カテゴリー「▽私鉄の希少車輌 2.関東甲信越」の124件の記事

2020年7月26日 (日)

■ロイヤルエクスプレス■北海道へ甲種輸送(2020)

 2020年7月20日深夜から23日深夜にかけて、伊豆急行のロイヤルエクスプレス(2100系電車R5編成)がJR北海道での運行に備え甲種輸送されました。20日深夜から21日未明にかけて、伊豆高原から8000系電車TB2編成の牽引により3両ずつ2回に分けて伊東まで回送、6両編成に組成し、

伊東から先のJR線内はJR貨物EF65形2127号機の牽引により宇都宮貨物ターミナルまで、

翌22日はEH500形64号機の牽引で宇都宮タから青い森鉄道東青森まで、津軽海峡線はEH800形15号機牽引、五稜郭で進行方向を変え、日付変わって23日の道内はDF200形110号機の牽引で東室蘭操に早朝に到着、夜に発車し深夜に札幌運転所のある手稲に到着しました。

ロイヤルエクスプレスと、道内運行時の電源車となるマニ50形については、以前の記事で紹介しましたが、今夏いよいよ運行開始します。道内の運行ルートや時刻については7月15日に発売された鉄道ダイヤ情報2020年8月号にも掲載されています。

※本記事の画像は横幅1980pxでアップロードしていますので、画像右上の四角矢印をクリックすると、別ウィンドウが起動し最大解像度で見られます。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年6月29日 (月)

★今市のスイッチャー★DB10と東武ED4010形(東芝戦時型)

 日光にある漬物屋さんの保存車。電気機関車が綺麗に再塗装されたと聞いて訪問しました。

入口で迎えてくれるのは、1969年(昭和44年)協三工業製のスイッチャー。形態はいたって標準的な国鉄の入換動車ですが、日光駅・今市駅で入換に使用されていたご当地もので、所縁の地で保存されています。キャブの妻面窓にレンズを近づけてフラッシュをたくと、内部の銘板を綺麗に読み取ることができました。

  • 形  式 : DB.10(ドット「.」の意味はよく分かりません。動車によっては無い場合もあり)
  • 製造番号 : 10626
  • 製造年  : 昭和44年3月
  • 呼ビ重量 : 10t
  • 定格引張力: 1,350kg
  • 定格速度 : 13km/h
  • 協三工業株式会社

屋外展示にもかかわらず保存状態が良いですが、閉店時間中は毎日カバーをかけているのでしょうか。

こちらは裏手にある東武鉄道ED4010形電気機関車ED4011。戦時中に東京芝浦電気が海南島の日本窒素専用鉄道向けに製作した、正真正銘の東芝戦時型です。日本窒素専用鉄道向けにはD51タイプの蒸気機関車も製造されましたが、おそらくSLが本線用で、このELは鉱山から麓のヤードまでの勾配区間(いわゆる下部軌道)に投入する予定であったと思われます。満鉄の石炭輸送も本線はSLでしたが、撫順炭鉱専用鉄道は電化されており、東芝・日立・三菱製の凸型ELが使用されていましたので、海南島のSLとELも似たような役割分担を念頭においていたと考えるのが自然です。

渡辺肇著「日本製機関車製造銘板・番号集成(1982.3)」と、近年発表されたイカロス出版「電気機関車EX Vol.14(2020)」の巻末に、東芝の電気機関車の製造台帳が掲載されています。両者を比較すると記載内容に若干揺らぎはありますが、ED4011に関しては矛盾はありませんでした。日本窒素発注の東芝戦時型は、1943年に製造番号307250が、翌1944年に307800が、それぞれ4両ずつ、合計8両製造されました(東芝製電気機関車の製造番号の付番ルールは製作指示番号方式のため、日立製の1951年以降の電気機関車同様、同一ロットの製造番号はすべて同じです)。このうち製造番号307800のうちの2両が東武鉄道に割り当てられ、1946年製ED40形ED403・ED404として竣工しました。のちの形式称号改訂で、ED4010形ED4011・ED4012に変更されています。日本窒素発注の東芝戦時型の自重は40tですが、後の改造なのか車体表記は換算4.5(自重45t)になっています。

