カテゴリー「トロッコ・保存鉄道」の18件の記事

2017年5月25日 (木)

★薩摩金山蔵トロッコ★トモエ電機工業製バッテリー機関車で代走中

 ゴールデンウィーク期間中の半日を使い、鹿児島墓参りのついでに串木野に寄ってきました。串木野金山の跡地で営業中の『薩摩金山蔵』が目当てです。薩摩金山蔵は、金山跡の坑道が温度・湿度一定で紫外線の遮断された空間であることを活用し、坑道内に樽を並べて焼酎の熟成を行っています。そして、完成した焼酎の店頭販売をはじめ、金鉱山や金精錬工程を紹介するミュージアムの運営、焼酎蔵巡りの観光トロッコの運行を行っています。

この施設はかつて、金山の坑道見学や砂金採りが体験できるテーマパーク『ゴールドパーク串木野』として知られており、一度訪問しているのですが、当時は親戚と一緒のお出かけだったのであまり鉄道目線で見ることはできませんでした。私は軌間1,067mm未満のいわゆる日本流ナローゲージにはあまり興味がないのですが、生まれ故郷の県内にある保存鉄道くらいはちゃんと訪ねておきたいというのが、今回訪問した動機です。

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 JR鹿児島本線串木野駅のホームに降り立つと、北側に早速工場が見えました。金の精錬事業を行っている三井串木野鉱山です。この駅は、新幹線開業前は堂々たる特急停車駅であった名残で、2017年現在でも駅前には大きなロータリーとタクシー乗り場が設けられています。駅舎内にはコインロッカーもありますので、旅の途中で薩摩金山蔵に寄り道しても困ることはありません。(もっとも駅前にはコンビニとパチンコ屋くらいしかありませんが…)

駅からタクシーで移動するとおよそ7分で金山蔵へ到着しました。入場券を購入する際にトロッコの運行時刻を確認したところ、ホームページに掲載されていた時刻とは異なり、また減便していることが判明。事情を聴いてみると、機関車が故障してしまい、余所から代わりの機関車を借りて運行しているが、電池がもたないので本数を減らしているとのこと。そんな状況とはつゆ知らず、呑気に訪問してしまいました。次の列車の運行開始までかなり時間がありましたので、お願いして先にホームに入れていただき、マンツーマンで解説をしていただきながら車両を撮影することになりました。

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こちらがトロッコの客車です。妻面中央のヘッドライトは故障したためLEDライトを取り付けたとか。かなり眩しいです。通常は、このヘッドライト付きの人車が編成の前後に連結され、編成中央に動力車(機関車)が配置されています。往復共に客車が先頭になるわけです。でも今回は故障した機関車が編成から外れ、

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代わりにオレンジ色のバッテリー機関車が先頭に連結されていました。この方が風格がありますね。充電中なのか、バッテリーの蓋を開放しています。

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使用しているのは鉛蓄電池でしょうか。機関車からケーブルが伸びた先の充電器には新トモエ電機工業と記載されていました。

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こちらが機関車次位の客車。人車の改造とのことです。先頭の座席には「運転席」と書かれた紙の札が付いていますが、上で紹介したバッテリー機関車での代走期間中は客席になります。

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編成中間にはこんな車両も。訊いてみると、焼酎樽を坑道(蔵)へ出し入れする際に樽を乗せるための車両とのことです。言わば貨車でしょうか。運賃を取る営業目的では無いので、事業用車と言った方が正しいでしょうか。いずれにせよ、旅客以外を乗せるための車両があるというのがこの観光トロッコ最大の特徴ですね。

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次に、連結器を見てみましょう。この客車(人車)はご覧の通り自動連結器なのですが、

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先頭の機関車の連結器はこんな形態です。いったいどうやって連結しているのか確認してみると、

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ナックルを外して溶接してしまったそうです。一時凌ぎなので、こんな方法でも構わないのだとか。でも線路の途中には曲線区間もあるので、曲がれるようにはなっていると思いますが…。

