敷設されている線路は、鉄道事業法の範疇に属さない構内鉄道(法律上の正式な鉄道ではなく製鐵所の設備扱い)と思われることも少なくない。しかしY製鐵所の鉄道は、運輸省監修・鉄道図書刊行会発行の鉄道要覧(国鉄分割民営化以前は民鉄要覧)に掲載されていることからも分かる通り、鉄道事業法第二条6で規定された専用鉄道である。法規上の鉄道であるからには、車両の新製や改造をした場合は運輸省の設計認可を受ける必要がある。認可資料は公文書なので、国立公文書館で参照することができる。

1952年(昭和27年)7月19日に運輸省鉄道監督局長により決済された、鉄監第854号「八幡製鐵専用鉄道車両設計について」は、38トン蒸気機関車3両と15トン鉄側貨車414両の車両設計認可を申請したものだが、「車両設計申請」に次のような興味深い記述がある。

当所専用線は昭和9年2月1日監第281号にて運転認可をうけその当時の車両所有両数は蒸気機関車140両、貨車2806両と申請しておりましたが、専用線関係書類整備の結果機関車3両、貨車414両の登録申請漏れのあることが判明いたしましたので、更めて設計申請をいたします。(後略)

以前の記事で言及したように、くろがね線が開業して戸畑地区(←東洋製鉄)と八幡地区が鉄道連絡したのが昭和5年であるため、その4年後ということになる。登録漏れが起きた理由については、次頁の「2、設計申請せねばならない理由」において、次のように記載されている。

昭和9年2月1日東洋製鉄株式会社と合併日本製鉄株式会社創立の際に、運輸省に車両登録漏れをしていたので、現在車両数を基礎として登録書類整備をしたい。

状況から考えて、合併前に東洋製鉄に所属していた車両を、合併後にY製鐵所専用鉄道(くろがね線含む)で使用開始していたものの、その認可申請をしていなかったので、昭和27年になってから後付けで申請したということになる。

■貨車設計書

 認可申請に添付の貨車設計書によると、貨車の諸元は以下の通りである。

  • 車種(15A-4): 15屯積2軸無蓋車
  • 両  数    :  414 両
  • 自  重    :  約8,300 キログラム
  • 積載容積   :  8.6 立方メートル
  • 荷  重    :  15.000 屯
  • 主要寸法
    最大寸法(長×幅×高):6,790 × 2,400 × 1,650 ミリメートル
    固定輪軸距離:  3,000 ミリメートル
  • 連結器の種類:  柴田式並形自動連結器
  • 制動機の種類:  無し

車種の15A-4については、以前Y製鐵所の貨車の形式記号についてまとめているので、こちらの記事を参照願いたい。直訳すると、15t積 鉄側車の第4ロットということになる。掲載はしないが同じく添付の図面から読み取ると、車体長はジャスト6メートル、連結器高さは880ミリメートル、車輪経は865ミリメートルである。また認可申請された貨車414両の番号一覧は、添付資料により以下の通りである。

15a4list

これら東洋製鉄からの編入車のうち、黄色く着色した4両については、2007~2011年にかけてくろがね線を走行するシーンを撮影しており、当時としては現役貨車ということになる(2017年現在も現役かどうかは不明)。編入が昭和9年であるから、製造されたのは更に古く、専用鉄道認可前のY製鐵所構内鉄道の運行されていた大正時代の可能性すらあると考えられる。以下に紹介する。

Tete8627

テテ8627。

Tete8654

テテ8654。

Tete8683

テテ8683。最後のテテ8687は、以前バラストを積んだ姿を紹介しているので参照されたい(→こちらの記事)。

 なお、本認可と同じ日に決済された鉄監第855号「八幡製鉄専用鉄道車両設計について」において、同様の15トン鉄側車100両が設計認可されているが、増備理由に「当所生産量増加のため」とあるため、純粋な新製と思われ、東洋製鉄から編入された15t鉄側車は上記リストの最終番号8700以降は存在しないと思われる。

■元・鉄側車改造の控車

 JR九州所属のチキ車がY製鐵所構内を走行する際に運転士が乗るために使用される控車テテ(以前こちらの記事で紹介)も、上記リストから、元は東洋製鉄の鉄側車であったことが分かる。
 

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2017年10月27日 (金)

【くろがね線を読み解く】第252回 ■戸畑地区に存在した謎の試験線

 製鉄所の構内は、設備の改修や新設廃止に伴い、線路が撤去されたり新しく敷設されたりしていて、意外と変化があるものである。2012年10月1日付でS金属工業と合併し、2014年4月1日付で小倉製鉄所を統合したY製鐵所も、例外ではない。

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■戸畑地区某所の航空写真3種(左クリックで拡大)

 上の画像は、複数の異なる時期に撮影された戸畑地区内のある場所の航空写真である。一番左は、国土地理院の航空写真で2009年4月撮影、真ん中はYahoo地図の航空写真で、同時に撮影された高炉が改修工事中であることを考えると、おそらく2013年頃の様子、一番右はGoogleMapで、敷地外の一般道の開通進捗状況からみて2015年頃の様子である。