なお、東京芝浦電気が日本窒素専用鉄道向け以外の国内向けに製作した凸型電気機関車は、戦前製・戦後製を問わず車体幅が2,900mm未満と短いので、外観でも容易に区別することができます。

私が初めて東武鉄道の電気機関車が動いているのを見たのは、千住貨物駅の入換です。到着した貨車を着発線(現在の北千住-牛田間の電留線のあたり)で切り離し、機回しして連結、北千住寄りに引き上げてから推進で京成電鉄をくぐり、貨物駅へ押し込んでいました。後にも先にも、千住貨物駅の入換を見たのは、その1回限りです。

台車は昭和36年住友金属工業製FS29で、あとから振り替えたものでしょうか。

2両とも保存状態が良く、年始早々感動しました。お土産に漬物を2袋購入しました。2015年冬撮影。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年6月27日 (土)

◆伊豆急行◆アント・マニ50形・100系電車(2020)

 2019年7月7日をもって引退した伊豆急行100系電車103号が、伊豆急下田に留置されているとの情報を得て、12年ぶりに伊豆急を日帰り訪問しました。伊東で途中下車し、伊豆急線内1日乗り放題の「伊豆満喫フリーきっぷ」を購入します。伊東-伊豆急下田間は単純往復でも¥3,300-のところ、途中下車可能で¥1,900-で済みますし、社線内は185系特急踊り子号の普通車自由席に何回でも乗れますから、断然お得です。

伊豆高原で途中下車すると、北海道で運行予定のロイヤルエクスプレス仕様のリゾート21と、金目鯛をイメージしたキンメ電車、そして東急8000系をイメージした無塗装の8000系電車TA-7編成が並んでいました。

TA-7編成の下田寄り先頭車は、クモハ8152。元東急8000系?にしては、急行灯が無かったり、裾にステップも無いし、貫通扉の取り付け部分にも違和感を感じます。

本来、8000系はこのクモハ8005のような形態のはずですが…。実はクモハ8152は元8000系ではなく、伊豆急への譲渡車で唯一の元8500系で、顔つきがおかしいのは、中間車デハ8700形8723号車に運転台ユニットを接合したためです。この先頭車化改造自体も、もともと伊豆急に譲渡するために実施したわけではなく、10両貫通編成の多い8500系を地方私鉄に譲渡するケースで多発するであろう運転台取り付け改造を、長津田工場で先行試験的に施したものです。数年のあいだ工場内や検車区に保管していましたが、伊豆急への譲渡車に選定され、細部を再改造されています。

8500系を伊豆急色にすると、本来はこうなります。今月で引退するとされている伊豆急カラーラッピングの8614編成。8000系との違いは、高運転台で前面窓の天地方向の幅が短く、行先表示器の面積は逆に広い点です。急行灯も運行番号表示器と一体化しています。

さて8000系の話はこのくらいにして、車庫を俯瞰してみましょう。裏手の出入口にある表記を見ると、伊豆高原にある車両工場の正式名称は「検修工場」です。検修工場内の車両入換には、アント車両移動機を使用しています。