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ホーム上のテーブルには時刻表もありました(プライバシー配慮のため氏名は伏せています)。先程受付で聞いた営業列車は、10:30発、11:30発、12:30発、14:30発の4本だけでしたが、どうも営業時間外に列車が設定されているようです(8:00と15:30)。後で知りましたが、始発列車の前に坑道の門扉を開き、坑内の電源を入れて客の受入準備をするための列車と、終列車後に後片付けをするための列車が各1本ずつ設定されているとのこと。終列車後の列車は、金山蔵営業時間内に走行するため、撮影するにはもってこいとのことでした。

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それでは、前置きが長くなりましたが、トロッコに乗って金山坑道へ入ってみましょう。2本のレールの外側に第3軌条がありますが、これはゴールドパーク時代の電気機関車が集電するために使用していたレールで、現在では使用されていません。

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真っ暗闇の中、ガタゴト揺られることおよそ10分、距離にして700mほど進むと、終点のホームに到着します。トンネル坑口からここまで一直線というわけではなく、微妙に曲がりくねっていたり、途中にトンネル(線路)の分岐跡もあったりして、なかなか楽しめました。

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坑道内は夏でもひんやり涼しいです。ここでトロッコから降りた運転士さんは、観光ガイドへと早変わり。淀みない語り口でお客さんを楽しませてくれます。

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数百メートルにも及ぶ焼酎樽の羅列はもちろんのこと、

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かつて運行されていた電気機関車とグランビー鉱車も展示。ただの焼酎蔵ではないところを見せつけてくれます。ガイド役の運転士さんはもともと三井串木野鉱山で働いていらした方なので、この鉱山に関する説明・考証もバッチリです。坑内観光は15分ほどですが、もっとゆっくり見ていたかったですね。

●最終列車後の回送列車

薩摩金山蔵様のご厚意により、終列車後の後片付け列車運転時に、トンネルに入る手前で一時停止していただけました。

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ホームで隠れて見えなかった台枠より下もみえます。バッテリー機関車はトモエ電機工業製で自重は3.25トンです。故障した機関車の代替用にレンタルしており、所有は新トモエ電機工業のままだそうです。

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本来は、山口県内の石灰石鉱山で使用する予定だったものを急遽借りてきたとのことです。ただ私の記憶が正しければ、山口県内にある石灰石鉱山3か所はすべてトラックレスだったはず(砕石はベルコンまたは重機・トラックで輸送し、掘削・運搬に軌道を使用していなかったはず)ですので、若干疑義の残る証言ではあります。もちろん、せっかく撮影用に一時停止していただけたので、ここで議論を始めても仕方がないので有難く撮らせていただきました(笑)

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機関車の運転台に、

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その下にあるサーボロコ運転取扱注意事項、

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そして銘板。しっかり記録させていただきました。280型蓄電池機関車、型式TBL-280KL・S-762、製造番号TS5-30029、2007年10月、トモエ電機工業製造。

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客車もここなら2軸ボギー台車が見えますね。編成と、機関車と客車の形式写真完形が撮影でき、とても満足。ご手配いただいた方にお礼をして現場を後にしました。なお2017年5月現在、故障した機関車に代わる新型機関車を発注済みで、2017年10月1日から営業運転を開始するそうです。またこれに伴い客車も新造されます。新型はトモエ電気工業製ではないそうなので、この機関車と客車をご覧になりたい方は、お早めに。

 今回はトロッコに的を絞って紹介しましたが、金山ミュージアムの展示内容はとても勉強になりますし、お酒も美味しいですし試飲もできます。鹿児島へお越しの際は、『薩摩金山蔵』、ぜひ、訪ねてみてください。

 最後になりますが、鉱山の歴史や金精錬の詳細については、三井串木野鉱山のホームページを参照してください。また鉱山鉄道の現役時代、および現在の廃線跡については、炭鉱電車が走った頃さんのホームページに興味深いレポートがありますので、ぜひご覧になってみてください。

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2016年3月13日 (日)

◆電気化学工業青海工場◆上部軌道用10tディーゼル機関車

 2016年3月5日土曜日、朝イチでかなりんの特大貨物輸送を撮影後、新幹線で栃木県へと向かいました。この日は、那珂川清流鉄道保存会で保存されている元名鉄8500系気動車が屋外に引き出され、車内にも入れるとのことでしたので、新しいスイッチャーの見物も兼ねて訪問することにしました。那珂川を訪ねるのは、所属クラブの烏山線EV-E301系見学会参加を兼ねて訪問した2014年以来ですから、およそ2年ぶりです。今回は、初めて見た機関車のうちの1両を紹介します。

