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2020年4月22日 (水)

◆島原鉄道◆D37形ディーゼル機関車(2017)

 2017年のゴールデンウィーク、大牟田に前泊し三井化学専用鉄道の朝の往復を撮り、三川坑の炭鉱電車保存車を見学したあと、三池港からジェット船で長崎県島原市の島原外港に移動(所要約40分)、レンタサイクルを借りて水無川まで行ってきました。

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雲仙普賢岳が噴火を続け、大火砕流が発生したのは1991年6月3日。島原鉄道も大きな被害を受けました。貨物輸送廃止後は工事列車に使用される程度だったこのD37形ディーゼル機関車が、復旧工事ための資機材輸送に大いに活躍しました。背後に見えるのが雲仙普賢岳です。

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キャブ側面のナンバープレートと社章、製造銘板(昭和42年の陽刻あり)。D37は自重37tのディーゼル機関車を表し、03の番号は3両導入されたうちのラスト1両であることを示しています。私鉄や臨海鉄道、専用線のディーゼル機関車の記号番号は、DNXX(DはDieselの頭文字、Nは自重、XXは連番)の様式で表現することが多いですね。XXは十の位に0を入れることもありますが、1桁のこともあります。

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1960年代の私鉄・産業用のディーゼル機関車の台車は、ちょうど鋳鋼製が出てきたころで、日立製・日車製にもまだ板台枠の台車のものが見受けられました。川崎車両製のこの機関車も板台枠です。川崎重工の『蒸気機関車から超高速車両まで 「写真で見る兵庫工場90年の鉄道車両製造史」』の付録に、機関車製造台帳が載っているので、抜粋します。

  • 形 式 : D37形液体式ディーゼル機関車
  • 記号番号: D3701~D3703
  • 製造年 : 1967年(島原鉄道での竣工日付は1968年1月17日)
  • 製造所 : 川崎車両
  • 製造番号: 196~198
  • 自 重 : 37t
  • 車軸配置: B-B
  • 出 力 : 600ps(DMH17SB 300ps×2基)
  • 全 長 : 10,950mm
  • 全 高 :  3,665mm
  • 全 幅 :  2,718mm

現地看板の説明には「最高時速 55km/h、牽引実績 貨物車最大15両を牽引」と記載されていました。国鉄と比較するなら、自重48tで800psのDD16形よりやや性能を抑え気味といったところです。15両というのはおそらく換算15のことなので、実際に同時に牽引できた貨車の数は、例えば荷重15tクラスの2軸貨車だったとしても、もっと少ないと思います。とはいえ、元は戦前設計で国鉄キハ10系と同系統のDMH17系エンジンに、過給機とインタークーラー(*)を付けて300馬力を出しているので、頑張っている方かもしれません。製造された時代的にはDMF31系統で1エンジンにする選択肢もありますが、旅客輸送主体で気動車がDMH17系のエンジンを使用していたので、保守の都合に鑑み、同系のエンジンを指定してメーカーにオーダーしたのでしょうか。川崎車両が製作した民間向け液体式ディーゼル機関車では、このD37のような2エンジン機は製鉄所構内用などがメインで、私鉄・専用線向けはほとんど1エンジン機です。マイナーな2エンジン機でよく知られているのは、倉敷市交通局→水島臨海鉄道D505でしょうか。

(*)過給機とは、エンジンの燃焼効率を高めるため、排気量以上の空気(酸素)を強制的に取り込むための空気圧縮装置。ターボチャージャーともいう。いっぽうインタークーラーとは、過給機により圧縮された空気を冷却する装置。圧縮された空気は、温度が上昇して気体分子の平均自由行程が長くなるが、冷却によって平均自由行程を短くすると、燃焼反応に寄与する気体分子(酸素)の密度が大きくなり、エンジン出力を向上することができる(平均自由行程というのは熱力学用語で、気体分子が1回他の気体分子と衝突してから2回目にまた別の気体分子と衝突するまでの間に進む距離のことである。もちろん、各分子の個別の運動状態など測定しようがないので、マクロ的な平均値である。温度上昇により平均自由行程が長くなるというのは、分子運動がより活発化して密度が低下する状態をイメージしておけばよい)。

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運転台の状態。計器類はほとんど取り外されています。本線用機関車ですので、ブレーキ弁はちゃんと自弁(自動空気ブレーキ弁)と単弁(単独ブレーキ弁)の両方を備えています。

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2008年、復興した島原港以南が廃止されてしまったのは残念でなりません。復興区間の廃線跡は、橋梁や高架橋を含め線路がはがされた以外はほぼそのまま残っています。

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1991年6月3日の大火砕流発生当時、水無川周辺では、折からの噴火で住民の避難は終わっていたものの、成長する溶岩ドームの映像を撮影するためにマスコミ各社が避難区域に常駐、結果的に死者行方不明者43名・負傷者9名を出す大惨事に発展し、災害報道の在り方に一石を投じる事故になりました。

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火砕流が流れた後、2000年代に入っても小康状態とはいえ火山活動は継続中で、水無川の下流では歩道付きの道路が整備され区画整理されているものの、2017年5月現在でもまだ真新しい住宅がぽつりぽつりと建っている状態に留まっています。

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成長した溶岩ドームでは、まだ水蒸気や硫化水素が発生しているようです。もっとも鹿児島生まれの私にとっては火山は見慣れたものですし、噴火や降灰も日常でしたが。

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さて、島原鉄道の車庫は、終点島原港駅の一つ隣り、島原船津駅にあります。

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その隅には、ワム80001と称する「救援車」とヨ8000形が留置されていました。いまでも使用することはあるのでしょうか。

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隣の島原駅北側には比較的新しいタイプの軌道モータカーも留置。松山重車両工業や堀川工機にも似たようなスタイルの軌道モータカーがいますが、ボンネットの高さや台枠下の足回りが若干違います。コマツにも似たのがいますが、キャブの傾斜がもっときついので、やはり違いますね。というわけで消去法により、新潟トランシス製のTMC400NC(富士重工製のTMC400NCではない新しいタイプ)と推察されます。銘板は写真の反対側にあるので、興味のある方は調べてみてはいかがでしょうか。

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