箱形の全閉型ではなく、キャビンのみ密閉されエンジン部は屋外にあり屋根の付いたタイプです。

185系踊り子号の窓は開閉するので、帰りに車内からロイヤルエクスプレスをバックにアントを撮影。

下田寄りの側線末端部には、ロイヤルエクスプレスを北海道で運行する際の補助電源供給用電源車となる予定の、元JR東日本マニ50 2186が留置されていました。

終点下田に着くと、めあての100系電車103号車が側線の一番西寄りに留置されていました。8000系との並び。

やや錆び始めていますが、元のデザインが秀逸なので魅力は衰えていません。

沿道から形式写真も撮れました。

東芝製の主制御器。発電ブレーキ、抑速ブレーキに対応しています。100系のシステムは、急行伊豆として伊豆急にも直通していた国鉄153系電車に抑速ブレーキを付加した仕様、と形容されることがありますが、車両史的にも技術的にもこれはあまり正確ではないと思っています。カルダン駆動はともかく、ブレーキに関してはどちらかというと国鉄70系・80系電車(中継弁付き電磁自動空気ブレーキ)に抑速発電ブレーキを付加した、というのが実態に近いのではないでしょうか。元々、100系電車が登場した当時に伊東線で運用されていたのは70・80系電車で、直通先に仕様を合わせたわけです。伊東線の普通列車が、153系と同じ発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキの113系に置き替えられると、1982年以降、100系も全車両が電磁自動空気ブレーキから電磁直通ブレーキに改造されていきましたが、それ以前の1981年10月ダイヤ改正の時点で、すでに急行伊豆はすべて特急踊り子に格上げされ消滅しており、153系は185系に置き替えられていました。したがって、国鉄153系と伊豆急100系、どちらもが同時期に電磁直通ブレーキを使用して伊東線・伊豆急線内を走行していたことはなかったはずです。

台車は東急車輛製造製TS316A。枕ばね側のオイルダンパーで衝撃を吸収するタイプでしょうか、軸ばねが固そうです。

伊東寄り。こちらが前位側で、ジャンパ連結器やジャンパ栓収めを装備しています。


1M方式の20m車で、両運転台のクモハで、冷房装置を積んで、自重36.0tですから、意外と軽いですね。やはり軽量車体の設計・製造では一目置かれている東急車輛製造製だけのことはあります。昭和36年製造。

伊豆半島は1980年代までは家族旅行でよく訪ねていたこともあり、100系と185系や251系の並びは何度も見てきましたが、今回、サフィール踊り子E261系、伊豆急8000系との並びを初めて見ることができました。

2011年に復活した100系は、今度こそ本当に引退してしまいますが、東急8000系TA-7編成が銀色になったので、また来てみたいですね。

●おまけ

 伊東線来宮駅には、長物車で運ばれてきたレールを卸すための保守基地があります。レールは、門型クレーンを備えた側線で卸されます。

レール輸送の臨時工事列車は、所管となる横浜支社の拠点駅・東高島から伊東まで行って機回しをして、来宮で熱海寄りに引き上げてからEL推進で電化された側線に向かいます。押し込まれたチキ車は、保守基地にいる軌道モータカーで荷卸し側線まで入換を行います。この日は、荷卸しを終えたチキ5200形4車(5341+5306+5316+5221)が留置されていました。

軌道モータカーは、銘板をホーム側に向けて停車していたので、以下の通り判明しました。

新潟トランシス 軌道モータカー

  • 形  式:TMC400B
  • 製造年月:2017年(平成29年)9月
  • NO.150

TMC400Bは途中でモデルチェンジして、最近のは上のようにボンネットにもキャブ前面にも傾斜の無いタイプになりました。最近のニイガタの軌道モータカーは、製造番号という表記をやめて単にNO.としていますね

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年6月15日 (月)

★都電荒川線の花電車★竣工時展示

20110612_todenhanaden

 都電7500形を改造して2011年に誕生した花電車。登場時、荒川車庫で撮りましたが、本線を走行しているシーンを見たことがありません。いつ走っているのでしょうか。

2011年6月12日、車庫公開時に敷地内にて撮影。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年6月 7日 (日)

★箱根登山鉄道★入生田車庫のアント

Iryudaant

2019年7月20日、箱根登山鉄道検車区(通称:入生田車庫)が公開されました。103号のさよならイベントでしたが、車庫内で車両入換を行うアント車両移動機を見るために訪問しました。スイッチャーならなお良かったのですが。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年6月 3日 (水)