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 昨年新潟県からやってきたというこの機関車。見るからに坑道用DLですが、それもそのはず。電気化学工業青海工場の石灰石原石採掘現場近辺で使用されていたディーゼル機関車です。原石を工場内へ輸送するための下部軌道ともいえる原石線は既に弊ブログでも紹介していますが、採掘現場側の上部軌道の機関車はこれまでほとんど紹介されたことがありません。いやはや、貴重な車両がやってきたものです。

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正面はこんな感じ。軌間はレール幅762mmのナローゲージです。

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連結器は独特な形状の自動連結器。解放テコを持ち上げると、通常の自連のようにピンが抜ける……のではなく、ナックル自体が動いて切り離せるようになっています。

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 サイドビューは本来遠くから望遠で綺麗に撮りたいところでしたが、駐車してあったクルマが邪魔で近くから広角で撮ることしかできませんでした。広角独特の歪みがありますが、雰囲気はわかるかな?? 車軸配置はB(2軸)です。

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 キャブ側から見てみると、妻面窓とヘッドライトには防護柵が取り付けられています。屋根上に無線アンテナが付いていますが、坑道のような細長い閉鎖空間では誘導無線でないと電波が届かない気がするのですが、このアンテナは空間波無線用っぽいですね、、はてさて。。

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反対側。見たところ車体の外観に関しては、ほぼ左右対称と言えそうです。

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後ろにある軌間1,067mm用のスイッチャー10t半キャブと比較してもひけを取らない大きさ。

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軸箱まわり。

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製造者は、福島に本社のある協三工業です。

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窓ガラスの外側からフラッシュをたくと、キャブ内にあった銘板を読み取ることができました。1971年10月製造、製造番号は10776です。協三工業製機関車の製造番号は、先頭2桁が自重、残りの3桁がシーケンシャルナンバーになっていますので、この機関車は776番目に製造された機関車で、自重は10tということになります。上写真は拡大しますのでご自身の目で確認してみてください。ちなみに、沖田さんの発表された機関車表では1972年製造となっていて製造番号の記載もありません。今回この機関車がサルベージされたことにより詳細データが明らかになったのは幸運といえるでしょう。

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ここで参考までに、同じ協三工業製で製造番号の近い車両を2両紹介しておきます。左は、JR日豊本線南延岡駅連絡の旭化成専用側線で使用されている20t機(車軸配置B)で、製造年は1971年、製造番号は20768です。右は、JR羽越本線羽前水沢駅連絡の水澤化学専用側線で使用されていた30t機(車軸配置B-B)で、製造年は1971年、製造番号は30777です。

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キャブ内にある弁とメーター・スイッチ類。これらもすべて車外からフラッシュ撮影。走行距離を見る限り、あまり使用されていなかったようです。

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キャブ内左手には、工業用サーモメーターと思しき装置が取り付けられていました。

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右側の液柱の目盛は0~100なので温度を指すと思われますが、左側は0~120で目盛の間隔も異なっています。どのような用途に使用するのでしょうか。

●エンジン

 先日那珂川を訪れた方の調査によると、上部軌道用10トン機関車のエンジンは、日野製DS50とのことです。標準馬力は160psとのことですので、過給器やインタークーラーが付いていない限り、概ねその位の馬力と思われます。

●おまけ

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場内では、修復を終えたタ3077の表記類貼り付け作業が行われていました。2軸のタンク車は保存車両を含めても珍しい存在です。昨年10月に津軽鉄道のイベントでタム501が本線走行しましたが、この車両も何らかの形で構内を走行してほしいものです。

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2015年11月12日 (木)

★950000アクセス突破★国鉄油須原線跡 赤村トロッコ

 2015年11月上旬、八幡製鉄所起業祭参加のついでに西大分貨物駅に立ち寄り、福岡空港へ帰る途中で赤村トロッコを訪れました。

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 プロフィールページでナローゲージに興味のないことを公言している私ですが、ここは気になる存在でした。通常のトロッコは鉱山鉄道や森林鉄道の保存鉄道であることが多いのですが、赤村トロッコは一味違います。国鉄の路線として建設が進められながら、上山田線として開業した西側の僅かな区間を除き、日の目を見ることなく放棄された幻の未成線、国鉄油須原線。その路盤に実際に線路を敷き、列車を走らせてしまうというところに、そこはかとないロマンを感じるのです。