クリックして拡大すると、2009年に廃土置き場だった場所が、2013年には半製品置場に変わっているのが分かる。2013年はちょうど高炉の改修工事が行われていた時期で、溶銑の無い期間に後工程を稼働し続けるために、あらかじめ造り溜めしていおいた半製品を保管する場所が、構内各所に設けられていた。以前八幡地区の半製品保管場所は弊ブログでも紹介している(→こちら)が、上の真ん中の写真を見ると、戸畑地区でも同じように線路が引き込まれて、貨車に積まれた半製品をクレーンで荷役していた様子が分かる。

 ところで、一番興味深いのが右の写真で、半製品置場が撤去された跡地に、対角線上に何やら線路が一本敷設されている。線路の南端は行き止まりで、周辺にも貨車に積んだり降ろしたりするようなものは一切見当たらない。またよく見ると、画像の北端で本線から分岐して南下しているこの線路は、南へ行けば行くほど周辺との高低差が大きくなっているようにも見える。この線路は、いったい何のための線路なのだろうか。

本件については、労組のブログの2016年3月31日の記事に以下の記述がある。

当初予定していた戸畑から小倉への溶銑輸送海底鉄道専用線は建設しないことになった。戸畑構内で勾配つけて機関車の海底トンネル輸送のテストをしていたが、ここは更地に戻すのでしょう。

つまり、以前の記事で言及したように、当初発表されていた戸畑から小倉への溶銑輸送線を海底トンネルによって実現するため、上の右写真の場所に勾配試験線を敷設して、ディーゼル機関車の起動・牽引試験を行っていたのではないかと思われる。GoogleMapの航空写真が撮影されてからもう2年が経過しているため、2017年現在では、線路は既に撤去されている可能性もある。

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2017年10月 8日 (日)

【くろがね線を読み解く】第251回 ■150mレール輸送新下関着後入換

 2015年3月に開始され、2016年3月に拡大された、鉄鋼メーカーN社Y製鐵所の150mレール輸送。その納品先は2017年4月現在以下の通りである。

事業者名 着駅名 車票記載の荷受人名
JR東日本 岩切駅 仙台保線技術センター
東鷲宮駅 大宮新幹線保線技術センター
越中島貨物駅 東京資材センター
JR東海 西浜松駅 浜松レールセンター
JR西日本 御着駅 姫路新幹線保線区
福山駅 福山新幹線保線区
新下関駅 新山口新幹線保線区
JR九州 各駅間(取り卸し現場) 各工務

これまで各着駅毎に入換の様子を紹介してきたが、今回最後に紹介するのが、新下関駅に隣接する新山口新幹線保線区である。

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2017年3月5日、この日は前日から九州入りしており西八幡のヤードで150mレールを積載した編成の車票に「新下関」の文字が記載されていることを確認していたので、翌朝8090列車の運転に合わせて新下関駅へ向かった。列車は予定通り、新下関止まりのチキ9車を含む18両編成でやってきて、

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中線に止まると、東京寄りの9両が北側の側線(新山口新幹線保線区へと繋がる線路)に押し込まれ切り離されて、残りの9両はそのまま御着へと向かっていった。切り離された9両がこの日保線区へと引き込まれることを期待していたのだが、15時まで待っても全く動きはなかった。

 150mレール輸送の着駅での入換は、2016年夏頃まではどの駅も到着した直後その日のうちに実施されていたのだが、各現場で目撃した知人数人からの情報によると、2016年秋頃から様子が変わり、岩切や福山では到着日に入換を実施しない日も増えている(チキ車を駅構内の授受線に留置したまま翌日入換)らしいとのことであった。この新下関駅についても、2016年3月の輸送開始時は到着後速やかに入換をしていたが、2017年現在は福山と同じ対応になった模様である。新下関行は本数が少ない(2016年度実績で8回のみである)ため、貴重なチャンスを無駄にした。しかし保線区の入換機関車は重連、ぜひとも再訪したい。そんな折、大変有難いことに関東在住のレール輸送ウォッチャーから、新下関行の運行情報が寄せられた。日頃からブログで情報発信をしていて良かったと思える瞬間である。

 2017年6月19日(月)、朝イチで新山口新幹線保線区の見える24時間スーパーの屋上駐車場へ再訪してみると、8:40頃に保線区のスタッフが出てきて、軌道モータカーのエンジンテストを開始した。どうやら入換がありそうで一安心である。この日は新下関駅前のホテルに前泊し、150mレールを積載したチキ9車が側線に留置されていることを確認したうえでの訪問、もうミスは許されない。

Shinshimonoseki11 Shinshimonoseki12

軌道モータカーはなかなかエンジンがかからず苦戦していたが、9:10頃になってようやく準備が整い、9:20頃にゆっくり駅に向かって進んでいった。この機関車ももうリプレイスの時期が迫っているのかもしれない。