★上信電鉄★車庫・車両検修場のスイッチャー

 上信電鉄の車庫・車両整備工場は、高崎駅構内の本社前にあります。車両入換には営業用電車のほか、軌道モータカー転用のスイッチャーを使用しています。

Joshinsw01

2012年から車両入換に使用されているのが、こちらの機関車。かつて、埼玉高速鉄道浦和美園車両基地に常駐し、線路保守用の軌道モータカーとして使用されていたものです。端梁には自動連結器と連結可能な形状の連結器(自連ではない)を備えています。

Joshinsw02

電車と連結されており、車体側面には「JDK」の表記があります。

Saitamamisonomc03

2009年の浦和美園基地公開時には、子供たちを乗せて基地内を往復していました。まずは同じアングルの写真から。キャビン側面の社章が違うのはもちろんのこと、上信電鉄転籍後とは連結器の形状が違いますね。

Saitamamisonomc01

次にクレーン側から。こちらの端梁には連結器はありません。 

Saitamamisonomc04

公開時は様々な角度から撮れますね。

Saitamamisonomc05

四方向すべて記録。

Saitamamisonomc06

銘板によると、製造者は鉄友工業というメーカー(*)で、自重20t、型式GT200-1A、製造番号1001、製造年月は1999年(平成11年)2月です。浦和美園車両基地が営業用車両の基地として使用開始したのは、埼玉高速鉄道が開業した2001年3月28日ですが、それより2年も前に製造されたことに鑑みると、建設工事の後半にレールやバラストを運搬する目的で既に使用開始していた可能性が考えられます。

地下鉄の軌道モータカーは登坂力のある優れものが多いので、私鉄に転用されても重宝されますね。なにしろ首都圏の地下鉄路線の勾配は、本線で連続35‰が当たり前の世界ですから。東京メトロ日比谷線には39‰、有楽町線と副都心線には40‰がありますし、側線も入れると千代田線の代々木公園-代々木車庫間には45‰があります(地下鉄千代田線建設史を参照のこと)。同じように第三セクターから私鉄に転用された軌道モータカーには、営団地下鉄東西線→東葉高速鉄道→関東鉄道常総線の堀川工機製20t機があります(→こちらの記事を参照)。

Saitamamisonoant

最後に、浦和美園車両基地の車両入換を担当しているアント車両移動機を紹介します。埼玉高速鉄道2000系や東京メトロ南北線用9000系の全般検査は、市ヶ谷連絡線、霞が関桜田門連絡線を経由し、千代田線の終点北綾瀬にある綾瀬車両基地(綾瀬事業所)で実施しているのですが、全般検査を行わない浦和美園車両基地にも、無線による遠隔操縦が可能なアントが導入されています。これは、埼玉高速鉄道2000系や東京メトロ9000系の車輪削正を行う際に車両入換が必要なためです。

  • 自 重 : 7,000kg
  • エンジン: 日野自動車工業製W04C-TR型 ディーゼルエンジン
  • 出  力: 水冷4サイクル直列立型直接噴射方式 115ps/2600rpm
  • 牽引力 : 3,100kg重(電車約10両程度なら牽引可能)
  • 速  度: 0~6km/h(手動運転時)、0~3km/h(リモコン操作時)
  • 特  徴: 手動・リモコン運転可能、緊急ブレーキシステム搭載(障害物光センサー・障害物磁気センサー・デッドマン)

イベントでアントを展示してくれる車両工場は時々ありますが、この時の公開ではアント車両移動機リモコン走行体験コーナーが設けられており、子供たちがリモコンを操作してアントを動かしていました。上写真も誰かの子供が動かしているアントです(笑) 第三セクター鉄道会社のイベントは、企画にも色々と創意工夫があって面白いですね。

製造元の鉄友工業は、東京都内に本社があり、工場は高崎市内にありますが、おそらくこの軌道モータカーは鉄友工業では製作しておらず、単に商流に入って銘板を付けているだけだと思います。そう考える根拠は、高崎工場をGoogleストリートビューで見てみると、建屋内に車体を吊り上げるための天井クレーンが無い(そもそも鉄道車両を入れるには屋根が低すぎる)ためです。屋外にクレーンはありますが駐車場の出入口を兼ねており、こんなところで組み立てたとは到底思えません。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年6月 1日 (月)