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油須原線は、戦後に鉄道建設公団が建設した路線だけあって、北越急行や智頭急行を髣髴させる高規格路線。筑豊の石炭を、筑豊本線経由で洞海湾方面へ運ぶだけでなく、苅田港へも輸送できるように短絡線として計画された、ほぼ貨物専用線ともいえる路線です。赤村トロッコは、国鉄田川線(現:平成筑豊鉄道田川線)と油須原線の分岐点付近に設けられた赤駅を起点とし、油須原線の路盤を走行して隣の大任町との境界(トンネル内)までを往復します。

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当初は普通鉄道サイズの車両を走らせる構想もあり、車両も一部購入していたそうですが、油須原線の未成線用地に上水道管の設置工事をした際、路盤を約1mほど嵩上げしたためにトンネル断面が小さくなってしまい、断念。ナローゲージのトロッコ鉄道として計画を練り直し、神岡鉱山からバッテリー機関車を譲り受けて運行することになりました。

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赤駅には、神岡鉱山から一緒に譲り受けたのでしょうか、軌道上に人車も置いてありました。

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赤村から福岡空港へは、平成筑豊鉄道の一日フリー切符を活用し、直方・篠栗線経由で向かいました。直方と言えば、石炭記念館のSL。貝島炭鉱専用鉄道のコッペル32号と、石炭車ロト22号です。これはJR筑豊本線や平成筑豊鉄道伊田線の車窓からも見えるので有名ですね。

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そして訓練坑道のエアーロコ。那珂川清流鉄道保存会が食指を伸ばしていたようですが、こういうのは地元にあるからこそ価値が分かるものです。単独で栃木に移設されたら何のことやらわかりません(笑)

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2014年6月 8日 (日)

【日立製戦時標準型電機】住友鉱山専用鉄道ED104

 2014年3月下旬、名古屋出張を終えた週末は広島へ向かいました。翌日土曜日は、午前中に引退間近のEF67形1号機 広島電鉄ハノーバー電車を撮影 したあと瀬戸大橋を渡り、新居浜へ。午後はマイントピア別子と別子銅山記念館へ赴きました。

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記念館には、住友鉱山専用鉄道の上部軌道で貨車の牽引に使用されていた蒸気機関車と、下部軌道で使用されていた電気機関車、それに鉱山内部で使用されていたバッテリー機関車と貨車数両(鉱車と人車)が保存されています。電気機関車の方は、戦中から戦後にかけて日立製作所で製作・量産された凸型の機関車と同タイプの車両で、いまでも保存されているのはここにある1両だけです。

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別子銅山の端出場から国鉄新居浜駅、そして海沿いの新居浜港・惣開を連絡するために敷設された住友鉱山専用鉄道では、合計4両の20t電気機関車が使用されていました。うちED101~103までの3両は日立製作所から納入されたものでしたが、最後の1両であるED104は、日立製作所から部品の供与を受け、住友鉱山自身が組み立てています。保存されているのはED104、自分で組み立てた車両というわけです。軌間は762mmのナローゲージですが、車輌限界は軌間の同じ他の鉱山鉄道のものと比較すると一回り大きいようです。とはいえ、国鉄はもとより地方鉄道の車輌限界と比べても、一回り小さいですが。

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末期の塗装を再現しており、屋根がなく屋外展示にもかかわらずきれいな状態を保っています。パンタグラフも健在です。手入れが行き届いています。

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反対側から。同型の機関車はテキ521・522として京福電鉄にも納入され、2014年現在でもえちぜん鉄道の除雪用として活躍しています(詳細はこちら )。京福の車両は戦後の設計で、私鉄向けに窓回りのデザインもRのついた洒落た意匠に改められていますが、住友別子の車両は産業用なので外観はシンプルです。寸法はほぼ同じですが京福のテキ521は軌間1,067mm用ですので、台車は異なり、やや蟹股な印象です。