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軌道モータカーは、富士重工製のTMC200Cが背中合わせの重連で使用されている。もともと保線用の機関車であるが、当保線区で取り扱うレールはすべて長さ100~200mの長尺レール・ロングレールであり、レール荷役は地上に設けられた門型クレーンで行うため、軌道モータカーが装備するクレーンは使用されない。つまり、貨車を駅から保線区まで入れ換えるための入換動車として使用されているわけである。

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人が歩くほどの速度で新下関駅に向かう重連機関車の横を、キハ40系5両編成が追い越して行った。首都圏色で揃った5連はキハ40マニアには堪えられない被写体と思うが、今回は150mレールの方が優先である。

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9:30を過ぎると、150mレール積載チキ9車を牽引して、ゆっくりと保線区へ戻ってきた。

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150mレールを牽引する重連機関車は他の到着駅でも見られるが、老朽機関車重連が必死にに引っ張る姿は趣がある。

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大量の白煙を吐き出しながら走行。

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ゆっくりと保線区へ向かう。

Shinshimonoseki19

門型クレーン直下の側線へ入線。このクレーン直下には、山陽新幹線新下関駅構内から分岐してきた標準軌の線路も引き込まれており、新幹線用の保線車も入ることができる。入換完了後、機関車は貨車を切り離して数メートル奥に移動したあとそのままエンジンを切ってしまったため、おそらくレールを卸した後、空車を新下関駅へ戻す際には貨車を推進して駅へ出てくるものと思われる。

●入換機関車

Shinshimonoseki31

新下関駅の新山口新幹線保線区に常駐しているのは、富士重工製TMC200C 2両である。銘板は錆びついており読取は困難を極めたが、1000ミリクラスの望遠に対応したカメラ最大ズームで撮ったところ、以下の通り判明した。

■下関寄りの機関車

  • 記号番号 :  034
  • 型   式 :  TMC200C
  • 製造番号 :  373
  • 製造年月 :  1972年(昭和47年)11月
  • 製 造 所 :  富士重工
  • 自   重 :  12.8t

■神戸寄りの機関車

  • 記号番号 :  043
  • 型   式 :  TMC200C
  • 製造番号 :  627
  • 製造年月 :  1975年(昭和50年)3月
  • 製 造 所 :  富士重工
  • 自   重 :  12.6t

ライトや台枠の色・形状に相違点はあるが、基本的なスタイルは同じである。

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左の下関寄りの機関車には「広島保線区」と記載されているが、右の神戸寄りの機関車には「下関地域鉄道部」と記載されており、出自が異なる。2両とも重連総括制御の機能はなく、各々の機関車に運転士が乗って操作をしている。

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No.034の公式側。本来黄色か山吹色だったはずだが、最近のJR西日本の保線用軌道モータカーと同じ塗装が施されている。以前紹介した、東鷲宮、福山の同型機と比べると、ラジエーターカバーのメッシュ形状が異なるが、製作時期の違いによるものだろうか。

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No.034の非公式側。保線区の北側は公道だが、保線区の方が1メートルほど高い位置にあるためほとんど見えない。しかし、非常用出入口の門扉から辛うじて中を撮ることができる。この場所を発見できたおかげで、No.043の銘板を記録できたのが最大の収穫であった(他に撮れる場所はない)。

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こちらはNo.043の非公式側。銘板は反対側にある。

●謎の保守用編成

 新山口新幹線保線区には、訪問時に謎の編成が留置されていた。Shinshimonoseki41

2軸ボギーの重連機関車に連結された、電源車らしい箱型の車両と、その後ろに連なるバラスト輸送・散布用?の車両群。

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2軸ボギーの機関車は、新潟トランシスTMC601と同じタイプで、JR西日本の新幹線用軌道モータカーとして急速に数を増やしている車種である。保線用途のみならばそれほど興味を惹かないのだが、実はこれとほぼ同型の機関車が、保線用ではなく車両工場の入換動車として使用されているのである。ほかでもない、JR西日本博多総合車両所と、JR北海道函館新幹線総合車両所である。前者は912形ディーゼル機関車の後継機としての導入、後者は新設拠点への新製配置である。

入換動車は、一時期北陸重機工業製の独擅場であったが、ここ数年は新潟トランシス製も台頭している(新芝浦の東芝専用側線、安中の東邦亜鉛DB301、東京総車セ)ほか、堀川工機製(後藤・下関、各総合車両所)、松山重車輌工業製(向日町レールセンター)、日本除雪機製作所製(大宮総車セOM1/2)も増えており、バラエティに富んできた。入換動車を使用する専用線の数は減る一方だが、動車の老朽化も同時に問題になっている。これまでは、余所で廃止になった専用線の入換動車を譲り受けるケースも多かったが、最近では余りモノも老朽機関車ばかりで、セコハンでリプレイスできるケースはだんだん少なくなっている。セコハン機関車に見切りをつけたのか、伯耆大山の王子製紙専用側線向け日通機や、日本製紙岩国工場のように新品を導入するケースも出始めているので、今後どのメーカーの機関車がデファクトスタンダードになるのか、興味深い。

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