★北総鉄道★印旛車両基地のスイッチャー

 鉄道車両の全般検査・重要部検査を実施している車両工場や車庫には、検査中に自走できない車両をオンレールで移動するため、車両移動機が配置されています。最近では車両移動機といえばアント車両移動機ですが、工場の規模によっては機関車タイプのスイッチャー(国鉄の呼称では、入換動車)も存在し、事業者ごとに色や形に特徴があるため、興味深い存在です。

Imbasw01

北総鉄道印旛車両基地では、軌道保守用のモータカーに柴田式自動連結器を備え、基地内のスイッチャーとして使用しています。北総鉄道の車両の全般検査はすべて京成電鉄宗吾車両基地で実施しており、印旛車両基地内で車両の組み換え(入換)が日常的に行われることはありません。ではなぜスイッチャーが必要かというと、車両搬入・搬出時の入換に使用するためです。

 京成電鉄向けの新車が車両メーカーから納品される場合、1号線直通規格に適合した車両(都営浅草線直通運転に使用される系列)か否かにより、方法・移送ルートが異なります。適合している場合は、JR横須賀線逗子駅まで甲種輸送し、総合車両製作所(元東急車輛製造)専用鉄道経由で横浜事業所まで移送のうえ、台車を狭軌から標準軌へ履き替えたのち、京浜急行電鉄・都営浅草線・京成電鉄経由で宗吾車両基地まで移送します。専用鉄道内の移送は、総合車両製作所が保有するディーゼル機関車(元神奈川臨海鉄道DD5515ないし日車製50tB-B機D-502)と、緩急車(元上田交通7200形7252号・7254号)によって行います。また社局内の移送は、京急や東京都交通局で運転習熟前の新系列は、VVVFインバータ制御に改造された京成3600形電車3668編成による牽引、既に試運転を終えていたり営業運転中の系列の増備車(ないし同型車)は、自力回送です。いっぽう、不適合車両は京急や都営浅草線を通過することはなく、JR線経由で京葉臨海鉄道千葉貨物駅(かつては常磐線北柏駅が使用されていた)でレールから降ろし、トレーラーで車両基地まで陸送します。以前は宗吾車両基地まで陸送することもあったようですが、周辺の道路が狭隘なためなのか、近年では北総鉄道印旛車両基地を陸送受け入れ場所に指定することが多くなっています。最近では、京成電鉄スカイライナー用AE形や、新京成電鉄N800形が、千葉貨物駅から印旛車両基地まで陸送されてきて、彼の地で再びレールに乗せられています。レールに乗った車両は、上写真のスイッチャーで入換を行い、編成に組成されます。したがって、止まっている写真を撮るのは簡単ですが、動いているところはなかなかお目にかかれません(笑)

Imbasw02

銘板を読み取ると、以下の通りです。2010年撮影。

マツヤマ 軌道モータカー

  • 型  式:MJK-MR927
  • 製  造:1991年(平成3年)3月
  • 製造番号:102244
  • 自  重:15屯
  • 製造者 :松山重車輛工業

印旛車両基地の竣工は、2000年7月の都市基盤整備公団(旧 住宅都市整備公団)印西牧の原-印旛日本医大間延伸開業と同時ですが、このスイッチャーはそれより古い1991年3月製であるため、西白井にあった北総開発鉄道の車庫で使用されていたか、京成電鉄のお古と思われます。

【参考】

こちらのブログに、N800形の千葉貨物駅から印旛車両基地までの陸送と、スイッチャーによる入換の様子が紹介されています。

【北総鉄道7500形の移送ルート変遷】

 北総鉄道7500形電車(京成電鉄3000形電車の同型車)の車両メーカーからの搬入は興味深いです。7500形は8両編成×3本あるのですが、2006年2月に東急車輛製造で落成した第一編成と、同年3月に日本車輌製造で落成した第二編成は、既に同型の京成3000形が京急・都営線内への直通運転を開始していたので、東急車輛製造(金沢八景)から印旛車両基地(印西牧の原)まで自力回送でしたが、翌2007年3月落成の第三編成は、日車から千葉貨物まで甲種輸送し、印旛車両基地まで陸送しています。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年5月31日 (日)