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住友グループの井桁マークも健在。別子銅山は住友発祥の地で、現在でも新居浜の瀬戸内海沿いには住友化学の工場群が広がっています。JR新居浜駅が2014年現在でも貨物扱いを継続しているのは、この駅に住友化学という大需要家がいるためです。仕事上のお付き合いで名刺交換させていただくと、会社毎に井桁マークの色が違うことに気づきます。私の手元には緑・赤・青の会社のがありますが、ほかにどんな色があるのでしょうか。

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連結器はピンリンク式です。

●おまけ

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 私はナローゲージにはあまり興味はないのですが、せっかく四国に来たのでマイントピア別子にも立ち寄りました。実は2001年夏にも来ているので初めてではありませんが、桜が咲いているということで。別子銅山の坑道と専用鉄道を連絡していた軌間508mmの線路の廃線跡に、軌間762mmの軌道を敷設し、観光用のトロッコを走らせています。SL風の機関車は電気駆動で、2本のレールの脇に敷設された3本目のレールから電力を調達して走行します。

【参考】

  • 岡本憲之「究極のナローゲージ鉄道 せまい鉄路の記録集」 講談社、2012年。
  • 岡本憲之「究極の現役ナローゲージ鉄道」 講談社、2013年。

※そういえば著者の岡村さんは先日タモリ倶楽部に出演されていましたね。

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2013年9月17日 (火)

★545000アクセス突破★廃線跡に佇む別府鉄道キハ2

 今年4月、山陽電鉄撮影 と国鉄高砂線&連絡専用線の廃線跡巡り、さらには製鉄所の機関車 撮影も兼ねて、播磨工業地帯を訪れました。足は加古川駅のレンタサイクルでしたが、ノルマをこなして夕方に国鉄高砂線の廃線跡を走りながら加古川駅へ戻る途中、市役所の手前で南東方向へ分岐する、いかにも廃線跡と言わんばかりの歩行者・自転車専用道を見つけました。まだ明るいのでついでに寄ってみると…

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途中、廃線跡脇にある公園に車両が保存されており、それが別府鉄道の廃線跡であることを知りました。帰宅後、鉄道ピクトリアルの私鉄車両めぐりの記事と地図を確認すると、保存車両が置いてあったのは圓長寺駅付近のようです。

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車体は荒廃しており窓ガラスもありませんが、解説板は判読可能な状態で残されていました。


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当時の時刻表でしょうか。

 関東の廃線跡は、再開発や宅地化で消えてしまうことが多いですが、関西では廃線跡が比較的きちんと整備されているというのが、個人的な印象です。もっとも、関東では大震災と空襲があったので、致し方ない面はありますが。

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2013年8月29日 (木)

★535000アクセス突破★姫路市営モノレールを観察する

 2011年5月5日、岡山県東部へ出張した帰りしな姫路駅で途中下車し、オープンしたばかりの手柄山交流ステーションに立ち寄りました。

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手柄山駅の跡が博物館として整備され、姫路市営モノレールの車両が静態保存されているのを間近に見ることができます。 

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ホームが展示スペースとされており、

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駅の雰囲気そのままに、車両をじっくり見ることができます。

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姫路市営モノレールには、片運転台の100形2両と両運転台の200形2両、合計4両の車両があったようですが、保存されているのは両運転台の200形2両です。

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車体側面のサボも、

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時刻表も当時のままです。しかし廃駅跡ではなく博物館なので、時計は正確な時刻を刻んでいます。写真を綺麗に撮るために人が少なくなるのを待っていたので、16:55、閉館間近になってしまいました(笑)

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車内も現役時代そのままとか。現役時代に乗ったことがないので、聞いたまま情報ですが。 

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製造されたのは1960年代中頃で、世代的には国鉄103系などと同じです。運転台もそんな時代の車両の雰囲気ですね。 

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手柄山駅の構内配線図もありました。向かって左手が姫路駅、右にあるのは引き上げ線です。姫路方向にスイッチバックして転線し、駅ホームと反対側に設けられた検車庫で車両の整備をしていたようです。手柄山駅を車止で行き止まりにしなかったのは、免許がさらに南(手柄山南)まであったことと、将来的に飾磨方向まで延伸することを視野に入れていたためのようです。当時は、飾磨で操業していた富士製鉄広畑製鉄所が高炉の増設を行っていた時期で、社会全体の景気も良く、プランとして悪くはなかったと思います。もっとも経営的には、それ以前の問題点が多々あったようですが。