◆新京成8000形電車◆最後のジェントルピンク編成(2017)

20170708_8518f

 今年1月の記事で、8000形電車の最後の生き残りがオリジナルカラーに復刻した8512編成とお伝えしましたが、その直前までは、上写真の8518編成も現役でした。地上時代の新鎌ヶ谷駅に入線する、ジェントルピンク塗装最後の8000形です。2017年7月8日撮影。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年5月14日 (木)

◆伊豆箱根鉄道◆修善寺踊り子

 国鉄・JRの車両を用いて自社線内に直通する優等列車を運行している民鉄事業者には、伊豆急行や富士急行、智頭急行、土佐くろしお鉄道などがあります。最近では東武鉄道もこれに当てはまりますね。かつては長野電鉄(急行志賀)や富山地鉄(特急雷鳥・サンダーバードの付属編成)、北越急行(特急はくたか)、くま川鉄道(急行くまがわ)もそうでした。(成田空港高速鉄道や新関西国際空港などのように、もともと車両を保有していない事業者はノーカン) それでも私の中での代表格は、伊豆急下田行きと併結運転している、伊豆箱根鉄道直通の修善寺行き踊り子号ですね。

20200211_shuzenji01

国鉄から伊豆箱根鉄道への電車優等列車の直通運転は、185系電車登場前、1950年10月の80系電車による急行あまぎ・いでゆの時代からの伝統です。1950年代当時、駿豆線の電化方式は直流1.5kVではなく600Vでしたので、80系電車をそのまま入線させると、社線内で編成出力が低下するだけでなくMGやCPなど補機類も正常に動作しないなど問題がありましたが、80系電車の編成の一部を複電圧対応に改造することで、直通運転が実現しました。複電圧車による直通運転は、1959年9月に駿豆線が1.5kVに昇圧されるまで続きました。

20200211_shuzenji02

1960年代以降は153系に、1981年10月以降は185系に置き替えられ、現在まで直通特急の運行を継続しています。首都圏中心部から修善寺温泉への集客に対する並々ならぬ執念を感じます。

20170212_shuzenji

こちらは伊豆箱根鉄道ではなく東海道本線内ですが、修善寺発着の5両付属編成しか走行しない区間ですので、今回ピックアップしました。踊り子目的でこの場所まで行くはずは無いので、たぶん150mレール輸送列車8090レを撮りに行ったついでだったと思います。2016年撮影。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

2020年4月29日 (水)

◆鹿島臨海鉄道◆ホームから眺める鹿島スタ入換

 H社M事業所のまつりで野生動物を追いかけていたため、退出したあと中途半端に時間が余ってしまいました。もう安中行き貨物列車は通過しているしな、などと思案しながら水戸駅に移動すると、鹿島臨海鉄道の気動車が見えました。すぐに鹿島サッカースタジアムの予定を確認すると、偶然にも試合の予定があり、鹿島サッカースタジアム駅(以下、鹿島スタ駅と呼ぶ)の臨時停車日であることが分かりました。というわけで、帰路は鹿島臨海鉄道経由とし、駅ホームから入換を撮ることにしました。鹿島スタの入換は外からも撮れますが、ホームからは試合開催日しか撮れませんので、貴重な機会です。

Kashimasta20190631

鹿島スタに到着すると、ほどなく、鹿島臨海鉄道神栖発鹿島スタ行き92列車が到着しました。牽引機はKRD5形ディーゼル機関車です。見た目は国鉄DD13形に似ていますが、エンジンはDD13形(111号機以降)の500psより強力な600psのDMF31SBを2基搭載し、減速比(電気車で言う歯数比に相当)も大きく設定されています。鹿島臨海鉄道で定期貨物列車の運行されている区間は、港湾部こそ平坦なものの、港を離れて農村地帯から鹿島スタにかけてはゼロメートル地帯から台地に登るため連続上り勾配になっていて、意外と牽引力が必要ですね。