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ということで、姫路市営モノレールに使用されていたレールは、まさにその富士製鉄製でした。1964年富士製鉄釜石製鉄所製の50-Tレール(1メートルで重さ53kg)で、フジエスの社紋もバッチリ残っています。フジエスをご存じない方は、こちらの記事を参照。

さて、ここまで見てきて、「え!? モノレールってゴムタイヤ駆動ではないの? 鋼鉄製のレールを走るの?」と思われた方は、ステーションの裏手に回ってみると面白いものが見られますよ。 

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そこにはモノレールの台車が保存されているのです。ロッキード式モノレールは、「モノ」と言いながらレールが4本あります。軌道上部にあるのがメインレールで、台車1台あたり駆動車輪2個が上から、上部安定用車輪4個がそれぞれ2個ずつ左右から、レールを押し付けます。軌道下部の左右に1本ずつあるのが安定用レールで、下部安定車輪が1個ずつ左右からレールに接触して走ります。

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軌道の南東側側面(左写真)にあるは安定用レール1本のみですが、北西側(右写真)には安定用レールの数十cm上に集電用レールもあります。物々しいインシュレーター(碍子)に支えられているのが、それです。ちなみにこの集電用レールは、4本目のレールでありながら第三軌条と呼ばれているそうです。

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 手柄山ステーションの入口付近から姫路城の方角を見てみると、モノレールの廃線跡が見えましたので、姫路駅への帰りは廃線跡巡りといきましょうか。 

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ステーションから見えた廃線跡は、手柄山公園の北端にあるバス通り沿いにありました。さきほど解説したように軌道を西側から見ていますので、レールが2本見えます。下が安定用レール、上が集電用レールです。しかし… 

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少し北進して山陽新幹線との交差部まで行ってみると……あれ!?

レールがありません。この部分だけわざわざ撤去したとも考えにくいのですが、帰宅後に調べてみると、神戸新聞1984年10月13日版にて、老朽化した送電線が落下する事故が起きたことが報じられていました。レールは事故処理に伴い撤去されたみたいです。まさに「噂の現場」といったところでしょうか。

ともあれ、山陽新幹線の新大阪~岡山開業が1972年3月、モノレールの運行休止が1974年4月ですから、この場所で新幹線とモノレールが動きながら交差していたのはわずか2年ということになります。もったいないですねぇ。 

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空中を走るモノレール。この光景を見て思うのは……

どんなに恐ろしいロッキード社製の武器を持っても、土から離れては生きられないのよ! といったところでしょうか。

ちなみに私が好きな飛行機は、ロッキード社製トライスターです。ボーイング社のどの飛行機より乗り心地は良かったですね。生まれ故郷鹿児島との往復でよく乗っていました。トライスターの最終便も、1995年11月30日の鹿児島発羽田行ANA626便だったそうですから、つくづく鹿児島と縁のあった飛行機ですね。 

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で、羽田と言えば東京モノレール。 

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昭和島の車両基地の裏手に回ると、昔の車両の台車が敷地外から見える場所に保存されています。日本の跨座式モノレールと言えば、このアルヴェーグ式(日立式)が主流ですね。

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2013年8月18日 (日)

★530000アクセス突破★くりでん動く!!

 毎年4月から11月まで月1回開催されている、くりはら田園鉄道の動態保存車両運転会。お盆前の連休に、仙台臨海鉄道、岩手開発鉄道、石巻港の日本製紙専用鉄道を訪ねるついでに寄ってみました。

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■2両連結で運行されるくりはら田園鉄道KD95 2013年8月11日、旧若柳駅付近

 ここは現役時代、2007年3月だったか廃止間際に友人I氏と一緒に訪問したのが最後でした。乗車会が開催される日は、廃線跡に設けられた500メートルほどの運転線を30分ごとに1往復するため、現役時代より撮影チャンスが多いというとても嬉しいことになっています。

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■腕木式信号機も稼働! 

運転線の末端には腕木式信号機もあり、信号小屋(写真右端)も設置されてしっかり動きます。

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でも本来の目的は、この動態保存車両DB101ディーゼル機関車が動くところを撮ることだったのですが…。新幹線やホテルの予約は1か月前には始まってしまうので、直前になって動かないことが分かってもどうにもならないという現実(苦笑) 執念でお願いして、なんとかキャブの中にある銘板の写真をランボード上から撮らせていただきましたが。

次回は動くときに再訪したいものです。

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2013年8月14日 (水)

◆日本セメント上磯工場専用鉄道◆No.5

 2012年度から増加に転じた国内セメント生産量。業界最大手である太平洋セメントの主力工場は、ロータリーキルンを3基有する大分津久見と上磯、以上2拠点です。上磯工場は、かつて合併前の日本セメント時代に、鉱山から工場までを専用鉄道で連絡し、セメントの原料となる石灰石を貨車で輸送していました。

No5_1

当時使用していた機関車が、江差線沿いの上磯工場近くの某公園に保存されています。今年のゴールデンウィークに渡道する機会があり、5月2日に五稜郭車両所のスイッチャーを撮影し終えてもなお明るかったため、ついでに寄ってきました。日没の遅い時季にしかできない芸当ですね(笑)

No5_2

すでに名取編集長のブログで何度か紹介されているため、諸元等は省略します。東洋電機製の同型機は、横浜の海の方にある同社工場内にも保存されています。

 

No5_3

上磯工場をバックに。

 なお、ロータリーキルンが2基稼働中の準主力工場としては、藤原工場と大船渡工場があります。秩父鉄道で原料の石灰石を輸送している熊谷工場のキルンは、わずか1基。意外に思われるかもしれませんが、実のところ熊谷は主力工場でもなんでもありません。鉄道マニアというのは往々にして鉄道のことしか見ていないので、よく勘違いされますが(苦笑)

 公共工事の減少に伴いセメント生産量が減ってくるなかで利益を確保しようと思ったら、ふつうは工場の廃止やSS(出荷基地)の統廃合、人員削減などの構造改革をしますね。ところが、セメントというのは単位重量当たりの価格が石油や他の製品に比べて安く、売上に占める輸送コストの割合が高い製品なのです。したがって、大口需要家が集中する首都圏に近い工場は、廃止して余所からセメントを持ってくるより、残しておいた方が都合が良い場合もあるわけです。算盤勘定の問題ですけどね。

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2012年10月 3日 (水)

★385000アクセス突破★新日鉄住金尼崎製造所の新塗装機関車No.7

No701
■鋼管積み貨車を牽引し公道を横切る機関車No.7  2012年8月23日、住友金属工業特殊管事業所前

  2012年10月1日、新日本製鐵株式会社と住友金属工業株式会社は予定通り合併しました。尼崎の特殊管事業所は「尼崎製造所」と暖簾を替えて操業を続けることになっています。

No702
■阪神尼崎駅前の高層ビルをバックに工場へ向かうNo.7

平日朝8:25頃にラジオ体操のメロディが流れ、8:30頃操業開始、終了は17時頃。機関車が公道を横切るのを見られるのはこの時間帯に限られます。

No703

この事業所に出入りするタクシードライバーの情報によると、東日本大震災以降は電力使用量制限のため、毎週土日に加え月曜日も操業を停止しているとのこと。夏場限定の措置なのかどうか気になるところです。

No704 No705

松山重車輌工業製の凸型ディーゼル機関車No.7は、2011年末から2012年の初めにかけて、緑色から山吹色へ塗り替えられたようです。

No706
■冷間小径管工場 南工場から鋼管を運び出すNo.7   2012年8月17日

和歌山への出張ついでに寄りましたが、期間をあまり置かずに二度訪問したため、同じ機関車ばかり走っていました。

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2012年5月22日 (火)

◆トワイライトゾーン!?◆下野のヤマから

To31

 本日2012年5月22日、東京スカイツリーがオープンしました。オープンと言っても、建設中から毎日眺めている分、感動はいま一つです。今回の記事は、スカイツリーではなく、スカイツリーが建っている土地と密接に関係するあるものが主役です。