Kashimasta20190632

2020年現在、鹿島スタから神栖へ向かう列車は95列車(←1095列車)、93列車(←1093列車)の2本ですが、逆に神栖から鹿島スタに向かう列車は96列車・94列車(→いずれも1094列車に継送)、92列車(→1092列車)の3本あります。工業地帯から来る便は3本あるのに戻り便は2本というのが興味深いですね。

Kashimasta20190633

さて、鹿島スタ駅構内には、JRの電車が鹿島神宮方面へ直接発着できる乗降ホーム無しの線路が2本あります。そう、JR鹿島線の終点は鹿島神宮駅ではなく、ここ鹿島スタ駅なのです(国土交通省監修の鉄道要覧に掲載された停車場名は、北鹿島駅)。鹿島神宮駅は1面2線のホームをJRと臨海で共用しており、特急列車が折り返しのために退避する場所がないため、鹿島スタ駅まで回送してくるのです。この日は特急あやめ祭り号の運転日で、E257系500番台が準備を整え、鹿島神宮に向けて発車していきました。

Kashimasta20190634

KRD5形が切り離されると、側線に留置されていたEF65形2063号機が反対側に連結されました(プライバシー配慮のため画像縮小)。

Kashimasta20190635

鹿島臨海鉄道6000形気動車と1092列車の並び。

Kashimasta20190636

KRD5が水戸寄りに引き上げ、折り返してきました(プライバシー配慮のため画像縮小)。端梁にはまだ重連総括制御用のジャンパ栓が残っていますね。ジャンパ連結器はありませんが。

Kashimasta20190637

なぜかこの位置で一旦停止しました。

Kashimasta20190638

信号機が点灯すると、単機回送列車は機関区のある神栖へ戻っていきました。

201904krd5

 鹿島さくらまつりに参加した日は、終了時刻に退場して徒歩移動するとだいたいこの単機回送に間に合いますね(笑) 今まで何度も同じパターンで同じ列車を撮っています。

●おまけ

200812krd2dd5512

 鹿島臨海鉄道が担っていた重要な任務に、港湾部の製油所から新東京国際空港公団への航空燃料輸送がありました。1983年に京葉臨海工業地帯から成田空港までパイプラインが開設されると、鉄道貨車による航空燃料輸送は終了し、余剰になったKRD2は1983年に仙台臨海鉄道へ譲渡されDD5512となりました。2008年12月に仙台港駅を訪ねた際はまだ台車付きで残っていましたが、その翌年に再訪すると台車が外されボディだけになっていました。

Taki40043

燃料輸送に使用された貨車は、タキ40000形タンク車です。2008年はじめの時点で、名古屋臨海鉄道東港駅にはまだ何両も留置されていました。タキ40043に、

Taki40057

タキ40057、

Taki40110

タキ40110、

Taki40125

タキ40125。

Taki40074

北海道内の石油輸送では、2011年8月時点でまだタキ40000形が現役で使用されていました。本輪西のJX日鉱日石専用側線のタキ40074を敷地外より。

Taki40131

こちらは本輪西駅に停車中のタキ40131。

Taki40112

室蘭製油所内の入換作業を受託している栗林商会が所有するスイッチャーDD512によって突放されるタキ40112。

【注意】
 当記事掲載の写真は、特記の無い限りすべて公道(もしくは社会通念上立入りの許される区域)から撮影したものです。無断で私有地・社有地等へ立ち入ることは絶対におやめください。

【著作権の表示】
 当ブログの著作権者は、特記の無い限り、私 「社長」です。当ブログのすべての文章・写真・図面および図表は、日本国の法律(著作権法)と国際条約によって保護されています。改変したものも含めて、著作権者に無断で複製・配布することは出来ません。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