To21
■東武会沢線上白石駅廃駅跡を望む。写真中央奥が葛生駅。
 そこからカーブしながら手前に伸びる築堤が東武会沢貨物線。

 下野国のある地域は、秩父と並びとある鉱物資源の産地で知られています。それは、自給率100%で輸出すらしているという、いまどき珍しい資源です。採掘された鉱石は、然るべき粒度に粉砕され、あるいは焼成されてセメントとなり、関東を中心に消費地へと発送されます。

業平橋に、日本最初の生コンクリート工場が建設されたのは、戦後の1949年11月。業平橋が選定された理由は、言わずもがな、上の写真の上白石駅から東武鉄道によって原料(鉱石、セメント)を輸送するのに好適であったからにほかなりません。その後、1993年3月30日には上白石から業平橋への貨車輸送がトラック輸送に置き換えられて廃止となり、親会社の創立100周年が目前に迫った2007年10月には、生コン工場も閉鎖されました。その跡地に建ったのが東京スカイツリー、というわけです。

 上白石駅近傍で操業しているセメント工場までは、鉱山から全長およそ3.3kmの軌道(軌間762mmのナローゲージ)が敷設され、ガソリンカーによる鉱石のピストン輸送が行われていました。軌道は1980年12月に廃止されましたが、当時使用されていた車両が、2012年現在、町役場の跡地に保存されています。

To02

先頭から機関車、鉱車、人車の順に並んでいます。以前、レイルマガジン編集長のブログ『編集長敬白にて紹介されていますので、詳細は割愛します。

To03

ただ、名取編集長の記述には一つ注意すべき点があるので、この機会に言及しておきましょう。上記リンクの記事には、

1980(昭和55)年12月30日限りで地下に埋設された新しい輸送システムにその任を譲り廃止されてしまいました。

と記載されています。この書き方ですと、まるで1980年12月に新しい輸送システムが運行を開始したかのように読めてしまいますが、実際に走り始めたのは翌年の1981年8月です。現地を訪問したことのある方はお気づきかもしれませんが、その新しい輸送システムのかなりの区間が旧軌道の廃線跡直下にあります。つまり、廃止後にレールを撤去して開削工法で新しい軌道を埋設している部分がかなりあるのです。したがって、廃止と同時に運行を開始するのは物理的に不可能です。

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保存されているNo13は、1962年4月に日立製作所で5両製造された10トン機のうちの1両で、エンジンは日野DS-50(出力95ps)、液体変速機は新潟CB100、動力伝達方式はチェーン駆動です。

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No11(製番12606)~No15(製番12610)は同一ロットで製造されています。

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鉱車の荷重は3tで、最大22両編成でした。

To07

鉱山労働者を輸送するため、人車も連結されることがありました。妻面の扉が開閉し、中に入って見学できるようになっています。素晴らしい試みです。

To08

軌道の概要と歴史が簡潔に解説されています。ただ車両を保存するだけでなく、その価値を広く啓蒙していくのも非常に大切なことです。なお、軌道の廃止後に運行を開始した新しい輸送システムは、カ○セルラ○ナーと呼ばれています。

To12

 カ○セルラ○ナーは、傍目には唯のパイプラインにしか見えませんが、圧縮空気の力で動くゴムタイヤ式のトロッコ、と言えば分かりやすいでしょうか。その軌道は、原則として地下にあるため簡単に見ることはできませんが、積込施設付近や川を渡る部分だけは地表に露出していて、一般道からも軌道の外観の一部を見ることができます。ご覧のように全線複線です(あたりまえか…)。

To13

トロッコの荷重は1両あたり1.6トンで、直径はおよそ1メートル、全長はおよそ4メートルほどでしょうか。これを3両連結し、3両1ユニットで動いています。同時に最大23ユニットを運行可能で、最高速度は30km/hです。1時間あたりの輸送能力はおよそ300トン、年間輸送能力は200万トンです。元々は、住友商事、住友金属工業、新潟鉄工所、鹿島建設の4社が、旧ソビエト連邦から技術導入した輸送システムです。原理的には、オフィスビルで使用されているエアシューターとほぼ同じものです。日本国内では、トンネル工事のズリ捨て用に期間限定で導入されている事例は他にもあるようですが、恒久的に使用されているのは、ここだけです。

【参考】

  • 住友大阪セメント100年史

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